さて、空になったエクバターナへ入城し、門を閉ざして籠城していたヒルメス陣営であったが、せっかく王都を奪還したというのに、彼らのなかには拭いきれない不安が広がっていた。
そもそも籠城というものは、援軍が来る前提のもとで行うものだが、ヒルメスの場合はどこにもそのあてはない。ギスカールが持ち出したせいで城内には武器も資金もほとんどなく、糧食は足りず、水不足で血の痕を洗い流すこともできない。
市民の不満が大きくなる前に、ヒルメスはこの戦いに決着をつけなければならないのだが、焦りばかりが膨らんでいく。彼がただ「正統の王」を自称しているだけでは、事態はなにひとつ好転しないと思い知らされたのである。



***



一方のアルスラーンは、「王都に行って、父上やヒルメスと話し合ってみたい。それがだめなら、様子だけでも知りたい」と、ダリューン、ナルサスに告げていた。
それを聞いて、両翼はやや顔を見合わせる。
はじめに王太子をとめたのはダリューンの方だった。彼にとっては、アンドラゴラス王は敵であるという思いもあるし、単にアルスラーンのことが心配だったからだ。
ナルサスも、もはや話し合いではどうにもならぬし、アンドラゴラス王とヒルメス王子が散々殺し合った後にアルスラーンが出ていって事態を収拾すればよいと以前から考えていた。
しかし、ダリューンが「ナルサス、おぬしも殿下をとめてくれ」と視線を送ったにもかかわらず、結局ナルサスは王太子に賛同した。そして彼が「俺に考えがある」という顔をしたので、ダリューンも従わざるをえなくなってしまった。

こうして、アルスラーンは数人の部下を引き連れて軍を離れ、エクバターナへ向かった。八月十四日のことだった。



***



「あの、もう少し近くまで見に行ってはいけませんか」

王都の城壁がみえてきたとき、そわそわしながらそう言ったのはミトだった。
将を失ったルシタニア軍はこの地ではもはや脅威でなく、エクバターナに陣取っているのも同じパルス人たちである。そこまで危険はないのでは、と説くのだが、ナルサスは首を縦には振ってくれなかった。

「せっかくだから、様子を見てくるのもいいと思いますがね。ヒルメス卿がどのような統治をなさっているのか、俺も興味がありますとも」

その状況を見かねてか、単に好奇心があっただけなのか、ギーヴがミトの側に立って援護した。
ナルサスは眉を寄せ、やや時間をおいてから、渋々といった様子で頷く。やはり、以前のような危険はない、と彼も判断したのだろう。

「ギーヴ。いつだったか、王都の地下水道を案内できると言ったな?」
「ええ、もちろん。どこへなりとお連れいたしますよ」
「ではミトと一緒に様子を見てきてくれ。ただし、くれぐれも無茶はしないように。アンドラゴラス陛下が地下水道を攻めている可能性もある」
「……ほう。ミトと、俺で」

あまり人数がいては不審であるし、ギーヴのような者には単独行動をさせる方が真価を発揮できる。それはわかる。しかし、ナルサスがミトを行かせることを意外なほどあっさり赦したのが納得できず、ギーヴは訝しむような表情をしてみせた。

「……軍師どのはそれでよろしいのですか?なにかあっても……」
「わかっているな?ギーヴ」

有無をいわさぬ威圧感に、ギーヴは肩を竦めた。

「ギーヴ、迷惑かけないようにするからよろしくね」
「……はいはい。しっかりお守りしますとも。俺の命に替えてもね」

どちらにしろミトになにかあったら俺が殺されるのだからな、と彼は呟くが、まんざらでもない様子で笑みを浮かべていた。彼とて、ひとりの武人として頼りにされるのは素直に栄誉なことなのだろう。

ナルサスがミトのすきにさせるのにも、もうひとつ別の理由があった。

それは、以前から気になっていたわけだが、どうも『ヒルメスはミトのことを知っている』ような節があるということ。それを確かめ、歴史を歴史どおりに進ませることが、最後の時を迎えるのには必要なのだと、彼にしては珍しく根拠もなく考えていたのだ。



