魔族レディル
青く澄んだ空。
流れるような風に草原の草がゆらゆらと揺れ、その中で空を仰ぐ男の顔を私は覗き込み、
「お前か?最近この付近で暴れている喧嘩好きの魔族とは」
そう聞いた。
すると、薄紫の髪色をした私より背の高い魔族の男が飛び起きる。
「なんだお前は?」
「私はレディル。見ての通り、お前と同じ魔族だよ」
私が名乗れば、男は品定めをするかのように私の頭から足元に視線を動かし、
「俺のこと知って声を掛ける割には…キレイな顔立ちしたなよっちい坊主だな」
そう、男は鼻で笑って言うので、私は首を横に振り、
「私は喧嘩をしに来たわけではないよ」
と、微笑みを返した。
「ただ、若い子達がちょっと怖がっててね。是非、暴れるのをやめて下さいとお願いしに来たんだ」
「…ああん?」
男は目を細めて私を睨み、
「こっちは暴れたくて暴れてるわけじゃねえよ。相手が殴って下さいって顔をしてるから殴ってやるだけだ」
「ほう?」
男の言葉に私は頷く。
「噂で聞いただけなのだが……歩いていてぶつかって来た相手。家の付近をただ歩いている通りすがり……そんな感じの人にお前が喧嘩を吹っ掛けていると聞いたんだが………いやはや、短気な魔族も居たものだねと感心するよ」
私がニコリと笑って言うので、男はキレたようだ。
言葉を交わすより先に、男の拳が眼前にあって、私はそれを避ける。
また拳が振り回されて避ける、避ける、避ける――…
その繰り返しだ。
次第に男は呼吸を乱し、
「…っ、な、なんだお前!?動き……速いくせに、なんで攻撃を仕掛けてこない!?」
そう問いながらも男は拳を振り回す。
「お前こそ、私に苛ついているのなら魔術で足止めしてから殴ってはどうだ?」
男の拳を避けながら、一切魔術を使ってこない男に聞けば、
「魔術なんてもんより拳で相手をぶちのめす方がいいんだよ!!」
「あ、そう」
私は頷き、暴走している男の拳をサッと右に避け…
「!!?」
男は目を大きく開けた。
なぜなら私が避けた背後には一本の木。
暴走している男の目には私しか映っていなかったようだ。
それを確信してギリギリのところで私は避けた。
そして、案の定……
ゴシャッ――!!!
男は頭から木に突っ込んだ…
――…
―――…
紅に染まる空。
私は草原に立ち、静かにそれを見つめる。
「……う…」
小さく呻く声に私は振り向き、
「やあ、よく寝ていたようだな」
そう、先ほど派手に木に頭をぶつけ、そのまま気絶した男に微笑みかけた。
男は私を見て怒りのような視線を向け、何か言おうとしたが、ぶつけた頭の痛みが響いたのか片手で額を押さえる。
それから、
「…?」
男は不思議そうな顔をした。
「ああ。血が出ていたからね。簡易だが手当てさせてもらったよ」
と、男の額にはぐるりと布が巻かれていて…
それから男は私の方を――右腕を見る。
「ん?気にしなくていいよ」
私は笑った。
男の額に巻いた布は、私の服の袖をちぎったものだから、男は私のちぎれた服を凝視している。
「さて。魔族の中には確かに血気盛んな者が居る。お前はなぜ、そんなに血気盛んなんだ?」
私は夕陽を背に受け、男を真っ直ぐに見て聞いた。
「……」
男はしばらく無言でいたが、
「なんでお前に話さないといけない」
と、私を睨む。
「ただの興味本意だよ。魔術ではなく、拳を使って暴れる魔族って珍しいから。魔術をそんなに使えない人間なら殴り合いの喧嘩をするんだろうけど……魔族や天使って、すぐに魔術を使いたがるからさ」
そう私は答えた。
しばらく男は私を見据えていたが、私は笑みを絶やさなくて、男は舌打ちをする。
