翌日は朝から唯ちゃんちに行くことで頭がいっぱいになっていて、いつも以上に怠惰に時間をやり過ごして、日が落ちるのを待っていた。
最近彼女のことばっかり考えていて、少し前までと随分変わってしまったなと思う。とはいえ唯ちゃんと会っていない時間は、あいかわらずただただ流れていくだけで無気力なのは変わらないけれど。

夕方になってからいそいそとでかける準備をし始めたところ、別に今まで俺の行き先なんて気にしたこともなかっただろうに、珍しく兄弟たちからの視線を感じた。
昨夜電話で呼び戻された後は、全員酔っ払っていて深く追求はされずに済んでよかったけれど、ここで何か言われると面倒だった。
声をかけられる前に家を出ようと急いだが、逆にそれが興味を引いてしまったのか、ついにおそ松兄さんに「なあ一松どこ行くの?」と尋ねられてしまった。

「……ちょっと買い物」
「夕飯は〜?」
「……いらないって言っといて」
「食べてくんの?」

居間には生憎と兄弟たちが全員揃っていた。扉を開けて外に出つつ言うが、兄さんの乾いた声は続く。

「一松さあ、お前なんか女の子の友達ができたって聞いたけど、その子と遊びに行くわけ?」

その言葉で俺の足は止まって、居間で思い思いのことをしていた兄弟たちもこっちへ視線を向けた。ちら、と振り返ると、こたつに入ったトド松が「ごめん兄さんに喋っちゃった〜」みたいな顔をして大きな黒目で俺を見ていた。

「……そうだけど?」
「マジ!?」

別に隠すようなことではないし、否定しても面倒だからとりあえず肯定すると、兄弟たちはわっと沸き立った。

「えっ、その子すっげえかわいかったってトド松から聞いたんだけど、マジ!?」
「さ、さすがだなお前も。やるときはやると思っていたが……」
「ちょ、い、一松に女の子の友達って……大丈夫?変なことさせてない!?」
「女の子!?いいなー何して遊んでるの!?」
「あ、やっぱりまだあの子と続いてたんだね一松兄さん」

五色の反応にいちいち返事をするのも馬鹿らしかった(予想の範疇だったし)ので、俺はそれを背中で受け流して玄関へ向かった。

「一松ぅ。お兄ちゃんたちにも紹介してよ。ひとりだけ楽しんでるなんてずるいぞ」

居間から顔を出して言ってくるおそ松兄さんを振り返ると、いつもの上機嫌なへらへらした笑顔を浮かべていた。
別に、ひとりだけいい思いをしようとしてるわけじゃないし、単純に楽しめているわけでもなかった。
恋は、そのほとんどが不安で寂しくて情けない。それでも彼女に会いたいと思って行動しているんだから、これは本物の意志であるだけで。

「悪いけどさあ俺急いでんの。いくらみんなでも邪魔されたら俺どうなるかわからないから」

早口で呟くと、ぴしゃりと扉を閉めた。




「……え?あいつ本気?マジ?」

薄っぺらい言葉を投げていた自覚のあるおそ松は、表情を強張らせる。
取り残された5人の兄弟は、玄関先から聞こえた四男の言葉に絶句していた。まさかあんなことを言い放つとは、誰も想像していなかったのだ。

「……ねえトッティ、俺大丈夫だった?なんか地雷踏んだ?」

誰からも反応がなく一層不安げな顔になった長兄は、この中で一人だけ一松と彼女を見たことのある末っ子を名指しで呼んだ。

「う、うーん。一松兄さんあの子は他人だとかなんとか言ってたけど、けっこう入れ込んでる感じあったんだよね……」
「え、じゃあやっぱ俺やばくね?」

おそ松の不安が広がり、全員がやや俯いていく。一松のあんな様子を見るのは初めてだったから、あれがもうラインを越えてしまっていたのか、セーフだったのかもわからない。

「ってことは昨日の夜も絶対その子と一緒にいたよね!?うわ、俺電話して帰って来いとか言っちゃったわ」
「でも昨日はすぐ帰ってきたじゃん?」

チョロ松がフォローするが、トド松は「それはそれでなんかこじらせてそーなんですけど……」と不穏なことを口にする。目に見えない敵と戦っているかのごとく、兄弟たちの動揺は加速していく。

