四人はしばらく無言で馬を走らせた。天にある月は、いつの間にか星座を連れて傾いており、仲間たちと別れてから随分時間が経ったのだとわかる。
他の者たちは、どうしているだろうか、と四人は考えていた。
ダリューン、ナルサス、ファランギースは、素晴らしい戦士であるから、たとえ一人でも敵に遅れをとることはないだろう。しかし険しい山道に、これまでにない包囲網を敷かれ、あの銀仮面の男までもが出てきているとなると、そう簡単にはペシャワールへ辿り着けそうにないと思った。

その予感はすぐに的中した。
ミトたちの走っていた山道の左にあるゆるやかな崖を、馬と人とが雪崩のように降ってきたのだ。「王子を捕らえろ」と叫んでいるのが、夜の闇の中で奇妙に耳に響く。

敵の数は百人を越えていた。ただ、騎兵は十騎ほどしか見えず、あとは歩兵で、つまり奴隷たちであった。

「しつこいなあ。そんなにペシャワールに行かせたくないんでしょうか」
「だから、ますます行く価値がある。彼らがこれほどしつこく追ってくるということは、ペシャワールがまだ敵の手に落ちていないということだから」

アルスラーンの答えにふむふむと唸っているミトの顔の前を、ひゅっと矢がかすめていった。

「ひっ!」

それを合図に、後方から一斉に矢が放たれる。
またしても軌道は低く、人よりも馬を狙った矢の雨は、まずエラムの乗る馬に命中した。苦しげないななきとともに、エラムと、敵から奪ったばかりだった馬はその場に横転する。

「エラム!」

一番はじめに反応したのはアルスラーンだった。馬首を返して、馬をなくした少年を守るために駆けていく。

「で、殿下!」

次いで、ミトがあわてて戻っていくが、王子らはまさに敵に囲まれようとしていた。

エラムは、彼がアルスラーンに対して間接的であるのと同様に、アルスラーンにとっては部下のさらに従者でしかない。それなのに、危険を顧みず助けに戻るとは。
「変な王子だなあ」と、身分の高い者に反感を抱いているギーヴですら、感心というか、呆れというか、とにかくいろいろ思うところがあったのだ。
それでギーヴも勢いよくエラムのもとに駆け戻ろうとしたが、馬の足元に矢が飛び、今度は彼の馬までもが倒れてしまった。

「ちっ……」

素早く飛び降りて反撃の構えを取るものの、馬の重さとともに襲いかかった騎兵の槍をまともに受けて体勢を崩した。
そこへ、別の騎兵の第二撃がうなりをあげて迫っていた。
腕が一本なくなるかもしれぬ、と思った瞬間、ギーヴの目の前に立ったのはミトで、彼女も馬から降りて徒歩になっていたが、敵の攻撃をその巨体ごと弾き飛ばしていた。

ミトの背はギーヴが思っていたよりも小さく、か弱そうであるのに、どうやってあの剣撃を弾き返したのか、彼にはわからなかった。
風になびく長い髪と、鎧をまとわぬ細い身体がやけに神聖なものに見える。
先ほど自分に助けを求めたしおらしい少女はどこへ行ったのか、彼女は緊迫しているが強い表情で振り返った。
白い月の下、この場には不似合いなひとだ、とギーヴは感じた。それは彼女が異界からの者であったことはもちろんあるし、戦場で兜も胸当ても付けていない異様さもある。それ以上に彼の目を惹いたのは、血なまぐさい情景からはほど遠く、神秘的なほどの清らかさがそこにあったからだったのだ。
ミトは、尻もちをついて呆然としている彼を助け起こそうと手を伸ばした。

「ギーヴ、大丈夫?殿下とエラムを助けなきゃ」
「あ、ああ……」

差し伸べられた手をギーヴは握ったのだが、その間、妙にゆっくりとした時間が流れていた。
この緊迫した状況下で、一秒も油断できないというのに、ミトの姿に見惚れていたのかもしれない。

「……おぬし、案外、本当に女神なのではないか」

ギーヴの呟きはミトの耳には入らなかった。そうこうしているうちに、奴隷が王子やエラムのもとへ殺到していたのだ。

「ギーヴ!二人が!」
「ああ、わかっておる」

もう一度そう呼ばれた楽士は、ミトの予想していない行動をとった。
腰につけていた羊皮袋を開けると、奴隷たちの頭上へ放り投げたのだ。

天にある星がいちどに降ってきたかのような光景だった。
それはギーヴからこそこそと貴族やこの戦で倒れた兵士たちから徴収してきた金貨と銀貨だった。宙を舞い、月光を反射し星のように瞬いて、王子に群がる兵士たちに降り注いだ。
ミトはその美しさに息を呑んでいたのだが、兵士――奴隷たちは目の色を変えた。
王子にくるりと背を向け、武器を放り出して、夢中で金貨と銀貨を掻き集め始めた。

「こんなに金があれば、一生生きていけるぞ!」
「馬鹿者ども!欲の深い奴隷どもめが!王子を捕える方が先だ!」

騎士の言葉は、奴隷たちの耳に入らなかった。その隙に、ギーヴが敵の馬にひらりと跨がり、指揮官へ向かって突進していった。
彼らは力の差の前に、切り結ぶこともなく、一方が斬られて地面に落とされた。あまりの呆気なさに、勝利の余韻もなく、ギーヴは剣を振って血を払った。
それを見て、他の兵や奴隷たちはあわてて逃げ出す。悲鳴と砂埃が一斉にあがった。
その混乱のなか。
馬から落ちて徒歩になっていた騎士が、一矢報いようとミトに思い切り斬りかかった。しかし、不思議な力でミトは完璧にその剣を受け止めていた。

「……あなたに私は斬れないですから、生命が惜しければさっさと逃げた方がいいですよ」

いきなり襲われて心臓は驚きばくばくと胸を打ちつけていたが、ミトは平静を装って敵を見上げた。するとそこには不思議な表情がある。
ミトよりも二回りほど身体の大きな騎士は、闇夜のなか、驚愕で目を丸くしていた。
私は斬れない、と言ったことを驚いているのか、いや、彼は目ばかりぎょろぎょろと動かしていて、耳の方は少しも働いていなそうであった。

「きさま、マルヤム国の王女ではないか?」
「……え?」

聞き慣れない言葉に、ミトは眉を顰めた。
騎士はミトをじっと穴の開くほど見つめていたが、自分の考えが確信に変わったようで、やがて興奮と狂気の入り混じった顔でぶつぶつと呟き始める。

「そうだ……間違いない!去年のことだから、まだ記憶がある。俺はこの目で見たのだ、きさまが逃亡するところを。なんてことだ、パルスの王子と、マルヤムの王女が共にあるだと!いずれ東西から我らを挟撃するつもりなのか?」
「……な、なんのこと……?」
「軍に戻ってお伝えしなければ……いや、ここできさまを殺せば終わること。その首、いただくぞ!」

騎士は呆然としていたミトの剣を弾いて体勢を崩させると、腕を高く上げた。しかしそれは振り下ろされることはなかった。
二本の矢が同時に騎士の身体を貫いていたのだ。喋らなくなった騎士は、どさりと身体を投げ出す。
矢の飛んできた方向を見ると、ギーヴとエラムが弓を下ろしていた。

「無事……であろうな、ミト殿は。しかしその男、何か言っていたようだが」
「……ご、ごめん。言葉がよく聞き取れなくて、何のことかわからなかった。助けてくれてありがとう」

ギーヴはふ〜んと言いながらミトを見ていたが、やがて彼女から目を離すと、さっそく辺りに残された敵の馬を選びに行こうとする。

「私もまたおぬしたちに救われた。本当にありがとう」

アルスラーンは明るい笑顔を浮かべ、義理がたく礼を述べていた。ギーヴは軽い調子で「どうも」と会釈をした。ミトは剣を鞘におさめ、身長のあまり変わらない王子に笑顔を返す。
まだ驚きが抜けず、少し引きつっているような気がするが、優しい王子は気付かない。

「どういたしまして。殿下。お礼といってはなんですが、ちょっと聞ききたいことがあるんですけど」
「なんでも聞いてくれ」
「マルヤム国……というのは、この世界のどこかにありますでしょうか」
「うむ。パルスの西北方にあるが」

急にそんなことを聞いてどうしたのだ、と王子からは訊かれることはなかった。
しかし代わりに横から「先ほどの男がマルヤム国のことを何か言っていたのですか」とエラムが口を挟む。

「う、うん。何か言ってたみたいだけど、よくわからなかった。そんな重大なことじゃないとは思うんだけど」
「ミトさま。私ごときが口を出すのは恐縮なのですが、この世界にいる以上、この国や周りの国のことを覚えておかねば、いざという時にお困りになるかと」
「エラムの言う通りだ。申し訳ないが、パルスは今戦時下にあるのだから、関わりのある国くらいは覚えておいた方がよい。私たちとはぐれたときにおぬしに危険が及ぶかもしれぬ」
「ミトさま。ナルサスさまと合流できましたら、この大陸のことを教えていただきましょう」

何も知らないミトに、少年たちは熱心に世界を知るよう勧めた。仮にも戦争中の国に身をおくのだから、そんな知識は当然にして持っているべきなのだ。

しかしミトはどこか上の空だった。騎士の言葉がずっと気にかかっていたのだ。
ぼんやりと瞬きをすると、もとの世界にいた頃の記憶が以前よりも少し霞んでしまったような気がした。
ただ、エラムの言葉でナルサスのことを思い出したので、彼と無事に合流できたら、あの騎士の言葉の意味を尋ねてみようかと思った。
しかしナルサスは今どこで何をしているのだろう。
急にミトの心に不安が過った。ダリューンやファランギースはもちろん無事であって欲しいと思うのだが、ナルサスのことを考えるとなぜか心配で仕方なくなってしまって、ミトはぶんぶんと頭を振ってそのことを追いやった。

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