争いの勃発
最初は、些細な言い争いだった。
それが、いつの間にか大きな争いに発展しようとしていた。
お互い長くを生きる魔族と天使。
どちらの種族が世界を纏め上げるべきか…だなんて言う事柄だ。
生が短く、魔力なんてものを持たない人間は、魔族や天使からしてみれば下等だった。
力無い人間は、生き延びるために自ら魔族に従い、天使に従うしかない。
「カーラ。お前はどうするんだ?」
ネヴェルは落ち着いた声で自身と同じ魔族であり、天使でもある友に聞いた。
「んー。僕はー…」
カーラは迷うような口調をしつつも、その顔に迷いはなくて。
「悪いけど、僕はフェルサに着いて行くよ。彼女は僕の恩人だからね」
「そうか」
カーラの言葉に、ネヴェルは一つ頷くだけだった。
「えー?あれ?驚かないの?この薄情者めー!とかって」
「種族云々、仲間云々。お前はそんなものよりフェルサを選ぶ。誰もがわかってることさ。じゃあな、カーラ。次会うときは敵同士だ」
なんて、ネヴェルはあっさり言う。
それにカーラはヘラリと笑い、
「はは。そう言われると、本当に薄情な奴みたいだなぁ、僕。じゃあね、ネヴェル。メノアちゃん達にもよろしく言っといてよ」
ネヴェルに背を向け、白い翼を羽ばたかせて飛ぼうとしたが、
「そういえば……メノアちゃんのあれ、冗談じゃないよね?」
「ん?」
なんのことだ?と、ネヴェルはカーラの背中を見つめた。
「子供の話。お腹の中にいるのか?」
「……」
その問いに、ネヴェルは無言で頷く。振り向きはしなかったが、カーラはその仕草を読み取った。
「…そっか。…産まれるのはまだ先だろうけど、全てが終わって、平和な時代にその子が産まれたらいいよね」
そう言い終え、カーラは今度こそ空へ飛び、それを見送って、ネヴェルは踵を返す。
魔族達が集う地域に戻ると、メノアが待っていた。
メノアは心配そうな面持ちをしながら、
「争いが始まるの?」
そう、ネヴェルに聞き、
「…そうみたいだ」
ネヴェルは頷く。
「今まで一緒に生きて来た人間や天使が敵になるの?」
「ああ…」
「今まで仲良くして来た人達…フェルサちゃんやミルダさん、カーラさんも敵になるの?」
今しがた、ネヴェルはカーラとそういった挨拶を交わしてきた所だった。
「そう、なるな…」
本当に敵になるのかはわからない。
ネヴェルは曖昧な肯定をした。
「…敵は天使だけじゃなさそうだ」
すると、レディルがやって来て言う。
「どういうことだ?」
ネヴェルが聞けば、レディルの後ろからヤクヤが現れ、
「…魔族側にも天使側にもついていない人間達の一部が何やらコソコソしてるようだ。まあ、人間だからな……脅威にはならないと思うが」
そう言った。
――場所は変わり、天使が集う地域にて、
「フェルサもミルダ先輩も戦うの?」
カーラが二人に聞けば、
「そうだね。私は様子見をするよ」
フェルサが答え、
「魔族が攻めて来た時には動く。それまでは俺も様子見だ。こんな争いは馬鹿げているな」
ミルダもそう答える。
「ふーん……ネヴェル達もそうなのかな」
カーラが遠くの方を見て言えば、
「カーラ少年。心配なら無理をせず、君なら魔族側に居ても大丈夫な立ち位置なんだ。友達の所に行ってもいいのよ」
フェルサはそう言った。
カーラは慌てて首を横に振り、
「この命はフェルサに救われたんだ、力になるって約束したんだ。僕は魔族じゃない。…天使だよ」
そう、胸を張って言う。
フェルサとミルダは顔を見合せ、小さく息を吐いた。
「だが、カーラ。お前はまだ幼い。争いごとが始まれば、前線には立つな。危うくなれば俺の後ろに隠れていろ。それを約束しろ」
ミルダが真っ直ぐにカーラを見て、真剣な声で言えば、それとは裏腹に、
「はーい、ミルダ先輩」
と、カーラはヘラッと返事をする。
「その先輩とか言うのはやめろ」
ミルダが眉を潜めて言うと、
「えー?でも、そんな感じなんだもん」
カーラは首を傾げながら言った。
「ふふ。カーラ少年がレディルにつけたあだ名よりマシじゃないか。それとも、あんなのが良かった?」
「……」
それはまだ、冗談を言い合えていた頃である。
魔族と天使。
