人間界の昼1
――平気なんですか?
そう、カトウに問われたジロウは困ったような顔になる。
父も母も、村の人達も、皆消えた。
恐らく黒い影に飲み込まれて…
「…平気なわけねえよ」
と、ジロウは声を絞り出す。
しかし、カトウは首を横に振り、
「嘘。だってジロウさんは、まだよくわからないけど、その剣を持って前に進もうとしてる…」
「嘘じゃないって。オレだって、まだよくわかんねえよ。けど……成り行きだけど、英雄がこの剣をオレに託して…さっき話した、魔界の王子とも約束したんだ。この剣を護るって」
それから、ジロウは苦笑して、
「なーんてな」
と、冗談だと言う風におどけて笑った。
そんなジロウの様子に、
「おい貴様、まさかこの期に及んで…」
「あー、違うって!ちょっといいから口挟むなよ」
睨んでくるネヴェルに慌ててそう言い、改めてジロウはカトウに向き直る。
「その、さ。英雄の剣を手にしてなかったら、オレだって前に進めねえよ。こんな現実、受け入れられない。むしろ、黒い影ってのに飲み込まれてオレの人生終わってたかも」
「その剣があるから、前に進める…?」
聞き返してきたカトウにジロウは頷いた。
「この剣を護る、約束がある。口実…ってヤツだよな。でも、その口実があるから、オレはなんとか前に進めそうなんだ。じゃなきゃ、オレもきっと、今のあんたと同じ気持ちだ」
「…ジロウさん……うう、ひっく……」
再び泣き出してしまったカトウに、ジロウは慌ててしまい、
「チッ、グズグズせず、さっさと進めんのか」
「…すぐに心の整理なんてつきませんよ。ジロウさんだって、本当は無理に進もうとしているんでしょうし…」
苛立つネヴェルに、ハルミナはそう返す。
「しかし、こうなってくると天界が怪しいな」
「え?」
「天界の生き物が魔界にも人間界にも出現した。これは、天界で何か起きているとしか思えん」
「天界で…」
「天界の奴らの仕業か、もしくは天界も同じように滅びかけているか。どちらかだな」
そのネヴェルの言葉に、ハルミナは反論できなくて。
「……?おい、貴様ならこの手の言葉に反論してきそうだが…まさか、心当たりがあるのか?」
疑問に感じたネヴェルはハルミナを見る。
そのネヴェルの視線に、ハルミナは慌てて首を横に振って、
「い、いえ……」
と、否定した。
――君は知らないんだよね、モルモット。君が幼い頃に魔界に落とされたのは、全て実験なんだよ
あの時の、マシュリの言葉がハルミナの脳裏に引っ掛かる。
マシュリと、ミルダ。
二人を怪しむわけではないが、あの二人はどうも、信用は出来なかった。
「ふん、まあいい。俺達は一時的な協力関係だ。別に情報のやり取りを期待していない」
「……」
ネヴェルに言われ、しかし、ただの臆測でしかないのだ。話せるはずもない…
そこで、ハルミナは一つ思い出す。
(ヤクヤおじさんは、リーダーとミルダ先輩をあの時代に生きた人だと言って知っていた。なら、ネヴェルさんも…)
その二人について聞こうとしたその時、
「わ、私も連れて行って下さいー!!」
そんなカトウの大きな叫びに、ハルミナは開きかけた口を止め、ネヴェルは顔をしかめて耳を塞いだ。
「な、なに言ってんだよ!危ねえって!!」
次は、ジロウがそう声を大きくして言う。
「でもでも!結局、今はどこに居ても危ないじゃないですかー!!ジロウさん達が行ってしまったら、私……私…」
「ネヴェル、ハルミナちゃん、どうしたらいい?!」
助けてくれと言わんばかりにジロウは二人に聞いて。
「え、えっと…、確かに一人にしてしまえば危険ですから、なら、一緒に…」
「荷物だ。捨てて行け」
ハルミナの言葉を遮り、ネヴェルはジロウに言った。
「に、荷物?!」
そこで、聞き捨てならないとカトウは目に涙を溜めたまま立ち上がる。
「悪魔さん酷いです!私は人間です、荷物ではありません!!しかし確かに荷物と言う言葉通り、私はなんの役にも立ちません!でもでも!私はジロウさんと行きたい…!それに、テンマさんの真実も知りたい…!」
そこまで威勢良く言ったが、表情一つ変えないネヴェルを見て、
「…そ、それだけの理由では、駄目でしょうか?」
カトウは俯き、弱々しく言った。
「カトウ、あんた…」
表情一つ変えないネヴェルとは対照的に、ジロウは目を見開かせ、
「…あんたもまだ、テンマを、信じてるんだな?」
そう、ジロウが聞けば、
「…はいっ。皮肉めいた人ですが、確かに私を助けてくれた。ジロウさんを傷付けたのは許せませんけど、でも、一度見ただけですが…ジロウさんと居るテンマさんは、楽しそうだった。だから彼は、根っからの悪人ではないって…ジロウさんと一緒に、信じたい。……ダメ、でしょうか?」
そして、カトウは再びネヴェルに振り向く。
すると、ネヴェルは鼻で笑い、
「よくわかった。人間の女、貴様はあの得体の知れん男が好きだということだな」
「はい、好きです!だって、テンマさんはジロウさんのパートナー…」
元気よくカトウは答えようとしたが、
「一人の男として、と言っているんだ、俺は」
「……え?」
「……へ?」
