上級天使ハルミナ

今日、私は上級天使になることを受け入れた。
相変わらず、顔の見えない天長。

「お前のことは今まで同様カーラに任せてある。詳しいことは彼が教えてくれるだろう」

…と、天長は言っていたけれど。
投げ遣りみたいで、なんだか、おかしな話。

上級天使は一番高い階級なのに、なぜ私が?
それでいて、なんの指導も言葉も天長から無い。

何か、おかしい…


「ん?どうかしたかい?不味い?」

ぼんやり考え事をしていた私に、向き合うように食卓を囲んでいるリーダーが聞いて来た。

――実はちょっと、今日は大切な日なんだ。だから、僕からのお願い


そう、リーダーが言って、リーダーの家で食事をすることになったけれど、別に何も本題らしいことはまだない。
上級天使の仕事についてだろうか?

「いえ、おいしいです」
「その割りに、表情が固いよねー、いっつも」
「それは……元からの顔ですから…」
「ふーん、へー」

疑うような声音で、リーダーは買って来た食事に再び手を付ける。

「ちなみにハルミナはさ、この二年で、たくさん下級天使として仕事をして来たろ?どの仕事が一番好きだった?」

急にそう尋ねられ、私は考える。
魔界から天界に連れ戻された私は、隔離されるかのように、天界の住人が訪れることのない深い深い森の中の小屋に放り込まれていた。
まるで、童話にある、森に棲む魔女みたい。

餓えで、私が死ぬことを期待していたのだろう。
でも、私は魔界で生きていた。
教えてもらった、家の無い生活を。
魔界に落とされた私を拾ってくれた、ヤクヤおじさん達、皆に。

だから、私は森の中でも生きれた。
森で木の実を採り、自然に咲いた山菜を採り、それを食してなんとか生きた。

死にたくは、なかった。

私はいつかもう一度、恩人で、家族だった、ヤクヤおじさん達に会いたかったから。
私なんかに残された、唯一の……願い。

でも、二年前に偶然、リーダーが森の中に迷いこんで来て、私を見つけた。
見つけてなぜか、私を森の外へ引っ張り出した。
困惑した、私を無視して。

それから私は、上級天使の監視のもと、生きていくことになった…

私は、今までの任務を思い出す。別に、苦なものはなかった。
…思えば恐らく、リーダーが簡単なものばかりを用意してくれていたのだろう。

…一番好きだった仕事。

「花の種を、蒔く、仕事…でしょうか」

私はそう、リーダーの質問に答える。

花の種を蒔く仕事。
決まった時期の花の種を人間界に蒔く仕事のこと。

空から種を蒔き、人間界で芽吹く…
天界の存在を知らない人間達は、そのことを知らない。
それってなんだか、素敵なことだな、なんて私は思う。

この種が、魔界にも届いたらいいな、なんて、私は願いながら、種を蒔いていた。

「へえ。地味な仕事で、みーんな、つまらなそうにしてるのにね」

リーダーは言い、それから私を見て笑う。

「やっぱり、ハルミナはいい子だね」

なんて言われた。

「…あの、それで、大切な日、なんですよね。今日。いったいなんなのでしょうか…」

なかなか本題に入らないリーダーに、私が聞けば、

「ん?ああ、ほら。今日はハルミナが上級天使になった日。だから、お祝い」
「……。…はい?」

私は目を丸くする。

「あの、それだけ、ですか?」
「ん。それだけだよ」
「……」

やっぱり、この人はよく、わからないなぁ。

「で?ハルミナはなんで上級天使への昇格を受け入れたのかな?悩んでたろ?」

その問い掛けに、私は息を飲む。

「リーダーが、言ったじゃないですか。上級天使とはなんたるか、上級天使に出来ることはなんなのか、私自身の、幸せの為に……って」
「ん、言った言った。上級天使になったら、仕事も増えるし、給料も上がるしねー」
「……」

私は、ヘラヘラ笑うリーダーを見る。彼の、真意を見抜こうとする。でも、わからない。

私がリーダーの部下なのは、私を監視する為ではないと、リーダーはいつも言う。
でも、私にはわからない。

私は、異分子。
私に関われば、リーダーもその格を疑われてしまうだろうし。そもそも、私に肩入れする義理もないはず。

だから、私は何をどこまで信じたらいいのか、わからない。
この、天界で……


さっき、上級天使になったと同時に、天長から授けられた新たな羽。
元からの羽に、天長の魔力が注がれ、その羽を持つ者は、人間界と魔界の扉をくぐれるのだ。

だから、私は、悩んだけれど、受け入れた。

これで、また魔界へ行けるって。

――上級天使に出来ることはなんなのか
――自身の、幸せの為に


リーダーは、もしかしたら、私がこう思うことを、気づかせようとしていたのかもしれない。

上級天使になって、魔界へ行って、幸せになれ…って意味だったのかも。

でも、わからない。
実際はどうなのか。
私が本当に魔界へ行ったとして、それを許してくれるのか…?

