俺と付き合ってだなんて、そんなこと言えるわけなかった。
ニートの俺が彼女にそんなことを求める権利なんてない。彼女のことを好きになるのも、今の彼氏絶対よくないよと言うのも俺の勝手だけど、彼女に俺を選んでくれなんて、これだけは死んでも言えなかった。
「……ごめん、一松さん。一松さんの言う通りだよ。わたしも少し頭冷やすね。彼氏だけじゃなくてもうちょっと周りを見るようにしなきゃね……」
「……うん」
周りなんて見なくていい、と俺は思った。俯いたその顔をあげて、俺を見てくれればそれでいいんだけど、上手くいかない。
そんなことを考えていたら、彼女が視線を上げて、まっすぐ俺の方を見てきたので、思わず目を逸らしてしまった。
本当に唯ちゃんは、俺の欲しいものばかりくれるのだから。
「一松さん」
「……ん」
「ごめんね、ありがとう。人を好きになるのって、大変だね」
「……うん、大変」
唯ちゃんの言っていることがよくわからなかったけど、俺は同意して相槌をうった。
大変だ、本当に。こんなに不安になったり焦ったりして。なのに心が揺り動かされて、満たされている感じがする。
「あと、やっぱり本当にごめんね」
「何が?」
「ずっと外で待たせて」
「あ、いや……それは……」
これまでの自分の行動を振り返ると、唯ちゃんに対して真剣すぎた、と思って顔が熱くなった。いたたまれなくなって、目を逸らして「気持ち悪くてごめん」と呟く。
「いい。ちょっと嬉しかった」
「へ……」
それなのに、彼女は無防備な笑顔を見せる。うれしい?なんで?俺が謝りに来たのが?
あと、ちょっと嬉しかった、って結局どれくらい嬉しいわけ?そんな言い方しないで素直に言ってくれればいいのに。
「だからね、すぐに一松さんに会ったら、私、謝ったりする前に嬉しそうな顔しちゃうと思ったの。それでなかなか入れてあげる準備ができなくて。ごめんね」
「……俺が勝手に怒ったんだよ?俺のせいだよ?」
「そ、そうだけど、でもまた会いに来てくれて嬉しかった。ありがとう」
嬉しい嬉しいと言う彼女を、俺は呆然として眺めていた。
こんな俺でもいいんだ、と言ってくれているような気がして、眩しくてあたたかくて、胸が苦しくなってしまう。俺は唯ちゃんに受け入れてもらえてると思っていいの?
「ねえ、一松さんは、私を選んでくれてる?」
「……?」
不意に問われた言葉の意味がうまく飲み込めず、俺は少し停止した。
選んだかと言われれば、選んだ。紛れもなく、この子しかいらないと思ってるけど、そういうことを尋ねているのかどうなのか、よくわからなかった。
「……どう?」
「……俺が選んだのは、唯ちゃんだよ」
「……ありがとう」
とりあえずそう返すと、唯ちゃんはぽーっとした表情ではにかんだ。
その表情に、心臓が捻り潰されそうになる。俺も唯ちゃんも向かい合って、顔を赤くしていた。
なんだこれ、いまもしかして俺、ほとんど告白してた?