そんなネヴェルの言葉に、カトウとジロウが間の抜けた声を出した。
「一人の男として好きって…。そうなのかよ?カトウ」
全然わかんないけど、と言う風にジロウが聞けば、
カトウは顔を真っ赤にして首をぶんぶんと振り、
「そ、そんなわけないじゃないですか!?現に、私はテンマさんと二度しかお会いしてませんし!好きな人いない歴18年、すなわち彼氏いない歴18年の私ですよ!?確かにテンマさんは美形だなーと思うし、嫌味だけど助けてくれて、ちょっと素敵だなと思いましたけど、そんなわけないです!!」
だんだんと言っていることが滅茶苦茶になってきているカトウを見て、
「あ、あの…この話は終わりにしませんか?これ以上は…」
ハルミナが困ったように切り出し、
「そ、そうだな。カトウは気付いてないかもだけど、本心言ってるしな、このまま続けたらなんか可哀想だ」
ヒソヒソとジロウも言う。
だがしかし、
「わかった。気になる異性と言うこと…」
「やめたげて!!」
またややこしい方向へ話を続けようとするネヴェルをジロウが制止しながら、
「わっ、わかった!一緒に行こうぜカトウ!!」
もうこれしか道はない、と、ジロウは叫ぶ。
「…え、え?いいんですか!?」
カトウは何度も瞬きをした。
「ふむ。まあ、先程の話からして、いざという時に捨て駒として役に立つかも知れんな…」
「だ、だからそーいう言い方はやめろってば!話がややこしくなるから!」
毒ばかりを吐くネヴェルに、ジロウはもう頭を抱えたくなる。
「あ、ありがとうございます!足を引っ張らないように着いて行きます!ジロウさん、悪魔さん、天使さん、よろしくお願いします!」
カトウは深々と頭を下げ、三人に言った。
「あ、カトウさん。私のことはハルミナでいいですよ」
「わかりました、ハルミナさん!えっと、じゃあ悪魔さんのことはなんて呼んだら…」
「呼ぶな」
「え!?」
呼ぶなとネヴェル自身に言われ、戸惑うカトウに、
「なあなあカトウ。魔界でこいつは女の子にネヴェル'ちゃん'って呼ばれてたから、ちゃん呼びでいいと思うぜ」
「…ジロウ、貴様」
「じょ、冗談だって…」
「わかりました、ネヴェルちゃん!」
「……」
シーン、と、カトウ以外の三人は静まる。
「あ、あのさ、カトウ…」
「さあ!では、まずはどうしましょうか?!ジロウさん、ハルミナさん、ネヴェルちゃん!」
ジロウは冗談のつもりであったが、カトウは本気で捉えてしまったし、平気そうに名前を呼んでいて…
「…勇気のある方ですね」
ぼそり、とハルミナが言い、
「…相手は無能な人間の女だ。所詮はその程度の知能だろうからこの無礼は見逃してやる。しかし貴様らがその呼び方をしたら…」
淡々とネヴェルは言いつつも、ギロリと鋭い眼差しでジロウとハルミナを睨むので、二人はネヴェルから視線を逸らした…
そして、とりあえず話の流れを戻そうと、これからについて話そうとした時、
――コンコン
…と、ジロウの家の扉を誰かがノックして。
「…まさか、無事な奴が居るのか?!」
「おい、貴様っ…」
なんの警戒もなく、ジロウは扉を開けた。
するとそこには、
「あ、あんたは…」
ジロウは視線を落とし、その人物を見る。
黒い髪に、紫色のローブを着て、手に丸い水晶の玉を持っている小さな女の子…。
「占い師の…」
「レーツです」
占い師レーツは目を丸くしたままのジロウにそう言った。
以前、ジロウはこの少女と銅鉱山の帰りに一度だけ会い、そして妙な占いをされた。
「あれ?あなたは!」
すると、レーツの姿を見たカトウが言い、
「カトウもこの占い師の子、知ってんのか?」
「は、はい。さっき、ジロウさん達が来る前に、銅鉱山の前で…」
それを聞き、ジロウは不思議そうにレーツを見る。
「少年よ。私の言った通りになったでしょう?」
「な、何が?」
「君はもうすぐ夢を持つことになるでしょう、訪れる、運命の出会いと共に…」
あの日の占いを、レーツは謳うように口にして、
「少年よ。いや、少年少女たちよ。世界は再び一つに戻されようとしています。それはもう、悪い意味で……それを止められるのは、英雄たる資格を持つ、君達なのです」
そう言葉を紡いだ。
「英雄たる資格?おい、貴様は何者だ」
そこでネヴェルが訝しげに聞くも、レーツは目を閉じ、
「私は何者でもない、ただの占い師レーツ。君達の中に、たった一人だけ、後の英雄となる人が居ます」
「…英雄に?」
ハルミナが首を傾げる。
「ジロウ、ハルミナ、ネヴェル、カトウ。……そして、テンマ。いずれかが、この世界の……全ての世界の新たな英雄となる。そう、私は占います」
レーツの言葉に一同は沈黙した。
「なっ、なんでオレ達が……それに、テンマまで?いや、むしろ、あんたは人間なのに英雄や世界のことを知っている?」
疑問点をジロウが指摘すれば、
「少年よ。君がその剣を使いこなすのはまだ難しいでしょう。しかし、その剣には欠けた部分があるのです。それを、取りに行きましょう」
いきなり現れ、そして勝手に話を進めていくレーツに、疑問…違和感…不信感……
一同の中にはそんなものが巡っていた。