「…魔術なんかより殴る方がスカッとする。それだけだ」
「ふーん?そんなものなのかな」
私は首を捻り、
「それで、話は戻るけど…暴れるのをやめてくれるか?」
話を最初に戻した。
「だからなんでお前の指図を受けなきゃいけない?俺がどうしようが俺の自由だろ。従わせたきゃ力づくでやれ。それでお前が強けりゃ従ってやる」
「ふう…」
男の言葉に私は息を吐く。
「すまないが、私は力づくというものは好まない。だから、お願いに来ているんだよ」
「…魔族のくせに甘ったれた奴だな」
「魔族の誰もがお前みたいなわけではないよ。…お前の育った環境は知らないけどね」
私は目を細めて男を見つめ、
「ただ、最近の世界は変わりつつある。魔族と天使。どちらの立場が上だ?……なんて、些細な言い争いをする愚か者もいるようだ。それで苛立ちを募らせる魔族も多い。思うに、お前もその一人だろう?だが、その苛立ちを無力な存在に向けてはいけない」
私の言葉に男は眉間に皺を寄せ、
「ああ?説教くせえ坊主、さっきから偉そうに何様のつもりだ?」
「強いて言えば、その力を別のことに使ってほしい」
「…?」
私の言葉の意味がわからずに男は押し黙った。
「恐らく、いずれ大きな争いが起きる。その時にはきっと、存分に暴れて苛立ちを発散させざるを得なくなるさ。それに、魔術に頼る私達だ……拳で戦えて、それでいて強い者なんて滅多にいない。私はお前の強さを買いたい」
私は男の赤い目を赤い目で真剣に捉え、
「どうせなら、壊すのではなく、何かを守る為に暴れようじゃないか」
「…守るだと?ふん、生憎、守りたいものなんて持ち合わせていねえよ」
男は吐き捨てるように言い、
「そう言う甘ったれ坊主のお前は何を守るってんだ?」
男の言葉に私はキョトンと目を丸くし、
「決まってるじゃないか。友人や仲間だよ」
と、即答した。
意味がわからないという風に男は目を丸くしている。
「本当なら、家族という言葉も含めたいのだが、私は捨て子でね。両親を知らない。どこの誰なのか、生きているのかさえもね。家族を知らない私だが、同じような子達と暮らしているんだ。だから、そんな友人や仲間を家族と言ってもいいのかもしれないがね。そうだ、お前に家族は?」
私はペラペラと一人喋り、それから男に聞いた。
「…」
言いたくなさげに私と視線を合わせない男に、
「そうか、お前も同じか」
と言えば、
「何も言ってないだろ!」
男は怒鳴る。
「まあいいさ。暴れるのをやめるか、とりあえず、考えておいてくれよ」
今日はこれ以上、話は進まないだろうと思い、私は男に背を向け、踵を返した。
――…
―――…
「お帰り、レディル!」
家に帰ると、若い魔族の少女、メノアが出迎えてくれて、
「大丈夫だったの?」
若い魔族の少年、ネヴェルが心配そうに聞いてきた。
自分よりも遥かに幼い少年少女。
この二人も親に捨てられたそうで、どうやら幼馴染みだったらしく、私が初めてこの二人を見つけたのは雨の日だった。
ネヴェルが泣きじゃくるメノアの手を引き、安全な地を目指していたところを私が保護した…と言う経緯。
「ああ、ちょっと難しいかな。でも、安全に暮らせるように、明日もまた彼に暴れないでねってお願いしてくるよ」
二人を安心させるように私は微笑む。
――…
―――…
翌日、外に出た私は異変に気付いた。
(血生臭い…)
嫌な臭いの方向を私は辿る。
そこには案の定、あの男が居たが…
少しばかり状況は違った。
無駄に暴れて恨みを買いすぎたのだろう。
複数の魔族だ天使だ人間だに囲まれている。
しかし…
ああ、マズイ。
