最後へ至る決意と道
ナエラが声を上げ、力強くジロウの腕を掴んで数秒…。
部屋の中は静まり返る。
「ナエラ?」
ようやくジロウが声を掛けると、彼女はキッ――とジロウを睨み、
「そんなのは無謀だ、バカのすることだ!そんな賭け…もし失敗したら、お前はもう……死んじゃうかもしれないんだぞ?!」
そう叫んだ。
それに対してジロウは頷き、
「…あんたの言いたいことはわかる。でも…」
「わかってるんなら、無謀なこと言うな!他にやり方があるかもしれないだろ?!」
ジロウの言葉を遮りながらナエラは叫ぶ。
「魔族の少女。貴女の発言は些か身勝手ではありませんか?」
そこで、スケルが口を挟んだ。
「貴女も知っているはずです。何故ジロウがここまで辿り着いたのかを、その思いや願いを…それを貴女はご自身の我が儘で――」
「ちょーっと待ちなさいよ根暗マンサー」
スラスラと言葉を進めていくスケルに今度はエメラが口を挟む。
「テンマが去ったとはいえ、外の様子も気になるわね。根暗マンサー、少し見に行くわよ」
「…何ですか?その呼称は」
エメラの態度に珍しくスケルは眉を動かした。
「全く。空気も読めないっての?その子達の問題は世界がどうあれ、あんたが口出す問題じゃないわ。時間はそんなにないかもだけど、少し時間をあげなさいよ」
そう言いながら、エメラは部屋の外――鉱山内に出る。
それをスケルは見ながら、
「時間を与えた所で答えは変わらないでしょうがね」
そう呟いて、彼も外へ出た。
部屋に残されたのはジロウとナエラ。
ジロウは時間を与えてくれたエメラとスケルに心の中で礼を言い、再びナエラに目を向け、
「オレはさ、知っての通り、ネヴェルやハルミナちゃんやあんたや…皆のように力も知識もない。でも、テンマを止めたい、黒い影に飲み込まれたレイルや皆を助けたい。その気持ちは本物なんだ」
静かにそう言う。
「そんなこと、知ってる」
ナエラは俯いて言い、
「だからさ、そんなオレに出来るのは、さっきのスケルの提案に乗ることぐらいだ」
「だから、そんな無謀な提案…死んだらどうにもならないぞ!?」
再び彼女は声を荒げた。
「じゃあ、ナエラ。あんたなら、他にどんな道があると思う?」
ジロウはそう尋ねる。ナエラは目を丸くし、言葉を詰まらせた。
「テンマが意思を持ったまま巨大な黒い影に成り代わったら、あいつは本当にオレ達や世界を喰っちまう。あいつは…その為だけに生きて来たんだからな」
ジロウはギュッと拳を握り、
「スケルが言うには、テンマの意思がある黒い影の内部に入らなきゃならない。でも、黒い影に飲み込まれたら、普通の奴らは意思を保てない。でも、英雄の剣を持っているなら…その空間から守ってくれるかもしれない」
それを聞き、ナエラはジロウの手にする英雄の剣にチラリと目を遣る。
「もう、それしか可能性は多分ない。それが、テンマに届く最後だと思う。あいつの意思をオレが変えて、世界を護れるかはわからない……でも、ネヴェルでもハルミナちゃんでも、他の誰でも多分ダメなんだ。オレが、テンマに立ち向かわなきゃいけない」
ジロウは真っ直ぐにナエラの目を見て、力強く言った。
「ネヴェルや皆とも、オレはテンマを止めてみせるって約束した。リョウタロウから受け取ったこの英雄の剣、スケルの策。それを信じて前に進む。……それに、あんたはさっき言ってくれたじゃないか。オレがどんな道を行こうと力を貸してくれるって。一つになった世界を変えてくれって……だから」
ジロウは気の抜けたように笑い、
「オレを信じてくれ、ナエラ。例え、どんな結果になっても、オレはオレに出来ることを全力でやってみせるから」
そう、柔らかい表情をして、柔らかい声で言う。
それを聞き、しかしナエラは簡単には頷けなかった。
「でも、お前一人でテンマの元へ行かなきゃならないんでしょ…?」
ナエラが言えば「そうなるな」と、ジロウは答える。
それに、ナエラは急にジロウに背を向けた。ナエラの背中を見つめながらジロウは首を傾げる。
「お前が一人で行って、もし、お前が帰って来なかったら…。お前はいつでも話を聞いてくれるって、泣きたいなら胸を貸してくれるって、ボクを護ってくれるって、一人にしないって……言ってくれたじゃないか!!?」
ナエラは叫んだ。
背中を向けられた為わからないが、その声は泣いているかのように震えている。
「…それは…」
ジロウは昨日、城で交わした会話を思い出し、視線を落とした。
「いいよ、わかってる。お前にとっては、どうせその程度の口約束だったんだ!誰にだって、同じこと言うんでしょ?!」
「お、おい、ナエラ?」
まるで泣き叫ぶように言うナエラに、ジロウは戸惑う。
「お前なんか、勝手に行っちゃえばいいんだ。お前はあの天使の女が好きなんでしょ?ボクみたいなワガママな女がお前に着いて来て悪かったわね!」
「??!」
ナエラが何に怒り出したのか、ジロウにはますますわからなかった。
「ちょっと待てよ。あんたをワガママとか言ったのはスケルだろ?それに、天使の女って?」
「あの緑髪しか居ないでしょ!?」
「別に……オレはハルミナちゃんのこと、今はもう…」