私は、天界を裏切ることになるのかも、しれない。

私は、私は…本当はもう、天界から、逃げ出したいのだ。

「ハルミナ?」
「!……あっ、はい。あ、あの、食事、ありがとうございました」

私は食べ終えた空の食事箱を慌てて片付けながら言う。

「ああ、片付けならいいよ。君へのお祝いなんだから、僕ん家だし、僕がしとくし」
「そっ、そういうわけにも……」
「あと、ほら」

リーダーはテーブルの下から、また何か箱を取り出して、私はその箱の柄に「あ!」と、思わず声を出してしまい、慌てて口を押さえた。
そんな私をおかしそうにリーダーは笑う。

「そっ、それって」
「うん。ハルミナの好きなデザート屋のケーキ、買って来たんだ」
「……」

私はその箱をまじまじと見つめた。
天界に居るのは辛いけれど、このデザート屋のスイーツは、凄く美味しくて、これには弱い。

「懐かしいな。初給料で、君はここのデザートを買ってたよね。君は煙たがられるから店で買い物をするのは嫌いだけど、ここの店だけは常連だもんね」
「……は、はい」

私はリーダーの話に相槌を打つが、私の興味は箱の中身に絞られていた。
リーダーが箱を開けると、

「えっ!!えー!?」

私は柄にもなく、また大声を出してしまう。

「それって、その店で一番人気で一番高いケーキ!」
「そうそう。ハルミナの給料じゃ、手が出せないだろう?」
「うっ……」
「だから、リーダーから部下へのお祝いプレゼント」
「……」

私は、嬉しすぎてそれに、「上級天使の仕事をこなして給料が貯まったら、お礼をさせて下さい」とでも、気の利いた台詞を言いたかった。
でも、私は、魔界へ行くことを考えている。
それを考えたら、上がっていたテンションが、少し低くなってしまった。

「……あの、リーダー。やっぱり私、こんな…」
「ほら、君のために買ったんだから。食べてくれないと僕、泣きたいんだけどなー」
「……たっ、食べます」

言って、私はケーキを食べた。
それはもう、今まで食べたケーキと比べ物にならない美味しさだった。
食べた後、何度もリーダーにお礼を言った。

上級天使になった、お祝い、か。
私は、それを、裏切ることになるのかもしれない。
だから、聞いておきたかった。
最後になるかもしれないから。
何度かしたこのある質問を。

「リーダーは、なぜ、私によくしてくれるんですか?監視する為じゃないと……言っていましたよね」

他の上級天使達は、私を異分子と呼ぶか、ゴミみたいな目で見るか、関わらないよう避けるか……そんな、邪魔者扱いをする。
魔界上がりの堕天使だと。
災いをもたらす者だと。

天界の住人達は、私を不気味な存在だと言う。

天長すら、何を考えているのかわからない。

そんな人ばかりの、この天界で。

「そうだな。最後になるかもしれないし、僕もちゃんと、言うべきかなー」
「……最後?」
「いやいや、なんでも」

やっぱり、リーダーはわかっているのだろうか…?

「別に僕は、君によくしてるつもりはないけれど、そう思ってくれてるなら、嬉しいね」

苦笑しながら言い、リーダーは目を細め、真っ直ぐに私を見た。

「僕は、……いや。やっぱりやめとこう」

何かを言おうとしてやめてしまう。

「あの…質問には答えられない系、ですか?いつもなら…」

いつもなら、この質問に、なんらかの答えを返してくれるはず。

「…正直に話して、君に幻滅されて嫌われるのが、僕は恐いのかもね」
「……」

それは――……
本心ではやっぱり、私を異分子として見ているということなのだろうか。

「あ、そんな顔しないでよ。悪い意味じゃないんだ。ただ、僕の気持ちの問題と言うか…」
「……?」
「多分、君には届かないものばかりだから」

私は、リーダーが何を言いたかったのかがわからない。いつもヘラヘラしている人が、今はなんだか、少しだけ元気がない、ような気はした。

「逆に聞き返していい?ハルミナは、僕のことをどう思っている?」
「リーダーを?」

私は割りと真剣に考える。

「恩人だと、思ってます」
「恩人かー」
「はい。リーダーに出会わなければ、私は一生、森暮らしでした。仕事も、棲む場所もまともにないまま……」

私は、言葉を止める。

「そうだ、リーダー。腕の怪我」

先刻、リーダーの右腕の傷口から流れ出ていた血。
今は自分で、包帯を巻いているようだが、血が滲んでいる。
派手に転んだらしいが…
私が治癒術で治そうと言い掛けたけれど、それっきりだった。

「リーダー。それ、治します」
「えー?いいよこんなの」
「いえ、それで、まずは恩返しとお礼をさせて下さい」

きっともう、これぐらいしかできない。
これが、私からリーダーへの、最初で最後の恩返し。

私は椅子から立ち上がり、リーダーが座っている方まで行く。
それから、包帯を取り、傷口に手を翳して治癒術をかけた。

私の治癒術は、魔界で学んだもの。
だからさっき、ラダンさんの前で術を使おうとした私の言葉をリーダーは遮ったのであろう。

「……ありがと、ハルミナ。良い部下に恵まれて僕は幸せだよ」

そう言われて、私は、

「私こそ……今日は、ありがとうございました」

と、天界の恩人に、言った。
リーダーの本心はわからない。けれど、恩人であるのは、事実だから…

そして、自分勝手な話かもしれないけれど、頭の片隅では、魔界への思いを馳せ…

私は、決意をする。


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