「まあ、一松が本気そうなのはわかったよね」
「とりあえずあいつが何か話すまでそっとしとくか……」
「うん……」

女の子が絡むとどうしたらいいかわからないのは、他人事でも同じ。しかし、一松の真剣さから、からかったり邪魔したりしていいものではないということだけは彼らにも理解できたのだった。



***



「ごめん今日ちょっと急用ができちゃって……うちに来るの来週でもいい?」
「……」

家を出て歩き始めてすぐに唯ちゃんから着信があったと思ったら、そんなことを言われて、俺は少しの間固まっていた。
冷え込み出した空気で、指先が悴む。「……あ、うん、わかった……」とやっと呟いたら、吐く息も白くなった。

昨夜、唯ちゃんとご飯を食べて泣かせてしまって、それから彼女の家に行って。どうしようもなく好きだと思ってしまったから、また家に行きたいと頼んで、承諾してくれたところだったけれど。
彼女は俺とちがってニートじゃないし、いろいろ理由や急用もあると思うが、たぶん約束を断られたのはこれが初めてだった。
すると、自分でも驚くほどがっかりしていることに気付いて、思わず笑いを浮かべてしまった。どんな理由であれ、拒まれるってきつい、と感じて表情が歪む。
会う約束を断られただけでこんなにしんどくなるのに、もし告白して拒絶されたら、耐え切れるんだろうか。考えただけで吐きそうになった。

どうせ唯ちゃんが俺を選ぶことはないんだろうから、この気持ちは隠したまま、可能な限り一緒にいられればそれでいいんじゃないか。
望みすぎたら、俺の弱い心はいずれそれ自体に潰されてしまう。今の俺が望める幸せはここが限界なんだとぼんやり言い聞かせた。



そして、あんなことを言って出てきたのに数分と経たないうちに家に帰ることになったわけだけど。

「あ、あれ、一松?……おかえり、でいい?」
「あ、帰ってきてくれたー!おかえり一松兄さん!」
「……ん、ただいま」

若干どころじゃなく気まずい気持ちで玄関をくぐったが、意外にも兄弟たちがあたたかく接してくれて驚いた。
普段だったら「は?なんでもう帰ってきたの!?」とやかましく追求するんだろうけど、俺があまりにも寂しそうだったのか、家を出るときの言葉を気にしているのか、柄にもなくこちらがしんみりしてしまうくらい、彼らはやさしかった。



***



約束を取り消されてから数日後、唯ちゃんから「今日きていいよ」と連絡があった。
俺は寝転びながらその待ちわびたメッセージを見て、あの胸の押し潰されるような気持ちを味わうためにまた彼女のところへ行くんだな、とぼんやり考えた。
しばらく彼女から離れていて、なんの刺激のないかつての日常に戻っていたから、あの痛みが懐かしくさえあった。
ほんと、恋ってなんなんだろう、と溜息が出る。


先日のことがあってから、俺がどこかへでかけるときはもう兄弟たちも余計な詮索をしてこなくなった。それはそれで妙に気を遣われている感じがして落ち着かないのだけど。
まったく、何かされたら嫌になるし、何もされなければ寂しいと思うとか、この心はどれだけ幼稚なんだか。
玄関でサンダルを履いていると、たまたまチョロ松兄さんが通りがかって「あ、一松でかけるの……」と呟いた。へたなことを言ってはならない、という緊張感がさっとその顔に浮かぶのが俺にもわかった。

