この間部屋にいったときに聞いた「一松さんのこと好きですよ」という彼女の言葉は、数日経っても頭から離れなかった。
女の子からそんなこと言われたのなんてほとんど初めてだし、まさか彼女が言うとは思わなくて、驚いたし、正直なところ、俺は嬉しかったんだと思う。
唯ちゃんのような女の子が俺に価値を見出してくれていると思うと、もう他の誰に見放されても構わないと思えた。それが冗談でも聞き間違いだとしても、たぶんこの嬉しさは本物なのだ。

でも、本当に彼女が俺を好きだとしたら?なら彼氏とさっさと別れて俺にそう言ってくれればいいのに。
こんなに可愛くて日本のカースト制でも上層にいる彼女が、俺にその一言を言えないわけがないじゃないか。だってそれだけ言いさえすればいいんだから。
俺が断るわけなんかないってわかりきってるのに。

そこまで考えて、俺は思考を中断した。
――俺、断らないのか?
うん、好きだと言われたら、断らないと思う……。俺は、唯ちゃんからの好きという気持ちを拒まない?なんで?よくわからなかった。



とにかく真偽を確かめなければ何を考えても無駄だった。もう一度言ってくれなきゃわからないし、もう一度ちゃんと聞かせて欲しいと思った。

そんな時にちょうどまた唯ちゃんからご飯の誘いがあったので、俺は勇んで出掛けていった。



しかし、結果は散々だった。
しらふの時に「好き」と言って欲しかったけど、たぶんそれは無理だと思っていたから、とにかく酔わせてやろうと珍しく酒をすすめまくっていたつもりだったのに、気付けば返り討ちに遭っていた。

「う……気持ち悪」
「一松さーん、大丈夫?」

店を出てからもフラフラしている俺のことを唯ちゃんが心配そうに覗き込む。前回とは真逆の構図だった。

「……」
「家どっち?送っていくから」
「ん……」

そう言われて素直に甘えそうになった俺は、それ以上に素直な欲求があることに気付いた。
据わった目で彼女を見つめると、酒の力なのかするする言葉が出てきた。

「こっからなら唯ちゃんちのが近いからそっちがいい」
「え?うちでいいの?」

こくこく、と無言で頷くと、彼女はややためらっていたが「うん。わかった」と承諾した。

しかし、そう言われた瞬間、突然俺は彼女のことを意識してしまい、酔いも吹き飛んでしまった。
唯ちゃんも唯ちゃんで酔っていて頬が赤いし呼吸も浅い。また、彼女の部屋に行く?行けるの俺。そんなことして大丈夫なの俺。唯ちゃんもそれで平気なの?
ぐるぐると思考が巡って吐きそうになった。



もう何度も彼女のマンションへやって来ているような気がした。
少し前まで自分の周りに女の子がまともにいたこともなかったのに。何度も一緒にご飯を食べて、家へ行って、これってどういう関係なんだろう。なんて言って表せばいい?この関係は、本当に「他人」に過ぎないのだろうか。

正直、緊張でもう酔いは覚めていたけれど、俺はそのまま彼女の部屋へ向かった。
エレベーターでふたりきりになったときに、あまりにも自分の鼓動がうるさくて彼女に聞こえてしまうんじゃと不安になったから、無意味に息を止めていたりした。
唯ちゃんは純粋に俺の体調を心配してくれているみたいだったから、騙しているみたいで申し訳なく思いつつも、緊張と期待とよくわからない何かでもう頭がいっぱいだった。



「一松さんシャワー浴びたい?浴びられる?」

とうとう部屋に上がり込んでしまった俺がしばらくどこにいればいいかわからずキョロキョロしていたら、キッチンの方から唯ちゃんの声が聞こえてぎょっとした。

「い、いや、大丈夫……」

唯ちゃんは本当に単純に、俺の体調を心配して気をつかってくれているだけなのに、俺はもう何を言われても動揺してしまってダメだった。
前回ここへ来たときは電気も点けずに月明かりのもとでしか部屋を見ていなかったけれど、今は真っ白な壁がどうも自分を責めているような気がしてびくびくしていた。一人暮らしの割には広くて、綺麗で、家具もちゃんとしたものばかりだった。
実家で親のスネをかじっている俺とは雲泥の差……いや、比べるだけで罪になりそうだった。

