「ミト、大丈夫か!?」

身体を揺さぶられて、意識が覚醒する。ぱちりと目を開けると、真剣な顔でこちらをみつめる青年がいた。

「あ……私……そっか、ありがとうギーヴ」

今はパルス暦三二一年、ここはエクバターナの外。
まばたきを繰り返しながらそれを認識して、ミトは眉を下げて彼にお礼をいうのだった。
また、過去へ行ったのだ。そのせいでこちらの時間軸にいる自分は気を失い、ギーヴがなんとかここまで引っ張ってきてくれたのだと理解できたからだ。

「まったくミトどのはどれだけ俺を焦らせれば気が済むのだ。軍師どのに殺されると思って変な汗をかいてしまった。その前にアンドラゴラス陛下に斬り殺されるかと思ったが……しかし、おぬし、身体は大丈夫なのか?陛下に思い切りふっ飛ばされていたが」
「うん……ごめん。身体は大丈夫なの」

ミトはそう呟きながら、叩き折られたはずの肋骨をさすり、そして、自分の白く綺麗なままの腕に視線を向ける。あのとき、燃え盛る炎の中に手を差し伸べたのだから、本来ならばこの腕もヒルメスのように火傷を負うべきなのだけど。
身体に不調がないことを確かめると、ミトは顔をあげ、役に立ちすぎる青年と目を合わせた。

「でも、本当にごめん、あと、ありがとう。ギーヴはいつも私を助けてくれるから……」
「……ミト、どうした?」

そう言いながら――自分ではまったく気づかなかったのだが――どういうわけか泣きそうな顔をしてしまっていた。彼の前では、少しでも心を動かせば見抜かれてしまうというのはわかっていたのに。
しかし、何が起きていたのかはまだギーヴにも説明できない。この力のことはナルサスと自分しか知らない。解明できていないことが多すぎるし、この世界の法則を凌駕しかねないほどのイレギュラーなので、なるべく秘密にしていようと話し合っていたのだ。

それでも、弱音を、後悔を、吐露するくらいは構わないだろうか。
だって彼はこんなにも優しく、それでいてさも無関心なように、わたしを助け、わたしの言葉を待っていてくれているのだから。

「……ギーヴ。私、パルスを見殺しにしてしまったかもしれない」

立ち上がり、森の入り口に繋いだ馬の方へ歩きながら、ミトは声を漏らした。
彼は目をわずかに見開く。なんでも聞くぞ、という態度ではあったものの、ミトから聞かされたのは予想もしていなかった言葉だったからだろう。

「……どういうことだ?ヒルメス王子を守ったことがか?」
「うん、それも、二度も。あれがヒルメスなんだってわかってるのに、はっきりとした意思で……」
「……」

要領を得ないまま言葉を続けるミトを、彼は問い詰めようとはしなかった。
ただ、たおやかに、軽薄に、鮮やかに、少しの沈黙のあとで笑って肩を竦めただけだった。

「うむ。何が言いたいのかはよくわからぬが、おぬしがヒルメス王子を救ったことが原因でパルスがこのように侵略されているなどと思うのは、やや傲慢というものだ」

彼は過度に抑揚をつけながら、詩のを朗読するように言葉を紡いだ。ミトは返事もせずにそれに聞き入った。

「パルスが一度滅びるという歴史は、今か、少し先か、いずれにせよどこかの時点で起こることだと、俺は思っている。ヒルメス王子はどの時代にあってもパルスを恨み殺す星のもとにあるとは思わぬか?あの御仁の憎悪はやすやすと止められるようなものでなかった。よもや、よそ者のおぬしにそれが出来るはずもない」
「よそ者……ふふ、そうだったね」

ギーヴの言い方に、ミトは肩の力が抜けたような気がした。すると、緊張を解いたその一瞬に、ギーヴの手がのびてきて、ミトの肩を抱いた。

「だが、よそ者のおぬしが、この国に、この国の人々の心に深く入り込んでしまっていることも事実だ。実は俺もそのうちのひとりなのだが……」
「そっか、それはまあ嬉しいけど」

ギーヴの顔がすぐ近くにあるのに、不思議と穏やかな気持ちだった。友のように、恋人のように、そのどちらでもないような、繊細な感覚だった。

「本当はミトどのがそれほど強くないのを、俺は知っていますよ。ひとりで全てを抱え込もうなどとされては、その細い身体は折れてしまいましょう。軍師どのだけでなく、もっと俺にも寄りかかってよいのだぞ?」
「んー、個人的には、ギーヴにだけはいつも無理を言ってるんだけど、でもいつまでもそういうわけにはいかないもの」