魔術だけでの争いだった日々。
日に日にそれは過激さを増し、遂には屍さえ出るようになった。
一部の人間達の水面下での実験材料を生むこととなったのだ…
――そして……
「…とうとう、この日が来たか…」
レディルは静かに言う。
「出来るなら、避けたかったな」
それにミルダは答え、
「まあ、お前達ならしぶとく生きてるとは思ってたがな」
ヤクヤが言った。
「はは、こっちの台詞ってやつだよ」
カーラが言い、
「…だが、ここまでの争いになるとは思わなかったな。死者まで出るほどの……そこまでして、魔族は、天使は……どちらかを蹴落としたいのか?」
ネヴェルが眼前に立つ天使達に聞けば、
「私にはわからないね。ただ…私やミルダ、カーラ少年は、守るのに必死なだけ。それは、君達もだろう?」
フェルサが問い返す。
「そうだな。我々はただ…巻き込まれているだけだ。上に立ちたいだなんて浅はかな考えを持つ者達の意思に。我々は…昔のように平穏に生きたいだけなのにな」
レディルは、数日前までのあの平穏が、もう遠い日々のように思えた。
彼らは、争いの時代に移り変わった今、初めて再会したのだ…
最初の内ははまだ、数日前まで友であった彼らは、友同士で争いはしなかった。
しかし、争いの流れはそれを許してはくれず…
魔族が天使に殺される。
――ネヴェルは、ヤクヤは、レディルは、その天使を討った。
天使が魔族に殺される。
――カーラは、ミルダは、フェルサは、その魔族を討った。
…憎しみの連鎖である。
魔族でありながら、戦いを恐れ、力を振るうことの出来ないメノアは、そういった、自分と同じ境遇の魔族や、無能と切り捨てられる人間達と共に、怯え、震えながら、光景を物陰から見ていることしか出来なかった…
もはや後戻りも出来ず。
とうとう友人だった彼らは、友人同士、刃を向け合わざるを得なくなった。
「一回お前とは戦ってみたいと思っていたが……まさかこんな形で実現するとはな!」
「…ふん、ヤクヤ。お前はむやみやたらに拳を暴れさせるしか出来んのか?さながらバーサーカーだな」
「……ばーさ…?」
ヤクヤとミルダはそんな会話を繰り広げつつも、魔術と拳を激しく撃つ。
それぞれの中で、この二人が一番強かった。
カーラとフェルサはミルダを援護し、ネヴェルとレディルはヤクヤを援護する。
血が流れた、血が溢れた、血が吹き出た。
「やめて…!!お願いよ!もう、やめて…」
とうとう、メノアはそれを叫ぶ為だけに、戦場に姿を現す。
「メノア?!」
最愛の彼女の姿にネヴェルが焦ったのをフェルサは見逃さず、ネヴェルに魔術を放ち、それは命中した。
「ぐあっ……!?」
「ネヴェル…!」
地面に吹き飛ばされたネヴェルの側にメノアは駆け寄る。
「酷い……酷いよ、フェルサちゃん…!」
キッ…!と、メノアはフェルサを睨むが、
「酷い、か…、ねえ、メノア。大事な人達が戦ってる中こそこそ隠れて……それで現れたと思ったら、君はネヴェルの弱点であり足手まといにしかならない。ねえ、どちらが酷いのかしら?」
フェルサは渇いた笑みと問いをメノアに投げた。
それにメノアはビクッと肩を揺らす。
そして、震えながら、
「ミルダさんもカーラさんもフェルサちゃんも…これ以上、私の大切な友達を…苦しめないで…おかしいわ、こんなの…私達、友達だったじゃない…」
そう、嘆くように言うしかなくて。
「メノア!危険だからお前は下がっているんだ!」
ヤクヤが叫び、
「そうだね。ここは…君が立つような場所じゃないよ、メノアちゃん」
カーラが続ける。
戦いを嘆く者。
戦わない者。
もはやこの時代では、その者達は下等な存在だった。
……'邪魔'な因子でしかなかった。
メノアだけではない。
戦う術を持たない者達は、皆、嘆いているというのに、その嘆きは、世界にはもう、響きはしないのだ。
しかし、カーラもミルダもフェルサも、メノアには――…戦えない者達には手出ししなかった。
それはネヴェル達も同じくだ。
争いの世に翻弄されつつも、心の中には'良心'と言うものを残している。
そう。
…人間達が愚かなものを生み出すまでは、確かに彼らの中に'良心'はあったのだ。