転びそうになったりふらふらと道を外れそうになるたびに、腕をひいてやりながら、なんとか唯ちゃんの家の前まで辿り着いた。
しかしそこで安心して気が抜けたのだろう。彼女はマンションの前の植え込みのところでとうとう座り込んでしまった。

「もう疲れたからここで寝る……」
「いや、あとちょっとなんだけど」

家の前とはいえさすがに放置していくわけにはいかない。それにこの調子だとエントランスをくぐったとしてもエレベーターの中で寝るかもしれないし、部屋に入るまで見届けた方がいいかも。
世話がやけるなあと思いつつも、悪い気はしなかった。
むしろさっきから心臓がばんばんうるさく鳴っていた。こんな経験なんてはじめてなんだ。童貞だし。女の子が酔い潰れて、家まで送っていくなんて、試されているとしか思えない。
とはいえ、唯ちゃんは他人の彼女で、俺が何かしていいような相手じゃないのはちゃんとわかってる。

「唯ちゃん部屋何号室?」
「……608」
「そこまでは連れていくから」

俺は寝ぼけている唯ちゃんからなんとか部屋の鍵を受け取った。これでひとまず準備は整った。

「あとはどうやって引っ張っていくか……」

呑気に眠っている唯ちゃんを見下ろして俺はどうしていいかわからずにいた。
自分で立てないような人を運ぶときって、どうしたらいいんだ。
どこに手をいれてどこを持ったらいい?逆にどこさわったらまずいの?

「ああ、めんどくさい」

普段こんな真剣に悩むことなんてないからか、考えていたらだんだん身体が熱くなってきた。
彼女はもう寝てるし別に不可抗力だしとりあえずさっさと連れていこう、と意を決して、俺は彼女の脇を抱えた。



あ、すごい柔らかい、と思ってからもう何も考えられなくなって、彼女をどうやってこの部屋の前まで連れてきたのかあまり覚えていなかった。
心臓がドキドキしてうるさくて、ちょっと気を抜けばどうにかなってしまいそうだった。でもこの扉一枚向こうに彼女を放り込んだらもう俺の役目は終わりだ、と思って鍵をカチャリとまわしたとき、なぜかハッとして我にかえった。

……もしかして、部屋に彼氏がいたりしないだろうな。彼女のこと待ってたりしない?
もしも部屋に奴がいたら、自分は二股してるわけでもないのに、無駄な疑いをかけられてしまう。そんな修羅場に遭遇するのは御免だと思った。

音を立てないようにそっと扉を開けると、部屋の中は真っ暗だった。
靴も女物しか見当たらない。どうやら彼氏はいないようだ。とりあえず妙な緊張感は去っていく。
明るくしたら彼女が起きてしまいそうな気がしたので、灯りはつけず、月明かりを頼りにベッドを探しだして、そこまで彼女をひきずっていった。

「……ふう」

柔らかい布団の上に彼女を寝かせ、ようやく俺は座って一息ついた。
なんでひとりで焦ったり疲れたりしてるんだろう、と虚しくなったが、安らかな寝息を立てる彼女を見ていたら、まあ別にいいか、という気分になっていた。
深夜のマンションは静かで、物音ひとつなかった。時計の針がすすむ音も聞こえず、ただ、俺の鼓動の音だけが時を刻む。うるさくて、速くて、どうしようもなく苦しかった。

俺は別に彼女に気があるわけじゃない。唯ちゃんは彼氏がいるし。でも俺と話してくれる数少ない他人だから、今まで気にかけたり連絡を待ったりしていたけれど、結局のところ男と女なのだ。それを痛感させられてしまった。今は彼女に彼氏がいるから、どうなることもないけれども。

いつまでも寝顔を眺めていたいような気もしたが、女の子の部屋に居座るわけにもいかない。
そろそろ帰らないと兄弟たちから質問攻めに遭いそうだし。
そう思って立ち上がろうとした俺は、違和感を覚えて視線を送った。俺のパーカーの裾が伸びて、その先を彼女に掴まれていた。

「!?」

瞬間、俺の心臓が壊れそうなくらいに飛び跳ねた。
なんでそこ握ってる?寝ながら?なんで離さないの?それは、俺に帰ってほしくないって、思っていいの?
暗い部屋で女の子とふたりきりというだけで抑えるのに必死だったのに、なにもかもが決壊したように溢れだして、頭の中に流れ込んできた。汗が背中をつたって、視線が定まらない。

「……唯ちゃん、は、離して」

人によっては、この状況はチャンスになるのかもしれない。だけど俺にはもう限界だった。
あろうことか、これ以上俺に近付かないでくれ、と彼女に懇願していた。
自分に自信がないから、幸福がこわい。幸福を得て、幸福じゃなくなるのがこわい。傷付くのがこわい。
彼女に期待を抱かれて、それを裏切ってしまうのが、怖くて怖くて仕方なかった。

「一松さん。私、一松さんのこと好きですよ……?」

ふっ、と暗闇に滴った言葉。それが俺の耳に届いたとき、俺の身体は一瞬呼吸を止めた。

「!?い、いま、なんて言った?」

唐突に放たれた言葉に、俺はつい声を荒げて彼女の肩を揺らしていた。
彼女が少し目をあけたので、ぎょっとしてあわてて手を離したら、またすやすや寝入ってしまったのだけど。
心臓が、聞いたことのないくらいの音で胸を打ちつけていた。俺にどうにかしろと急かすように。
だけどもう身体に力が入らなかった。感情の整理でいっぱいいっぱいだったから。



そのあとしばらく彼女の言葉を待っていたけれど、すっかり寝てしまったみたいでもう何も言わなかった。
俺は彼女に布団をかけてやって、そっと部屋を出た。

あれはただの寝言かもしれないし、本心なのか冗談なのかもわからない。
でもその言葉のせいで、そのあとただの一睡もできず、他の何をしようとも、なんにも手につかなくなってしまった。


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