ペシャワールの東に待機しているアルスラーンたちに合流するため、彼らは馬を飛ばしていた。

新たに加わった少女アルフリードの属するゾット族というのは、パルスの中部から南部にかけて広がる砂漠や岩山を勢力範囲とする勇猛な遊牧民で、あるときは傭兵、あるときは盗賊行為も行うという。そういう力に自信のある組織の一員らしく、アルフリードは勇ましく馬を駆っていた。
しばらく進み、追手の姿も見えなくなって緊張感が和らいできた頃、アルフリードは同じ女性で歳もそう離れていないミトに興味を抱いたのか、馬を並べて話しかけてきた。

「ねえ、あなた名前は?」
「はっ、はい、ミトと申します」
「ミト。あまり聞かない名ね」

声をかけられてぎくりとしたようにミトは答えたのだが、アルフリードは気にしていない様子だった。

正直なところ、ミトはこの少女とどう接したらいいものか考えあぐねていた。

いきなり「ナルサスの妻だよ」と名乗って、平然と彼に好意を示していて。彼をあれほど動揺させるのも、ミトには到底出来そうになかった。
この言葉が本当か嘘かはともかくとして、正直うらやましくて、自分にはそういう引力がないことを一層感じさせるから、別にこの少女のことを嫌いになりたいわけではないし、むしろ仲良くしたいと思うのだが、確実に戸惑っていた。
自分だってナルサスにどれほど感謝し、恩を感じているか伝えたいのに、この少女の前では自分のどんな思いも霞んでしまいそうで、勝手に怖くなっていた。

「……アルフリードはどうしてナルサスと?」
「変な銀仮面の男に襲われていたところを偶然助けてもらったんだけど、その後一緒に立ち寄った村でね、ナルサスがばけものをやっつけてくれたんだ。それがもうすごくて。頭もよくて強いから、すっかり感心しちゃった」

アルフリードは、ナルサスと銀仮面との対決や、ある村に現れた魔道を使う者をナルサスがどうやって退けたか、といった旅の出来事を嬉しそうに教えてくれた。
どれもナルサスらしく智略に富んでいて、聞いているだけでも痛快なのだが、その場にいたのは、自分ではなくこの少女とナルサスだった。

「ミトはエクバターナのひと?」
「まあ、うん。エクバターナで偶然助けてもらったの。ナルサスに。それで一緒に来たんだけど」
「えっ、じゃあミトもあたしと同じじゃない」

自分はどこかで自分だけが特別だと思っていたのかもしれない。

異世界から来たことは、確かに特別なことだったのだけれど、この世界にもともと棲む人々にとっては大したことではなかった。知らない人と出会っただけだ。他の大勢と同じように。
アルフリードの話を聞くうちに、ミトが彼らと出会ったことも、大した出来事ではなかったのかもしれないと思って、鎧をまとわぬ心は簡単にぺしゃりと潰れてしまいそうになった。



***



それから夜になり、翌日の朝に、ナルサスを迎えに行った一行はアルスラーンと合流することに成功した。
王子は大事な仲間の無事を心から喜び、ナルサスも素直な表情で応えていた。次いでアルフリードの同行のこともすぐに了承する。いまは仲間がひとりでも多い方がいいということもあるが、ギーヴがたびたび感心していたように、ミトもこの王子の心の清らかさにはいつも驚かされた。
立場だけならば誰にも逆らわれることはなく、権威をたてにすればどんな命令ものませることが出来るのに、彼は部下に無理やり命令することはしない。

「ミト、慣れない旅でつらいと思うが、ペシャワールもすぐそこだ。もう少し辛抱してくれ」
「はい、殿下!でも私なんかのことを気にかけてくださって、疲れがふきとびました」

おかげで、これほど絶望的な状況であるのに、気持ちよく旅ができた。
この王子の頭上には一等星が輝いていて、迷いなくそこへ皆を集わせるのだと思えた。その星はやがて強さを増してこの国を照らし、優しい光をいっぱいに降り注がせる。そんな未来がぼんやりと見えた。
いつまで自分がこの世界にいるのかはわからないが、どうかその景色が見られるまでは、とこの時ふと考えた。

そして、それまで王子たちとともにあるのが自分の役目なのかもしれないのではないかと同時に思った。



***



東にペシャワールの赤い砂岩の城壁や塔が見えたあたりで、ミトたちはまた敵に出くわしてしまった。
敵は、王子一行を一網打尽にする最後のチャンスを待っていたようで、これまでよりもかなりの数の兵を潜ませていた。わっと沸いた敵兵とあっという間に乱戦状態になり、王子にも刃が振りかざされようとしたその時、一羽の鷹が風を切り裂いて敵に襲いかかった。
王子の危機を救ったその鷹を、彼は知っていた。

「アズライールだ!みんな、キシュワードがそばにいる。援軍を連れてきてくれるぞ!」

悠々とまいおりて王子の左腕にとまった鷹は誇らしげに胸を反らせた。
そして、アルスラーンの言葉で仲間たちは奮い立つ。ナルサスは感動を覚えるほどだった。誰に教わったわけでもないのに、どうしたら兵士の士気が上がるのかわかっているこの王子に。