ジロウは眉を潜め、それから何か思い付くように「あ」と言い、
「…ネヴェルのことが心配だからそんなヒステリックになってるのか?」
そう言う。
「な、なんでここでネヴェルちゃんの話が出るのよ」
ナエラは背を向けたまま怪訝そうに言い、
「だって、あんたネヴェルのこと…」
そこまでジロウが言い掛けた所で、ナエラは再びジロウに振り向いた。
その目からは涙をぼろぼろ溢していて…
「鈍感!馬鹿!お前なんか、さっさとテンマの所へ行って死んじゃったらいいんだ!」
「なっ…何だと!?」
ナエラの発言に、さすがにジロウはカチンとしたが、
「今!ここで!ボクが心配してるのは!どう考えてもお前しか居ないでしょう!?お前は言葉にしないとわからないの!?」
怒鳴りながらもナエラは、ゆっくり言葉を区切りながら言った。
それを聞いて、本当に気付いていなかったジロウは絶句する。
ナエラは大雑把に腕で涙を拭い、
「…もう、いい。お前の好きにしなよ、勝手にしなよ…お前がもし帰って来なくて、天使の女も、お前の仲間も、…どんな思いになるだろうね?」
そう、吐き捨てるように言った。
その言葉にジロウはようやく理解する。
スケルの策を安易に受け入れたことに。
もし失敗したら、自分は死ぬか、帰れないかもしれない。
それでも良いとジロウは思っていた。
やれることをやって、テンマを止める……レイル達を助ける。
そればかりが脳裏を占めていた。
だが、自分にもし何かあったら、もしかしたら……
悲しむ人がいるのかもしれない。
ジロウはそのことを、今まで全く考えてはいなかった…
「…、ごめん」
ジロウは小さく謝る。
その謝罪に、理解してくれたのかとナエラは顔を上げたが、
「でも、ごめん、ナエラ」
再び謝るジロウにナエラは首を捻った。
「それでもオレは、この道を行くよ」
「なっ…なんで…」
「オレはテンマを止める。あいつの友として。オレは目の前で救えなかったレイル達を今度こそ助ける」
その、先程と何も変わっていないジロウの言葉に、ナエラは悲しそうな表情をする。
「そして…」
ジロウは目を閉じながら、ずっと額に巻いていた茶色のバンダナを外し、
「大切な友人や仲間が居るこの世界を壊させない為に。今まで苦しんで来た魔族が、救われた世界で幸せに生きていける為にも、オレは行くんだ」
バンダナをナエラの眼前に掲げ、
「テンマの元へ行くまでは、オレはナエラの傍に居る。その後は傍には居れないけど、どんな形であれ、必ず帰って来る。約束しようぜ」
「……」
ナエラは眼前に掲げられたジロウのバンダナに手を伸ばし、それを受け取った。
そして、もう何も言葉にはせず、複雑ながらもジロウを信じ、静かに頷く…
「あんたがなんで、そこまでオレを信じて、心配して、泣いてくれるのかは知らないけど…、オレなんかの為に、本当にありがとう」
「ボクだって、なんでお前なんかにこんなムキになってるのか、わからないよ…」
ナエラ自身、自分がジロウに持ち合わせている感情が未だにわからなかった。
言葉通り、ジロウも自分にとってナエラはどのような存在なのかはわからない。
ジロウは苦笑しながらナエラに手を差し出し、
「行こう。エメラとスケルが待ってる」
差し出された手を、戸惑うことなくナエラは取る。
初めて出会った時は、ナエラは英雄の剣の結界によりジロウに近付けなかった。
けれど、ジロウが英雄の剣を手にしていても、今は弾かれはしない。
そのことを、加速する日々の中で、もはや二人は覚えてはいないが…
――ガチャッ…
「…おっ、と。話は決まったようね」
すると、ノックもせず扉が開かれ、エメラとスケルが入って来た。
「あんた達、タイミングがいいな、まさか…」
ジロウは目を細めて二人を見る。
「まあ、なんだっていいじゃない?それより」
エメラはニヤニヤしながらジロウとナエラを見た。
二人はなぜエメラがにやついていたのか数秒理解出来なかったが…
――バッ!!
慌ててジロウとナエラは繋いでいた手を放した。
「おや、そういえばジロウ。貴方のバンダナを何故彼女が?」
すると、スケルまでもがシレッとナエラが手にしているバンダナを見て言う。
「あ、あんた達、聞き耳立ててたな?!そ、そうだろっ!!」
ジロウは顔を真っ赤にして叫び、その横で同じく真っ赤な顔をしたナエラが口をパクパクさせていた。
「え?何?聞かれちゃマズイ話でもしてたの?あらま。これは二人共……脈アリってやつ?」
ニヤリ、とエメラが言い、
「へ?!」
「…は!?」
ジロウとナエラは、エメラの言葉で変にお互いを意識してしまう。
すると、スケルが一つ咳払いをして、
「さて。取り敢えず方針も決まったようです。テンマさんを追いましょうか」
……と。
その言葉で、和んでいた雰囲気は一気に固くなった。
「最後にもう一度…」
スケルはジロウを真剣な眼差しで見つめ、
「覚悟は良いですか?ジロウ」
その問い掛けに、
「当たり前だろ」
ジロウは笑顔で答える。
しかしその笑顔を、ナエラもエメラも、少しだけ……複雑に感じた。
ジロウが選び、進む今からの道――…
ジロウが無事に進めるのかは、誰にもわからないのだから。