「あ、いや、違う。俺には唯ちゃんしかいなくて……」
自分には唯ちゃんしか「友達がいない」と言うことで誤魔化そうとしたのに、なんかもっと恥ずかしいことを言ってしまっていた。
唯ちゃんの、俺を見る目が潤んできている。
あーやっぱりもうダメかもしれない。
「唯ちゃん、えっと……!」
何も考えずに身を乗り出したとき、思いっきりスマホが鳴った。
唯ちゃんのではない。今度は俺のスマホで、俺を呼ぶ電話だった。
画面を見ると、「おそ松兄さん」と表示されていた。
「……お兄さん?」
「……ごめん出る」
唯ちゃんの見ている手前無視するわけにもいかず、俺は小さく舌打ちをして、電話に出た。
「おーい、今どこいんだよ一松!」
「……」
「今日トド松がパチンコでバカ勝ちしたからさ、夜遅いけど出前とったんだぜ!帰ってこいよー。お兄ちゃんたちが全部食っちまうぞー」
酔っ払っているらしいおそ松兄さんの上機嫌な声がスピーカーから響き、たぶん唯ちゃんにも聞こえていた。電話の向こうで、いつも通り兄弟たちがわーわー騒ぐ声とか、トド松のむせび泣く声がする。
……なんでこうタイミングが悪いんだ。
意識しなくても、悪魔じみた勘が働くのか、どこまでも足を引っ張りあって、兄弟のなかからまともな人間が誕生するのを阻止しようとする。
俺も散々やったから、人のことは言えないけど。
「……すぐ帰るから俺の分とっておいてよ」
でも案外助けられたのかもしれない。
電話を終えて俺は冷静になって息を吐いた。「帰る?」ときいてくる唯ちゃんを横目に見て、小さく頷く。
もしおそ松兄さんからの着信がなかったら、俺はたぶん唯ちゃんに想いを全部話していた。
どうなるかも考えず、好きだと伝えて、彼女にあげられるものを何も持っていないのに、付き合ってだなんて口に出したかもしれない。
結果どうなったかは、兄弟たちの声を聞いてよくわかった。悪いけれど、自分がどんなやつだったか思い出したのだ。
俺はまだまだ唯ちゃんの隣に立てない。
一応和解はできたし、今日は一旦帰ろう。もう少し唯ちゃんの部屋にいたいけど、ここにいても、俺が間違いに近付いていくだけな気がするし。
俺が立ち上がると、唯ちゃんはこっちを見て「じゃあ、今日は仲直りできたってことでいい?」と首を傾けた。
「うん。唯ちゃんが俺を許してくれるなら」
「うん。許します」
唯ちゃんは、さながら宣託の如く呟く。実際、俺の世界は唯ちゃんでいっぱいだったから、彼女の言葉ひとつひとつが俺にとっては重大なことのように思えた。
ほんと依存してる、結構まずい。
でも全然足りなかった。もっと唯ちゃんと一緒にいたいし、俺がどれだけ唯ちゃんのことが好きか、わかって欲しいような気がしていた。
「ねえ明日、また唯ちゃんちに来てもいい?」
玄関でサンダルを履いてから振り返ると、見送りにきていた唯ちゃんはきょとんとした表情をする。
今まで何回か唯ちゃんの家に来てはいたけど、酔い潰れた流れからしかなく、この部屋を目的地にして最初から会うことはなかった。
「う、うちに?うん、いいよ。じゃあうちでご飯でも食べよっか」
なのに、その声があまりに優しく自然だったので、俺は一度フリーズしてから、じわっと顔が熱くなるのを感じた。正面から唯ちゃんの目を見ることができない。
自分のことを気にされていないうちは、いくらでも好き好きとアピールできるのかもしれないけど、こっちを振り向かれてしまうと、不甲斐ない自分をみつめられているようで、本来の腰抜けに戻ってしまう。
俺はそのままさよならをして、扉を閉めた。
なんだか長い一日だった。
唯ちゃんと夕ごはんを食べて気持よく帰宅するはずが、彼氏からの電話なんかあったせいで酷いことを言ってしまって、でも仲直りして、唯ちゃんのことをもっと好きになった。
改めてわかったことがいくつかあったけど。
やっぱり俺は唯ちゃんが大好きだってこと。
それから、認めざるを得ないのが、俺は唯ちゃんのダメな彼氏以上にダメで擁護しようのないクズにも関わらず、「唯ちゃんと付き合いたい」と思ってしまっているということ。
けれども、唯ちゃんを手に入れたいと思うと同時に、自分みたいなやつのものにはなって欲しくないとも思っていて、結局自分でもどうしたいのか、未だちゃんとした答えが出せずにいた。
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