それからまたミトたちは、馬を駆って追手を退けながらペシャワールを目指していた。
アルスラーンはエラムによく話しかけていて、なんとなく冷ややかであった二人の距離がこの何日かでかなり縮まったような気がする。
ギーヴも、はじめは気だるげにミトたちのために食糧や休憩できる場所を探していたのだが、今では頼まずとも率先してやっていて、そんな健気な自分に自分で呆れつつも感心しているようだった。

太陽が高く上った真昼に、ミトたちは草地を走っていたのだが、ふとギーヴが手をあげて一行を制した。
見ると、草のなかに栗毛の馬がいた。

「馬肉が手に入れば、何日かはもちます。俺が手に入れてきましょう」

鞍も手綱もついていないので野生の馬かと思ったが、どうも違うらしい。少し場所を移動した馬を見て「側対歩で走る野生馬はいませんから、誰かの馬なのでしょうな」とギーヴが言っていた。
訓練された馬ならば肉にするのは惜しいが、食糧と交換することもできる。いずれにせよ、貴重な財産になるのだ。

ギーヴは革ひもで作った投げ縄を用意すると、馬から降りて草の中に隠れた。そしてゆっくりと近付くと、馬の首に縄をかけた。
そこまでは、丈の高い草の向こうからミトたちにも見えていたのだが、しばらくした後で「ダリューン!」「ギーヴ!」という聞き覚えのある声があがったので、思わず顔を見合わせてしまった。



***



「まさかギーヴが盗もうとしたのがファランギースの馬だとは、傑作だな」

久しぶりに再会した一同は、まず互いの無事を喜び合い、そしてギーヴの行動の可笑しさに笑い合っていた。しかし、まだ一人が欠けていた。それですぐに深刻な表情になって顔を突き合わせる。

「ナルサスは、ダリューンたちとは別だったのですね。無事だといいけど……」
「心配せずともよい。こと剣に関しても、ナルサスの上を行く者など、めったにいないからな」

ダリューンの言うことは事実だと思うのだが、ミトたちはまだあの銀仮面に出会っていなかったし、そうだとすればナルサスの進んだ道に潜んでいる可能性が高い。いたずらに、不安だけが渦巻いていた。

「われわれは、七人揃って一体ではないのか。もう離れ離れになりたくない。ナルサスを探しにいこう」

アルスラーンの言葉に、自分のことのように感銘を受けたダリューンは頭を低く下げた。

「ありがたいお言葉……。ですが、殿下にそのような危険なまねをしていただくのはナルサスの本意ではございますまい。このエラムと私とで、彼を探してまいります。殿下は一足お先にペシャワールへお進みください」

皆がダリューンの意見に賛成したので、謙虚な王子はそれに従うことにした。アルスラーン、ギーヴ、ファランギースは東へ馬を向け、ダリューンとエラムはその場に留まった。
ミトはその真ん中で、立ち止まっていた。
「ミトはどうする」と声をかけられ、ようやくはっとして馬を回す。
どちらへ進むか、自分の意志は決まっていた。ここにナルサスの姿がないとわかったそのときから、本当は決めていたのだ。

「私も連れて行ってください。自分の身は自分で守れるから、ダリューンを煩わせることはない、と思う……」

妙に言い訳がましくなってしまった。別にそんなことを考えていたわけではないのに。

「ミトも、そちら側か?」
「うん。殿下は二人がいれば平気でしょう」
「そちらもダリューン卿がいるから何も心配はないのでは」
「……いや、私は、ナルサスが心配だから……」

やけにギーヴに残念そうに言われ、ミトはようやく本音を零した。聞き届けたギーヴは馬を近づけ、ミトの肩にぽんと手を置く。

「そうか。では止めはせぬが、おぬしがいればまさに両手に華で、俺にとって至上の一時になったのにと思わずにはいられぬ」
「おぬし、なんだか以前よりミトのことを気に入っているようだな」

少し驚いたようにしているダリューンに対し、ギーヴはふふんと鼻を鳴らした。

「ああ、その強さがあだになることもなるのだなあ。ダリューン卿ほどの騎士であれば、ミト殿が戦の女神のごとく地上に降臨するお姿を見ることはないのでしょうな。もったいないことだ」
「……殿下、我らのいない間に一体何があったのでしょうか」
「ミトが敵の手から救ったようなのだ、ギーヴのことを」

アルスラーンは困ったように眉を下げた。わけがわからず眉を寄せるミトの方は見ず、なおもギーヴは、得意気に続ける。

「ま、いずれ殿下もダリューン卿も、ミト殿の虜になるでしょう。すでに心奪われたこのギーヴとそこのエラムのように」
「え、エラムも!?」
「い、いえっ、私は、そのようなことはっ」

急に一行の視線を浴びて、エラムは馬上でわたわたと戸惑っていた。ミトはといえば不思議そうにエラムとギーヴを見比べていて、この国の遠回しな表現かと、首を傾げるしかなかった。



***



「ナルサスめがいたぞ!」

低い崖に囲まれた道を、馬蹄の轟が響き渡り、もうもうと土煙を立ててパルスの軍師を追いかけていた。
何日も逃げまわり、ナルサスの馬は疲れていた。
次第に、追う者と追われる者との距離が狭まっていく。
追手たちはいまにも追いつきそうになって剣を片手に歓声をあげていた。しかし獲物を追いかけ、崖のはしを回ろうとしたところで、生命を刈り取る黒羽の矢が、空気を引き裂いて彼らの先頭を走っていた騎士に突き刺さり、身体ごと吹き飛ばした。

「!?」

誰がやられたのか確認する間もなく、次々と矢が飛び、彼らの仲間をひとりずつ撃ち落としていった。
恐怖はすぐに広がり、増幅した。追手の兵たちは、悲鳴をあげながら後退し、ついに一人残らず逃げ去っていった。