いくら大人数相手でも、あの男の勝利は目に見えている。
なぜなら、すでに何人かの重傷を負った者達が地面に伏せているからだ。
本当に暴れるのを好むようで、男の赤い目はギラつき、その顔は意気揚々としている。
未だ立っている魔族に天使に人間達は逃げようとしたが、男はそれを逃がさない。
男の体術が再び舞おうとしたところで…
「すまないが、今日は止めるよ」
私は氷の魔術で障壁を作り、男の拳はその氷を砕く。
「ほら、今の内に逃げるんだ。それから、もう二度とこの男に手を出すな。この男にももう手を出さないよう言っておくから」
私は狼狽える魔族や天使や人間に言い、彼らは一目散に逃げ去った。
「全く。彼らも無謀だな。むしろ、お前もやり過ぎだ。幾つ恨みを買えば気が済む?」
呆れるように私は男を見る。
「…またお前か、いいトコを邪魔しやがって…!?」
男の興奮は冷めきっておらず、まだまだ暴れ足りないようだ。
私はため息を吐き、
「…わかった。暴れ足りないのならかかってこい。私をぶちのめすといいだろう」
男にそう言えば、理性のぶっ飛んだ男は当然、私に殴り掛かってきて――…
――…
―――…
太陽が眩しい真昼の空。
私は草原に立ち、静かにそれを見つめる。
「……う…」
小さく呻く声に私は振り向き、
「やあ、よく寝ていたようだな」
気絶していた男に微笑みかけた。
男は私を見て疑問のような視線を向け、何か言おうとしたが、頭がクラクラしているのか、起き上がろうとした体は再び仰向けに倒れる。
それから、
「…お前、何をした?俺は、負けたのか?それにしちゃ……痛みが無い…」
男は不思議そうに聞いた。
「軽く眠りの魔術をかけさせてもらった。普通、あまり効果のない術だが、お前みたいに理性の飛んだ相手にはかけやすい魔術だからね」
「…ふざけやがって」
男は快晴の空をぼんやりと仰ぐ。
私はそんな男の側へ行き、同じように仰向けになって空を見上げた。
「お前、うまいものは好きか?」
「は?」
いきなりの私の質問に、男は当然の反応を返す。
「もう昼だ。たくさん動いて腹も空いたろう。自慢じゃないが、私は料理が得意だ。どうだ?うちに食べに来ないか?ご馳走してやるぞ?」
「…なんだ、それ」
「お前、そんな暴れっぷりじゃ友達も居ないだろう。そんな人生、寂しいだけだろう?」
私は空を見つめたまま言い、
「私は力仕事は向いていなくてね。だが、子供二人の面倒を見ているんだ。荷物持ちとか手伝ってくれる相手がいると助かる」
「……」
「それから、私に何かあった時、私の意思を継ぐように…孤独な者、弱き者を守ってくれる強い存在が居てくれたら助かる」
「……」
「やり方は教えてやるよ。ついでに、お前のぶっ飛んだ理性も可能な限り私が止めてやろう。つるむ生き方は案外、一人で居るよりいいものだぞ」
「……」
男は何も言わなかった。
私が一人でべらべら喋っているだけだ。
――…随分と時間は経ったが、後に、私達の生活にその男は加わることとなる。
最初こそ、ネヴェルと衝突したりメノアを泣かせたりしていたが、その度に私が間に入り、男の理性を抑えていった。
あれだけ暴れていた男は少しだけ変わって行く。
私が怯むことなく彼の対応をしているからか、彼は次第に私に心を許していった。
いつだったか、
「感謝してる」
なんて言われた時にはさすがの私もかなり驚いたなぁ…
その男の名は、ヤクヤと言った。
今、肩から先を失った、私の右腕が存在していた部分を見て悲痛な表情をしている男だ。
だからこそ、こんな状況でも私は冷静でいなければならない。
ヤクヤ、お前の理性を抑えると約束したからな。