彼の右側、少し後ろ。
そこが私の定位置だった。
理由はいくつかある。
大小差しの邪魔にならないようにということと、武士は目上の人が左側に立つのだと聞いたから、そして彼の視界の邪魔をしないように。
もう一つ、もし後ろから襲われても私が身代わりになれるように。
「千鶴」
「はい」
「そこじゃねえ。お前の場所はここだ」
そう言って自分の左側を見やる。
――今は、彼がその位置を許してはくれない。
「つい、昔のくせで」
「お前はもう俺の小姓じゃねえだろうが」
まったく、とため息をつく歳三さんの左隣に立つと手を差し出される。
つまりこれは、手をつないでくれるのだろう。
最近は私を甘やかそうとする彼の行動にも素直に甘えられるようになった。
大きくて骨ばったその手に自分の手を重ねると、しっかり握ってくれる。
このぬくもりがとても愛おしくて、それでいてとてもくすぐったい。
「お前は、亭主の三歩後ろをついていくような女じゃなかった気がするんだがな」
「……それは、私がでしゃばりという意味でしょうか」
いや、考えようによってはとんでもなくでしゃばりな女だ。
最終的には受け入れてくれたものの、箱館へついてくるなと言った彼の命令を無視し――あまつさえ、大鳥さんが心を砕いてくれた辞令まで破り捨てて無理やり彼の小姓におさまったのだから。
いわゆる押しかけ女房である。
「ちげえよ。慎ましくないとかそんなことを言ってるんじゃねえ。……お前は充分慎ましいし、正直…普段は控えめすぎるきらいがある。ただ、お前は見た目よりも相当頑固で……自分の意志を絶対に曲げない時がある。俺がお前を置いていこうが突っぱねようがいつだって俺の隣に立とうと走ってきたじゃねえか」
「…そうですね」
思えばあの日の私はいつもあなたの背中を追いかけ、走っていた。
あなたの隣に置いてもらえることが何より幸せで。
そのために、何を捨ててもいいと思っていた。
「ただ黙って三歩後ろからついてくるような女じゃ鬼の副長の女房は務まらねえだろうよ」
「はい。頑固で意地っ張りで……それでいて優しくて、一人で何でも抱え込むような人の女房になろうと思ったら、おとなしく言うことなんて聞いていられないんです」
「……お前にはかなわねえよ、本当」
苦笑いをする彼のその顔すら愛しくて、私は幸せをかみしめる。
「何笑ってんだ」
「いえ。……歳三さん、どうして左なんですか?」
「ん?ああ、お前がな、そこにいると……落ち着くんだ」
私は、ふっと微笑むあなたのその顔が、大好きで。
「ここから刀が無くなって、何だか左が急に空いちまったような気がしてな……けど、そこに千鶴お前がいてくれるとその足りないものが埋まったような、そんな気がするんだ」
そのあとに眉を寄せて苦笑するようなその顔も大好きなんです。
「……前に大鳥さんがおっしゃってました。人間には目に見えない縄張り…パーソナルスペース、というものがあって。近しい人ほど、近づける距離が短くなるんだそうです」
私は、あなたを支えてきたものの代わりになれているでしょうか?
ああ、なるほどと歳三さんがうなずく。
「……俺も聞いたぜ、人間てのはな、大事なものほど自分の左側に置いておきたがるらしい」
「…………本当ですか?」
「んなことで嘘ついてどうすんだよ。……そうやって見ると人間てのは、意外と本能で生きてるもんみてえだな」
そう言って、彼が私の体を引き寄せた。
一尺五寸(それは私だけに許されたあなたとの距離)
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パーソナルスペースでいう「恋人間の距離」は45cm、少し伸ばせばすぐに手が届く距離だそうです。
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