「ナルサス、ひとつ貸しておくぞ」
「ぎりぎりで間に合って、えらそうに言わないでほしいものだな」

速度を落とし、こちらへやってきた馬を見て、弓をおろした黒衣の騎士が不敵に微笑む。ナルサスはいつもの通りやり返すが、どこか安堵したような表情。いくら彼のような強い人間とはいえ、半月に渡って仲間たちと離れていたのだから、安心くらいはするのだな、とミトは思った。
それは逆も同じで。ミトは、彼が一人でも申し分ない強さと智略に恵まれているのは知っていたが、それでもなお何かあったらどうしようという不安は大きかった。だからこうしてまた彼に会えて、驚くほど安堵していた。
この世界ではじめてミトを受け入れてくれたひとは、どうしても特別な存在だったから。

「ナルサスさま、ご無事でよろしゅうございました」

馬からおりたエラムはさっと跪くと、主人の無事を心の底から喜んでいるようだった。

「エラムも、怪我はないか」
「はい。ナルサスさま。アルスラーン殿下もご無事です」
「そうか!それはなにより……」

そこでナルサスは、さも今気付いたというふうにミトへ視線を向けた。
先ほどまで大勢の敵に追われていたというのに、彼は余裕のある、優雅とさえ言えそうな動作で、顔にかかる髪を退けた。

「おぬしもいたのか、ミト。声をかけてくれねばわからぬではないか」
「す、すみません。久しぶりに会えて……少し緊張してしまいました。ご無事で本当によかったです」
「そうか。ミトも無事でよかった。おぬしがどうしているかと心配していたし、会えなくて寂しかったよ」

その言葉はミトを震えさせた。とても大事な人に、離れているときでもこの身のことを考えてもらっていると思うと、たまらなくなった。
しかしミトは彼に返答することができなかった。急に口をつぐんでしまったからだ。
今まで認識していなかったのが不思議だが、彼は見知らぬ少女をひとり伴っていたことに気が付いた。
もう一頭の馬に乗った少女は、水色の布を頭に巻き、赤みがかった髪をたらしている。

「ナルサス。こちらの女性は?」

最初に彼女のことにふれたのはダリューンだった。目鼻立ちのはっきりした少女は、自分のことを聞かれたとわかって、馬上で首を少し傾けた。
どういうわけか、彼女のことに話題が移った途端、ナルサスは狼狽しはじめる。

「いや、つまりこれは……」
「わたしはアルフリード。ナルサスの妻だよ」

なんてことないように放たれた言葉に、一同は驚きで一瞬胸がつかえそうになった。
ナルサスはすぐに「ちがう!」と叫んだが、アルフリードと名乗った少女は気にもとめずに続けた。

「うん、ほんとうはね、正式に結婚していないんだ。だから、ただの情婦だけど」
「情婦!?」
「ナルサス……」
「ナルサスさま……」

エラムとミトは、完全に打ち砕かれたような目をしていたと思う。尊敬、敬愛、崇拝すらしてやまなかった人が、この半月のうちに、まだ成人してもいない少女と一体何があったというのだろう。

「ちがう、ちがう、俺はなにもしておらぬ。妻だの情婦だのと、この娘の出まかせだ」
「いやにあわてるでないか」
「あ、あわててなどおらぬ。この娘はゾット族の族長の娘で、例の銀仮面に狙われていたところを、救ってやったのだ。ただそれだけの縁にすぎぬ」

魂を抜かれたようにしているエラムとミトをよそに、ダリューンはなかば嬉々としてナルサスを追撃する。あわてたナルサスを見て、アルフリードが「ナルサス、隠さなくてもいいのに」とわざと気取った笑いを浮かべていた。

「余計なことを言うな。本当に、何もしてはおらぬ。途中の村で、隣の部屋に寝ただけだ。うしろめたいことなど何もない」

軽くあしらおうともせず、自分の潔白をむきになって主張し続ける――。まだ付き合いは浅いのだが、ミトはこんなナルサスは初めて見た。恐らくエラムもそうなのだろう。絶対の信頼を寄せる主人が、この小さな少女にたじたじですっかり困り果てているのを、呆然と眺めている。

「まあ、すんだことはともかくとしてだ、ナルサス……」
「どういう意味だ!?俺は何もすませたりしておらぬ」
「ああ、わかった。これからのことだ。おぬし、この娘をペシャワールの城に連れていくのか?」
「そうだ、忘れていた。アルフリード、おぬしはゾット族の族長の娘なのだから、銀仮面に討たれた父上にかわって一族を指導しなくてはならないはず。一族のもとに戻ったらどうだ?」

ナルサスは、是非そうしてくれと言わんばかりの表情をしていた。しかしアルフリードはやはり気にせず、「心配はいらないよ」と笑顔をつくった。

「あたしには兄者がいるんだ。頭がいいのと性格が悪いのが両方揃ってる兄者がね。だからあたしが戻ったところで、結局喧嘩になるか追い出されるかだから、何の心配もいらないよ」
「心配させてくれぬものかなあ」

彼女の返答にナルサスは肩を落とした。
そこでふと、「おい、エラム……」と呟いたナルサスの声で、ミトは自分の隣にいたはずのエラムが、ひとりで馬をさっさと歩かせ始めていることに気が付いた。
声をかけられたのでエラムは振り返るが、その目は明らかに冷ややかだった。

「ダリューンさま、ミトさま、急ぎましょう。すぐまた追手も来ましょうし、アルスラーン殿下がきっとお待ちかねです」

主人を無視する――。こんな侍童を見たのは、ナルサスも初めてだっただろう。



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