「じゃあこっちきて、ベッド使っていいから。わたしソファで寝るね。明日休みだし」
「いや、俺も休み……」
「いいから。ゆっくり寝てはやくよくなって」
「……ハイ」

言われるがままベッドの端に座ると、コップに汲んだ水を渡されて、俺はドキドキしながらそれを飲んだ。
唯ちゃんの部屋はかすかにいい匂いがして、これが女の子の香りなのかとぼんやり考えたところで、顔が熱くなった。コップがひんやりと手のひらに染みる。
本当に、こんなとこまで来てしまって、なにしてるんだろう、俺。唯ちゃんに、どうして欲しいんだろう。

上着を脱いでハンガーにかけている唯ちゃんは、俺に背を向けたまま「一松さん、この間わたしのこと部屋までつれてきてくれた?」と声をかけた。

それを聞いた瞬間、俺の酔いがまた覚めた。
「覚えてないの?」と訊くと、「んー、お店出てからあんまり覚えてないんだよね」と言う。

それって、じゃあ、あのことも覚えていないのか。俺に「好き」と言ってくれたこと。

期待が一気に崩れ去って、俺は急にここにいることが恥ずかしくなった。ニートの分際で、何を期待してたんだろう、ほんと。

「起きたら部屋で寝てて。あれ、さっきまでご飯食べてたのに、一松さんは?ってびっくりしちゃった」
「あの時唯ちゃんべろんべろんだったから……部屋の番号聞いてひきずってきた」
「あ、やっぱり……。ありがとう、ごめんねぇ」
「いいよ、俺も今日似たようなことしてるし」
「私、一松さんに変なことしてなかった?」
「まあ、大丈夫」
「ならよかったー……」
「でも、俺のこと好きって言ってたけど」

なんかもういろいろなことがどうでもよくなっていたからか、俺は言ってはまずいことを口走っていた。
あ、ヤバイ、と思った瞬間、がしゃーんとすごい音がした。
唯ちゃんがスマホを床に落としたのだ。
衝撃でカバーが外れて、電池パックまで吹っ飛んでいた。

「えっ、そ、そうなの?」

彼女は上擦った声を出して、急いで俺から顔を背けるようにしてスマホのパーツを拾っていた。
もしかして慌ててる?可愛い、と思ってしまって、息が詰まった。胸がありえないほどぎゅっと苦しくなる。

「一松さんが優しくしてくれたから気が緩んじゃったのかなー、ははは。ご、ごめんねなんか」

余計なことを言った俺よりも彼女の方が動揺してるみたいで、どうでもいいことを喋って沈黙を埋めていた。
俺はそのほとんどを聞き流して、とくとくと音を刻む自分の鼓動に耳を傾ける。その間ずっと唯ちゃんのことを見ていた。

俺のことを好きだと言ったことを、彼女は否定しなかった。
本当は、もう一度彼女の口から聞きたいと思っていたけど、それももういいや。
もうわかったから。

「やっぱ俺帰る」
「えっ、ど、どうしたの?大丈夫?」

急に立ち上がった俺に驚いて、唯ちゃんはスマホを直すのをやめてこっちを見てくれた。
見間違えじゃなければ顔が赤い。たぶんさっきの俺の発言で動揺しているせいだろう。ああ、可愛いな。唯ちゃん、可愛い。

「ちょっと休んだらよくなったから。それに唯ちゃんの部屋にいたらかえって落ち着かないし」
「あっ、そっ、そうだよね。ごめん、軽々しく部屋になんかあげて」
「いやそれは俺が行きたいって言ったからでしょ」

俺は玄関で安物のサンダルに足を突っ込んだ。扉に手をかけて、振り返ると唯ちゃんがすぐそこにいた。
手を伸ばせばいつでも触れられた。腕を掴んで引き寄せればもっといろいろなことができた。もう、他人なんて言葉で片付けられそうになかった。俺はそれを越えたいと思ってしまったのだから。

「……唯ちゃん、嫌じゃなかったら、明日の夜も俺と会って」
「あれ、一松さんから誘ってくれるの、珍しいね」

そういえば自分からちゃんと誘ったのは初めてだった。ニートの俺には彼女を誘う資格がないと思って、今まではいつもひたすら彼女からの連絡を待っていたけれど。

この間唯ちゃんから「好き」という言葉を聞いて、俺は彼女に本当に好きになってもらえたら、きっと嬉しいんだろうなと思った。
でもそれに応える自信が自分にないのを知っていたから、拒絶されるのが怖くて、自分の気持ちもずっと偽っていた。
彼女を好きにならないようにして、好きだと気付かないようにしていた。これまでずっと。

だけど今日、わかってしまった。
俺って本当に苦しいくらいに唯ちゃんのことがもう大好きだった。


next
10/21

back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -