ーー‥‥光だ。
ゆっくりと目を開け、朝であることを確認する。
軋む音を立てる木製のベッドから身を起こし、寝癖を軽く整えながらロファースは部屋の外へ出た。

「おー、はよー」

と、エルフと魚人のハーフである少年レムズが食席に座りながら、パンをかじって言う。

「‥‥おはようございます」

頷きながらロファースが挨拶をすると、

「あんたのそれな」

レムズはテーブルに置いてあるもう一つの皿を顎で指した。皿の上にはパンが乗っており、レムズは立ち上がると律儀に温かいコーヒーを注いでくれる。

「あっ、すみません」

ロファースは軽く頭を下げ、椅子に座った。

パンに手を伸ばし、一口かじれば独特な味がすることにロファースは首を傾げる。
甘酸っぱいーー。何かのジャムであろうか?よくよくパンを見るも、特に何かをぬっているようにも見えないのだが‥‥

確か、昨日の晩もレムズにパンを貰って食べたのだが、昨日は空腹のせいでがっつくように食べたせいか、いまいち味わえてはいなかった。

「なんだか不思議な味のパンですね」

思わず口に出して言えば、

「へ?」

と、レムズは目を丸くする。

「甘酸っぱいような‥‥」
「‥‥?そりゃ、パンだからな。昨日も食ったろ?」

レムズは不思議そうな顔をした。

「何かジャムでも?もしくは隠し味でも練り込んでたり?」
「じゃむ?」
「はい、ジャム」
「じゃむって、何?」
「えっ?」

聞かれて、今度はロファースが不思議そうな顔をする。

「えーっと、パンに塗る‥‥ほらっ、イチゴとかママレードとか、他にもたくさんあるけど‥‥」
「へえ。人間の食べ方なんだな、その、じゃむ」

ーー‘人間’の。
その言葉で、ロファースは薄々だが感づいた。

「もしかして、エルフはジャムとか使わないんですか?」
「使わないと言うか、そんなのねえよ」

レムズはそう言い、

「俺達が食べてるこのパンはさ、作る前にちょっと酸味のあるハーブを練り込んでるんだ。それが味付け。それ以外のパンなんか食べたことねーな」

ーーなるほど。それが独特に甘酸っぱいわけかとロファースは納得し、またパンを食べるのを再開した。

「そういや‥‥」

レムズがパンを食べ終え、次にコーヒーを飲み干そうとした時に、

「あんたの連れ、起きてこねぇな」
「‥‥え!?あの人、まだ寝てるんですか!?」

ロファースはフードの男は先に起きているものだと思っていた。勝手に決めつけては悪いが、早起きしそうなタイプな気がしていたから驚くしかない。

とりあえず、今日の朝には出て行けとレムズに言われている為、起こそうかとロファースは立ち上がり、コンコンッ‥‥と、フードの男が居るはずの部屋の扉をノックするが、返事はない。
数秒待っても返事も物音もなく、疑問に感じたロファースは「すみません!」と謝りながら扉を開けた。

しかし、ドアを開けたものの、ロファースは部屋を目で見渡して沈黙する。
不思議に思ったレムズもやって来て、一緒に部屋を覗いた。

「あれ!?いないじゃん!?」


ーー‥‥それからレムズと共に村の中を捜してみたが、フードの男の姿はなかった。

「すみません、レムズさん。なんだかバタバタしちゃって」

ロファースは苦笑しながら言う。

「いや、いいんだがよ。もういいのか?捜さなくて」
「うーん。まあ、元より昨日知り合ったばかりの人だし、仲間なわけでもなかったですし。それに、あんまり長居するとレムズさんに迷惑掛けちゃいますしね」
「‥‥」
「それじゃあ、本当にありがとうございました。パン、美味しかったです」

ロファースはそう言って、レムズに背を向けて歩き出す。

「あっ‥‥あのっ!」

レムズは躊躇した末に、絞り出すかのようにロファースに呼び掛けた。
それにより、ロファースは振り返りながら首を傾げる。

だが、レムズはなぜ彼を呼び止めたのかと、自分で自分の行動に疑問を感じた。それからゆっくりと口を開き、

「‥‥気を付けろよな。こんなこと言いたくないが、お前の道に良くない兆しが見える。それがなんなのかは、わからないけど」

レムズが昨日言っていた、エルフと魚人のハーフである能力が何かを捉えたのだろうとロファースは感じ、

「わかりました。気を付けますね。それじゃ‥‥」

今度こそ、ロファースはレムズの元を去った。

ーー良くない兆し。
それを聞き、やはり不安は募る。
しかし、それよりもとロファースは思い出した。
このエルフの里には、フードの男が森に張られていた結界を破り入った。
森に辿り着いたのも、彼の魔術でだ。

出口は‥‥と、村の中をキョロキョロ見回すも、辺りはどこも似たような木々に囲まれた森。
仕方無く一度レムズの家に戻り尋ねようかと思った時に、

「出口はこっちじゃ。人間よ」
「え」

エルフの老人に声を掛けられて、ロファースは目を丸くする。

「どうした、ついてこい」

杖をついた老人はそう言って歩き出すので、ロファースは言われるままについて行った。
道なりに進むと、

「この道を真っ直ぐに進めば、人間の在るべき場所に出る」

だが、広がるはまだまだ薄暗い森だ。
ロファースが道の先を見つめていると、

「奴は行ったのか?」

と、老人に尋ねられ、

「奴‥‥?フードの人、ですか?」

そう聞くと老人は頷いたので、

「わからないです。朝起きたらすでに居なくなっていて」

すると老人は細く小さな目ででロファースを見つめ、

「理由あってな‥‥奴はお主のことを相当に心配しておる。身勝手な奴ではあるが、今の奴は信じても良い存在じゃよ」
「は?」
「奴とは旧き知人でな。昔はそれはもう、今よりもっと出来ていない人間での。久方ぶりに再会して、本当によく、変わっておったよ。良い方向に、な」

老人は懐かしそうな口振りで小さく微笑んだ。
だからか、と。知り合いがいたから、人間嫌いのエルフが自分達を一日だけだが里に置いてくれたのかとロファースは理解する。

「さて、もう行くがよい、人間よ」
「は、はい。ありがとうございます、おじいさん」

ロファースは軽く会釈をした後、

「ひとつ、聞いて良いですか?」
「なんじゃ?」
「あなたも、争いばかりする人間が嫌いですか?」

老人はその質問に目を瞑り、

「わしは、人間を憎んではおらぬよ」

と、一言そう、呟くように言った。
ロファースはそれに少し驚き、もう一度だけ会釈をして踵を返し、薄暗い森を進んだ。

老人は森の奥深くへと進んでいくロファースの背中を見つめ、

「わしらエルフも、妖精族に対し、何も出来はしなかったのじゃから。忌むべきは、人間なのであろう。だが、わしは覚えておる‥‥人間の、英雄をーー」

静かに一人、言葉を吐いた。

「チェアル様ーー」

後方から自分の名を呼ぶ民の声がした為、老人ーーチェアルは小さく息を吐き、里へと向き直る。

◆◆◆◆◆


空さえも、木々に覆われて見えはしない。薄暗い森の道筋は、ただの一本道であった。進んで進んで、進むうちにようやく光が見えくる。
例えるならば、それは混沌の闇の中でやっと見つけた一筋の光。

すると、突如追い風がロファースを襲う。砂埃に目を閉じた。
ほんの数秒してその風は止み、ギュッと瞑った目を開ければ、何が起きたのか、自分は青空の下に立っている。

振り返れば、今さっきまで進んでいた一本道はなく、複雑に入り組み、道が木々に覆い隠された道筋に変わっていた。
エルフがまた、結界を張り直したのだろうかと思う。

そして、ここはどこなのだろうか。ロファースは眼前に広がる草原を歩き出した。
歩く内に、初めて見るーー国であろうか、街であろうか?そんな大きな場所が目に入ったので、ロファースはそこに進んでみることにする。

だが、そこに入った途端に息を呑んだ。
ーー恐らく、ここは国なのであろう。
だが、国の中は酷い有り様だった。

建物も、立派だったであろう像も、国を象徴する城も、全てが無惨に、酷く破壊されていた。
一歩、また一歩と歩くだけで、地面もピシピシと音を立て、今にも全てが崩れてしまいそうな程に脆い。

「お前‥‥赤毛の騎士さんじゃんか!?」

すると、背後から聞き覚えのある声がして、ロファースは振り返った。しかし、

「あれ?」

聞き覚えのある呼び方に声なのだが‥‥
短い金髪に、茶の目をした、エモイトの甲冑に身を包んだ二十代前半の、見たことのない青年だ。

「ああ‥‥兜、かぶってないからわかんねーか。俺だよ、エモイトの騎士、ディンオ。いや、そんなことより何してんだよ!エウルドスの騎士がここに居ていいと思ってんのか!?」

そう怒鳴られて、

「どういうことですか?」

と、ロファースは聞き返す。それに、ディンオは顔をしかめた。
この現状、また、エウルドス王国が関わっているのだろうかとロファースは思い、

「俺はエウルドスから逃げたんです!騎士を捨てました!教えて下さいディンオさん。どういうことなんですか?この国はいったい?エウルドスが何か関係しているんですか!?」
「なっ、おっ、おい‥‥」

ロファースが興奮するように声を上げ、更には意味のわからないことを言い出した為、ディンオは困るように彼を見るしかできない。すると、

「ここはファイス国だ。最近出来たばかりの国だった」

そう、どこからか別の声がした。
コツ‥‥と、鎧の金属音を交えた足音を鳴らしながら、瓦礫の奥からエモイトの騎士隊長、リンドが現れたのだ。

「初めての王、そして民達がこれから国を始めようとした矢先だ‥‥君も参加した、我らとエウルドスが戦った先日の戦。その数日前に、エウルドスはこの国を滅ぼした」
「なっ‥‥!?」

リンドの言葉に、ロファースは目を見開かせる。

「エウルドス王は全ての国を破壊し、世界を手中に収めることを望んでいるのだ。その為に、エウルドスの男児らは幼き日から剣を握らされ、世界を、国を滅ぼす駒として、知らず知らずに動かされる人形になっているのだよ」

ーーリンドの言葉が真実なのかはわからない。だが、もしそうだとすれば。
そんなことのために、自分は剣の腕を磨かされていたのかと。
護る為だと思い続けていたその行為が、破壊への未来を創る行為であることに、ロファースは恐怖を覚えた。
俯くロファースに、

「して、君はエウルドスから逃げたと言ったな?それは何故だ?」

と、リンドが真剣な声で尋ねてくる。

理由ーーロファースは静かに思い浮かべた。

「エウルドスがエモイトにしたこと‥‥一人の騎士が言いました。たった一人だけの犠牲で済んだと、優しいものだろうって‥‥俺にはそれが理解出来なかった。俺は拾われ子でしたが、エウルドスで育ちました。だから、エウルドスのことしか知らなかった、他の国のことなんか、何も知らなかった」

ロファースは拳を握り、

「誰かを殺して得たものに価値なんかない!戦争なんて、馬鹿げている!」

吐き捨てるように叫ぶ。

「そうか。馬鹿げている、か」

それに、リンドは小さく言った。
ロファースは、はっとする。リンドはエモイト騎士の部隊長だ、今まで数多の戦争に参加してきたはずだ。今、自分はそんな人物の前で、その生き方を否定したようなものだ。しかし、

「君の言う通りだ。戦争は馬鹿げている。私はね、そんな馬鹿げたことをなくしたいから、馬鹿げたことをしているんだよ」

口調を緩めながらリンドは話す。

「戦争は、言葉で鎮めることなど出来はしない。そうしている間に、誰かが何も成せぬまま、無惨に死ぬ。だからこそ、剣と剣をぶつけ合い、終結させるしかないのだ。今、世を戦乱に導いているのはエウルドス。自国の野望の為に、所構わず戦争を引き起こす元凶だ」

そんな二人の話を聞いていたディンオが頷き、

「エウルドスさえ戦争を仕掛けてこなきゃ、どこも平和なはずだぜ」

そう続ける。

「我らエモイト国はいつの日か必ずエウルドス王国を滅ぼす。戦争は望まぬが、これだけは穏便に済ませるわけにはいかぬのだ。亡くなられた我らが王の為にも、民の為にもーーエウルドス王を見逃し続けるわけにはいかない」

リンドはロファースを見下ろし、

「君は言ったな。誰かを殺して手に入れたものに価値などないと。私は、今まさにそれをしようとしている。エウルドスを滅ぼして、平和を手に入れようとしているのだ」

彼のその言葉を聞き、ロファースは目を見開かせた。
誰も、何も犠牲にせずに。そんなもの、ただの綺麗な‥‥理想にしか過ぎないではないか。
どれほど甘いことを自分は思い、言い放っていたのか。

しかし、俯き、押し黙るロファースに、リンドは思いがけない言葉を言った。

「だがな、これは私の思いだ。君の思いと私の思いは全く違う。だから、自身の考えを否定する必要など無い。私は剣を持って世界を変える。君は君が言うように何も犠牲にせずに世界を変えてみせろーー平和を願う想いは、終着点は、互いに同じだ」
「‥‥っ」

ーー否定されなかった。
こんな時代に、自分の甘く愚かな考えを、否定されなかった。
むしろ、叶えてみせろと‥‥。

ああ、そうだ。
剣を持つことだけが何かを守るということではない。
大切な者の傍に居ることーーそれも大切なものを守ることになる。
神父がそう語ったことをロファースは思い浮かべた。

それに、アイムも‥‥
ロファースの理想が輝いて見えると言っていた。

ロファースは目の前に立つ、騎士である男を再び見上げ、

「リンドさん‥‥あなたのような立派な騎士なら、平和な世界を作ることが出来るのかもしれない。誰もが戦争を当たり前だと思うこの時代を、あなたなら変えてくれるのかもしれない」

戦争は当たり前だと思っていた。
だが、目の当たりにした。
奪い、奪われ、戦争とは正しくないことなんだと感じた。

奪う必要などない。
奪われる必要などない。
そんな権利など誰にもありはしない。

ただ、世界が一つになればいい。それだけのことなのに‥‥人は争いをやめない。

リンドは再び崩れた街に踵を返し、

「私は剣を振るい道を開く。君は君自身の形で道を開け。その先で、また逢おう」

そう言って、街の中へと姿を消した。
続けてディンオも立ち去ろうとしたが、ロファースは何かを思い出し、

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

と、彼に声を掛ける。彼は「何だよ」と、目を細めた。

「あなたはイルダンさんと知り合いなんですか?」

戦場で、ディンオがイルダンに声を荒げていたことを思い出したのだ。

『なぜ、俺達を裏切った!?説明しろーー!』

ーーと。
だが、イルダンはディンオのことを知らないと言っていたのだ。
ディンオはロファースから顔を逸らし、リンドが進んだ方に向き直って歩き出す。歩きながら、

「あんたには関係ないが‥‥イルダンは‥‥俺の、友だった男だ」

それだけを、小さな声でロファースに伝えた。

◆◆◆◆◆


リンドはディンオの後に続き、崩壊した街を横目に見ながら、

「今の元騎士さん、エウルドスを裏切ったことになりますよね」

と、ディンオは言う。

「エウルドスから逃げ出した奴は一生追われ続け、自由にはなれない。そんな話を聞いたことがありますーー追い付かれた逃亡者はどうなるんでしょうね」

エウルドス王国から逃げ出した者は追われ続ける。
なぜ追われるのかーー理由はわからない。
そんな噂をいつの日だったか耳にした。
追われ続け、追い付かれた後、どうなるのか。
その先は、追いかけて追い付いた者以外は知らない。

ディンオは前を歩く長身の男をの背中を見つめ、

(まあ、関係ないか。俺は騎士として進むだけだ。兄さん‥‥あなたの理想を叶える為に、この剣を持って)



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