やがて何千という黒い騎馬の影が坂の上に現れたとき、ミトは勝利を確信した。

「王太子殿下を、守りまいらせよ!全軍突撃!」

先頭に立ち、双刀をかざす男はキシュワードという。ダリューンと同じ万騎長で、アルスラーンも絶大な信頼をおく、パルス国が大陸に誇る将軍だった。



***



赤い砂岩の城壁に囲まれたペシャワール城砦は、東のシンドゥラ国との国境を守る砦であり、軍事上の要の地点でもあった。
王宮のような豪華な装飾はほとんどなかったが、岩山にそびえる様は、何者にも侵すことのできない神聖さがあり、パルスの権威を体現していた。

この砦を任されている万騎長は二人。
ひとりが先ほど先頭にたって敵を蹴散らしたキシュワード。もうひとりが、最年長の万騎長バフマンだった。
王子一行がペシャワールに入ると出迎えてくれたバフマンは、百戦錬磨の戦士で老将とは思えぬほどのたくましさだったが、アルスラーンに挨拶したときの彼は、気に留めるほどではないが、どこかぎこちなく精彩を欠いていた。



***



ミトは、城で久しぶりの入浴をすませると柔らかい椅子の上に久しぶりにぐでんと身体を預けた。
この世界に来てから、不思議な力を得て、戦闘ではまず苦労することがなくなったのだが、それでも精神的な疲れはどうしても積み重なっていたのだ。
半月も敵兵に追われ続けていたと思うと、その時は一種の興奮状態にあってわからなかったが、こうして安全な場所にいて冷静になると、恐ろしさが蘇ってきてかえって気が狂いそうになる。
無事にペシャワールに入城し、なんとか大軍を得たものの、今後差し向けられる追手はさらに強大なものになっていくだろう。
ルシタニアも本気で王子を潰さなければ、あっという間にこの勢いで各地の勢力が併合されかねないのだから。



ふわああ、とあくびをすると、同じ部屋にいたはずのアルフリードがいつの間にかいなくなっていることに気が付いた。ミトは首をまわして、ファランギースを探した。

「ねえ、アルフリードはどこに行ったの?」
「さて。この城の中におぬしらの面白がるようなところはなさそうじゃ。ナルサス卿のところではないか?」

ファランギースの声は何気ないものだが、どこかミトの様子を探っているような感じがした。世の中の俗なことにほとんど動かされそうにないこの人も、人間なんだなあという気がしてくる。

「ねえ、ナルサスって、女の子を拾ってくるのが趣味とかって噂ある?」
「そういうことは本人に聞くのじゃな」

明らかに声が笑っていた。彼にそんな趣味があるとは全然思えないのだけど、そういえば侍童のエラムも若いし、ほとんどミトたちと体格に差がない。いや、そんなことを考えてもしょうがない。
ミトは力の抜けきっていた身体を起こし、不本意ながら「わ、わたしもちょっとでかけてくる」と小さな声でファランギースに告げた。
行き先は言わなかったが、もはや彼女には言っても言わなくても同じだと思ったのだ。



***



ナルサスとエラムのいる部屋の前まで、ミトはなんとなく誰かに見咎められるのが憚られて、忍者のようにこそこそと移動していった。
幸いペシャワールの兵士くらいにしか会わずに辿り着いた。アルフリードとすれ違うこともなかったから、彼女は部屋の中にいるのだろうか。そんなことをぼんやり考えていると、今度は扉の前で身体が固まってしまった。

「ナルサスに……会いたいんだよね?わたし……」

ぽつりと自分に向かって呟くが、答えはなかった。ファランギースの言葉に、何を焦っているのか自分でもわからなかった。
突然現れた自称「ナルサスの妻」のせいであるのは悔しいけれど間違いないのだ。彼女に会ってから、気持ちがもやもやしているのだから。

「ナルサスはともかく、エラムと仲良くしてたらずるいっ」

ミトは無理やり考えをまとめて、扉を叩こうと手を振り上げた。
しかしその手が頂点に達したとき、誰かに掴まれてしまい、ぱたと動きを止めた。

「俺になにか用事か?」
「!!」

ミトが驚いて声のする方を見ると、不敵な笑顔を浮かべたナルサスがいた。影になった顔にはらりと髪が落ちかかっていて、なんともいえない艷やかさがある。
掴まれた手首を見ると、ナルサスの白く綺麗な指が巻き付いていて、少し恥ずかしくなった。

「俺でなくエラムに用があるなら、とんだ勘違いだが」
「い、いえ……」
「ま、今はやめた方がいいかもしれぬぞ」

彼の言葉に首を傾げると、扉の向こうからなにやらけんかするような声が聞こえてきた。声の主は、エラムと、アルフリードだった。「ナルサスさまに、なれなれしくしないでくれよ」というエラムの言葉が聞こえる。
なんだかナルサスのことで口げんかをしているような感じだったので、ミトは眉を下げ、彼の方を見上げて笑った。

「なんか取り込み中みたいですけど、仲裁しなくていいんですか?」
「俺が入ってもややこしくなるだけだ」
「じゃあ他へ行きますか?」
「そうしよう。少し付き合ってくれぬか」

ぽん、と肩に手を置かれる。二人だけでどこかへ行こうなどと、言った後で出過ぎたことだったのではないかと思ったが、ナルサスは軽やかに先に進んで行った。


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