「ん。ご飯も外で食べてくるから」
「わかった。母さんに言っとくよ」
「あと行き先だけど、女の子の家だから」
「えっ……は!?」

不意打ちをくらったらしく大声をあげたチョロ松兄さんのことをうっすらと笑うと、童貞をこじらせている兄さんは「お、お前……」と小さく震えて赤くなっていた。

「か、帰ってくるよな?泊まるわけじゃないよな?」
「たぶんね」
「は、ははは。じゃ、じゃあさっさと行けよ、ほら、ちゃんとがんばってこいよっ!」

奇妙な笑顔とテンションで、ばしんと背中を叩かれて、その勢いのまま俺は家を出た。

家族って、可笑しい。どうして些細なことでばらばらになりそうになっても、簡単に取り戻せるんだろうな。どうしてどこかで繋がってるって確信することができるんだろう。
そういう特別な絆は、今まで家族との間にしか見えていなかったけれど、俺は気付かないうちに、たぶんもう唯ちゃんにもそれを求め始めていたのだと思う。




「一松さん!はいってはいって」

数日ぶりに顔を合わせた唯ちゃんは、家の扉を開けると俺の名前を呼んで手招きした。
しばらく会っていなかったけど変わりはないようで、ほっとする。
何度目かになる彼女の部屋へ足を踏み入れると、美味しそうな料理の匂いがぷかんと浮かんでいた。あたたかい照明の光が部屋を包んでいて、自分の家でもないのに、「ああ、戻ってきたなあ」なんて思い込んでしまって鼻の奥がつんとした。

用意してくれたご飯を向い合って食べて、いつものように他愛のない話をした。ここが唯ちゃんの部屋で、彼女の作った料理があって、他に客も店員もいなくてふたりきりだという事実が頭に過る度に、心臓の鼓動がありえないほど速くなっていく。

幸せって、こういう瞬間のことを言うのかな、なんてぼうっとする頭で考えていたら、いつの間にか食べ終わっていて、食器も片付けられていた。
俺は椅子に座ったままだらりと姿勢を崩して、キッチンに立って洗い物をする唯ちゃんを眺める。もし彼女と付き合えたらこれが俺の日常になるのか。きっと自分は何も行動できないのに、そう思わずにはいられなかった。
唯ちゃんの彼氏になれなくても、彼女の隣に立ってみるくらいのことは許されるだろうか。同棲してるみたいな空気を吸ってみてもいいだろうか。
ぼんやりとそう考えて、椅子から腰をあげて彼女の方へ歩いて行こうとしたとき、唐突にインターホンが鳴って、俺は身の毛がよだった。

「!!」

誰がそれを押したのか、確認しなくても瞬時に悟った。
唯ちゃんも同じだったようで、あわてて手を拭きながら戻ってきて、エントランスにいる人物を画面で確認していた。
お互いにたぶん真っ青な顔をしていた。

「……あの、本当にごめんなさい一松さん」

唯ちゃんは解錠のボタンを押してから、申し訳なさそうな表情で俺を振り返った。ぎくりと心臓が跳ね上がる。

「……か、彼氏来ちゃったんなら、す、すぐ帰るよ、鉢合わせないようにして……」

緊張と恐怖で声がうまく出なかった。やばい、びびりすぎ。でもこんな状況になるなんて、思ってもいなかったから。

「一松さんは帰らなくていいから」
「は?」
「しばらくここに隠れてもらっていい?」

彼女は動揺している俺の腕を掴んで、クローゼットの隙間に押し込んだ。身体がガクガクしはじめていた俺はされるがままで、そのまま扉も閉められてしまった。

……こうなったらもうやり過ごすしかない。震える足を抱えて体勢を整えていったん落ち着こうとしたが、心臓がばくばくと破裂しそうなくらいにうるさくて、どうしようもなかった。
そうこうしてるうちに、部屋のインターホンが鳴らされた。唯ちゃんの彼氏がもう部屋の前まで来ていた。

なにこれ。唯ちゃんといるときよりドキドキしてない俺?
彼氏にみつかったら死ぬかも、と思ったらあまりの緊張で意識が飛びそうになった。でもみつからなかったとしても、何が楽しくて唯ちゃんと彼氏の会話なんか聞かなきゃならないの。万が一いちゃいちゃしはじめられたら、そっちの方が死ぬと思った。


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