彼は笑って、身体を離した。木々の隙間から差す光がきらきらとその頬を照らしていた。

「……ミト。俺がとやかく言うことではないが、おぬしはこのままで良いと思っているのか?」
「急に、なに?」

唐突に質問をぶつけられ、少しだけ、言葉に詰まった。しかしミトの心はずいぶんと穏やかで、少しも動揺していない。その証拠に、すぐに答えが唇からこぼれ落ちる。

「そうね。私は、どこかで身を引くべきなんだろうとは思ってるよ。いや、そうしなければいけない時が必ず来ると思ってる」

これは、用意されていた質問、用意されていた答えだった。
もう何度も、自分の中で繰り返していて、そしてそれと同じように、彼らも繰り返していてくれたのだろう、と静かに思う。

「……そうか。ではせいぜい楽しむのがよろしいかと。異界の姫さま。俺はあなたがその役目を終えるときまで忠実にお供しますとも」
「ありがとう。ギーヴがいてくれるなら地獄でも楽しめると思う」
「至上の言と存じます」

言葉ではそう言うものの、きっと、自分はもう、この世界にいたいという願いをはっきり持ってしまっている。けれども、それは叶わぬ願いだという諦めをついに振り払うことができなかった。
これはうつくしい祈りなのか、みっともない欲望なのか、長い夢が醒めるだけなのか、舞台の幕が降りるだけなのか、この先なにが起きて自分は何を思うのか、想像もできないのだけど。

「さ、それじゃ急いで戻ろうか、ギーヴ」

いつまでもここにいるわけにもいかないということを思い出し、ミトは馬の背にまたがろうと手を伸ばす。すると、不意に肩を掴まれた。振り返るとギーヴがなにやら真剣な眼差しでこちらを見ていた。

「ミト、このままどこかへ行ってしまおうか?」
「……突然なに?」

ミトは笑って眉を寄せた。いつもの冗談とは違った雰囲気だったが、彼はすぐにふっと息を吐き出し、軽薄な面持ちへと表情を変化させた。

「……はっはっは。今なら貴女を攫っていけそうだと思ったんだが……やはり俺にはそこまでの覚悟はなかったな」
「……なんか失礼なことを言われてる?」
「いいや、敬意を表しているのですよ。ミトと、ミトを想うこの世界の当事者にね」

ミトは「そうかな。ありがとう」とだけ返して、馬に乗った。



***



ミトとギーヴはエクバターナから離れ、東に向かい、アルスラーンたちとの合流を目指す。
アルスラーンは、アンドラゴラス王に会うために、王が率いるパルス軍の本陣に向かっていたのだが、肝心の王はさきほどまでエクバターナの城内にいたから、彼らはどうやら行き違いになってしまったようだ。
ひょっとすると母である王妃タハミーネがいて、とりあえずは親子で話ができたのかもしれないが、今後の進路はアルスラーンらと合流してみないことにはわからないままだった。

馬を走らせながら、ミトは「あのヒルメスですら正統な王位継承者でなかったとすると、結局あの玉座は誰がふさわしいと思う?」とギーヴに訊く。

「さあて、俺にはあまり関係のないことだが、こうなるともはや誰が王になっても可笑しくない。ようやく面白くなってきたというわけだ」

興味がないという割に、彼は愉しそうに声をあげた。きっと彼の中では、彼がふさわしいと思う王はもう決まっているのだと思う。その未来への期待で、目を輝かせているのだろう。

しばらく走ると、丘の向こうから、騎馬が一騎駆けてくるのが見えた。
「ん?あれは……」と目のいいギーヴが唸っているうちに、その影は大きくなってミトたちにまっすぐ向かってくる。
エラムだった。他に誰も伴っておらず、一騎だけだったが、見知った姿にミトはほっと息を吐き出した。無事に彼らと再会できたのだ。

「ミトさま、ご無事で!」
「エラム、ありがとう。もしかして迎えにきてくれた?」
「はい!行き違いにならずに安心しました」

確かに、ここはもはやただの行路ではなく、戦場の真っ只中であるから、行き違いになったりはぐれたりすると会うことは難しい。しかし、こちらも合流地点はわかっていたのだから、わざわざ迎えに来るなんて何かあったのだろうか、と訝しんでいると、エラムはこう言うのだった。

「戻ったばかりで申し訳ないのですが、我らはこれからデマヴァント山へ参りますので、ミトさまたちもお急ぎください」

予想もしなかった行き先に、ミトもギーヴも顔を見合わせた。

「……え?デマヴァント山って、ずっと東の……?」
「はい。殿下がそう仰せに」
「はあ、またどうしてあのようなところへ?」

かつて軍を離れ単独行動をしていたギーヴは、たまたまそこを訪れたことがあったため、余計に驚いている。
だが、首をかしげる二人に向かって、エラムはまるで自分のことのように誇らしげに語った。

「宝剣ルクナバードを手に入れ、王位を継承する資格とするのです。殿下は、パルスの王になられます」


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