***



ミトは、ギーヴの案内で王都の外れから地下水道に侵入した。
王族や一部の貴族しか知らない秘密の通路らしいのだが、数十人の兵が並んで歩けるほど広々としていた。冷たい地下には光はなく、松明の灯りが途切れ途切れに壁を照らしているだけだった。
似たような景色が続く道を、どうしてギーヴは少しも迷わず進めるのか不思議だったが、その頼もしさが今はとてもありがたい。逆にいえば、彼とはぐれてしまえば永久にここから出られなくなってしまうような不安はあるのだが。



「おかしいな。兵が少なすぎる」
「え?」

しばらく進み、見回りの兵士をやり過ごしてから、ギーヴは足を止めた。
たしかに、侵入してからずいぶん経ったが、ほとんど兵を見かけていないのだ。

「ルシタニア軍が最初に攻めてきたとき、この地下水道を突破されたことが王都陥落をはやめたとか言われていたが、ならば、ヒルメス王子もアンドラゴラス王もここを放っておくはずがない」
「うん、ナルサスもそんなようなことを言ってたね」

血痕や武器の残骸など、戦闘があった痕跡はあるが、もうすべて引き上げてしまったかのように、地下は静まり返っていた。
まさか、すでに決着がついてしまったのだろうか。アルスラーンや自分たちは趨勢を読み間違えたのか――

「……ねえギーヴ、んっ」

考え事をしながら歩いていると、前を歩いていたギーヴが急に立ち止まり、ミトはその背にぶつかってしまう。

「ミト、静かに」

くるりと振り返ったギーヴに壁際まで押し返される。しっ、と人差し指をたてたギーヴは、次にその指で通路の先を指し示す。
視線を動かしてその光景を見たとき、ミトは緊張で呼吸を忘れた。

真っ暗な闇のなかを、堂々たる体躯の男がひとりで歩いていく。豪奢な、だが武骨な鎧や装飾品が、ぼうっと亡霊のように浮かび上がっていた。
その足音が遠のいてから、ミトは金縛りから解けたように、全身で息を吐き出した。

「……ギーヴ、あれって……王さま?」
「ああ。アンドラゴラス国王陛下だ」
「どうしてこんなところをひとりで……?」
「……なるほど。あの国王がお通りになるから、ということは、両軍とも兵を引いているのだな。何らかの交渉があったか……うむ……」

異様な気配に気圧されたミトは状況をうまくのみこめない。だがギーヴはふむふむと一人頷き、なぜか、少し嬉しそうにしている。
すると突然、ギーヴはミトの手を掴んだ。気を張っていたせいで、ミトは驚いて身体をはねさせた。

「何をしている。あれについていくぞ、ミト」
「え、ちょっとギーヴ、無茶しないって……」
「なんの。おぬしが大人しくしていてくれればなんの問題も起きますまい。国王がひとりで向かうとなれば、当然相手もひとりであろう。これは、ナルサス卿に大きな土産を持って帰れそうだ」



***



ギーヴの予想したとおり、地下水道から城内まで結局ひとりの兵も見なかった。
将どうしが一対一で会うために、お互いに兵をひいて邪魔が入らぬようにしているのか。一体なんのためなのかは想像もできない。だからこそ、ギーヴは好奇心を隠そうともしないし、一方でミトは自分がその場を見てしまってもよいのかと不安になっている。

アンドラゴラスの姿は見失ってしまったものの、行先はおそらく玉座のある間だろう、とギーヴは言い、まっすぐにそこへ向かう。
まったく役に立ちすぎる男というのも都合が悪いものだとミトは思うが、彼は現実感覚も優れているので、無茶をしすぎるということがない。その点は安心できるのだが、とぼんやり考えていると、背の高い豪華な扉の前で彼が足を止めた。

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