松野一松さんは、私よりもいくつか年が上なんだけど、まともに仕事もしていないみたいで、表面上はひどく冷たい感じがして他人のことなんてちっとも興味がないように見えるけれど、踏切の中に突っ立っていた私を掬いあげてくれて、私の話を延々と聞いてくれる、優しい人だった。

その人と、私はいいお友達でいたはずだった。
でもそう思ってたのは私だけなんだなあ、とついさっき知って、お店を飛び出してからずっと涙が零れて止まらない。
とにかくはやく家に帰りたくて、人にぶつかりそうになりながら夜道を駆けていく。

もう何度も会っている気がするのに、あまり自分のことを話さない人だから、私は彼のことをよく知らなかった。
いや、彼はこういう人なんだ、と勝手に決めつけて、もしかしたら知ろうともしていなかったのかもしれない。私ばっかり喋ってすっきりして、一松さんは私といてもきっとなんにも手に入れることなく、いつもお腹だけ膨らませて家に帰っていたんだろうか。

「唯ちゃんさ、彼氏に二股されたって言うけど、自分も似たようなことしてんじゃないの?」

さっき彼に言われたことが頭のなかでリフレインする。眠たそうな目は、いつもより暗く、私を傷付けながら自分も血を流してるような痛々しい目だった。

「本当にそんなつもりじゃないのに……」

どうしてそんなことを言うんですか、どうして一松さんと一緒にご飯を食べちゃいけないんですか、どうしてお友達ではいけないんですか、私に彼氏がいたら、どうして困るんですか。
彼を置いて逃げてきてしまったけれど、訊きたいことがたくさんあった。
でも今は彼に向き合える強さをもっていなかった。誰も傷付けず、誰にも傷付けられずに生きていたいと思っていた小さな心が、この悲しみに耐え切れず震えていた。ただただ悲しかったのだ。せっかく仲良くなったと思ったのに、彼を知らぬ間に傷付けていて、彼の言葉に自分も傷付いた。
これじゃあもう修復できないかもしれない。
だって一松さんと私はどこか似ているから、わかるのだ。
一松さんの身体は鋭い棘だらけで、私の身体は花びらみたいに傷みやすくて、お互いに人と深く抱き合うことをおそれていた。もう一度向き合おうと思えるほど強い人間じゃなかった。



やっと自分の部屋に着いたと思ったら、なんだか力が抜けて玄関で座り込んでしまった。
無意識にスマホを見ると、お店を出てからまだ少ししか時間が経っていなかった。いろいろ考えたり悩んだりするだけで、帰り道がこんなに長くなるとは。

「……なんか、喧嘩しちゃった」

独り言が薄暗い部屋にぽつりと響いた。返事はなくて、ひとりぼっちだということをひどく意識させられる。さっきまで誰かと一緒にいて、喋って、あれだけ幸せな気持ちになっていたのに。

「しあわせって……」

それをくれた人は、もう私にしばらくの間連絡をしてくれないだろう。しばらくどころか、もうこれっきりかもしれない。彼は誰かに追いすがるような人じゃないと思っていた。彼はひとりでも生きていけて、孤独も受け入れるような人で。

「でもそんなの寂しいだけじゃん……」

そういえば彼はずっとどこか寂しそうだった。
会う約束をして、顔をあわせた瞬間。ご飯を食べて別れる瞬間。私が彼の知らないことを話す瞬間。覆い隠そうとしても、ちっとも隠しきれていない素の表情が、ときどき彼の顔のうえにあらわれていたのを思い出す。

「寂しいなら、素直にそう言えばいいのに……」

でもきっと彼は絶対にそんなことは言わないだろう。というかたぶん自分でもわかっていないんだ。
口数の少ない一松さんの本心を読み取るのは、今の私にはほぼ不可能だった。正直なに考えているかわからない。でもそのたまに見せる弱々しい表情と、何も言わないけどたしかにある彼の優しさが、私は心地よくって、彼を選んだんだった。

でも、彼は、私を選んでくれているのかな?
たまたま出会って、その流れでなんとなくずっと一緒にいてくれたんだとしたら、意味わかんないくらいお人好しだなと思う。私にぶつけたい言葉があるのも我慢して。ほんと、なんでだろう。



ぼうっとしていたら、鞄の中に投げ捨てたスマホが鳴って、私はびくりとした。
寂しい部屋に電子音だけが鳴り響いて、まるで生きているものはどこにもいないように思わせる。
誰からだろう。彼だろうか?そもそもうちに寄るって言われたからご飯も切り上げて帰ろうとしたんだし……。でも、あれ?今一瞬、誰を思い浮かべた――?

画面の光で自分の顔がぼうっと照らされたとき、突然インターホンが鳴って、また私は飛び上がった。

あまりにも周りが静かで、やけに音が大きく聞こえる。電子の世界じゃなくて、現実に誰かが私のことを大声で呼んでいるみたいだった。
今、エントランスから私を呼ぶのは、誰だろう。


恐る恐るモニターを確認すると、すっかり見慣れた姿があった。
彼は画面越しにちらっと私の方を見た。
向こうからはなんにも見えていないのに。
それだけで、閉ざしていた心がどういうわけか満たされてしまい、涙が溢れそうになった。

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