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時刻はまだ昼下がり。
だが、世界中に渦巻く黒い霧のせいで空は覆われ、まるで夜のような暗さだ。
ヒロとシハルはディンが用意してくれていた馬車に乗り、サントレイル国を目指した。
「生命を繋ぐ魔術、ね」
シハルは驚く様子なくそう口にする。
ディンは彼にジルクとリーネが生命の魔術を使ったこととその意味を説明した。
「じゃあ、ジルク様とリーネさんは今からオルラド国と戦うってことだね?その生命を繋ぐ魔術とやらで力を強化して」
「恐らくは」
ディンは頷く。
「一心同体の命‥‥でもディンさん、一昨日、言ってましたね。まだ何か代償があるみたいなこと‥‥オルラド国に勝っても二人は命を落とす、近い内にわかるって。サントレイルに着く前に教えてくれませんか?」
「‥‥」
ヒロの言葉にディンは神妙な面持ちをし、首を横に振りながら、
「‥‥やはり、まだ僕の口からは」
そう言って口を閉ざした。その様子に、ヒロもシハルも何も聞けなくなってしまう。嫌な予感と共に、異端者とはなんなのだろうと感じさせられた。
前王の実験により、普通の異端者よりは人に近い異端者だと言ったディン。
だが、彼からはちゃんと、感情が読み取れる。
馬車の小窓から外を覗き、渦巻く霧を見つめた。
しばらくして、サントレイル国が見えてくる。
「‥‥この臭い‥‥燃えている!」
鼻を掠めた臭いにシハルは声を上げた。遠目からでもわかる。立ち込める煙、風を伝って届く臭い。
(もうオルラド国が攻めて来たのか!?)
三人は馬車から降り、城下町へと走る。だが、三人は足を止め、思わず息を止めた。
鉄の音でもするのかと思った。
三年前、同じくサントレイル国に攻め入って来たオルラド兵は鉄の機械に乗り、銃を放ち、鉄の鎧を全身に纏い、剣を振るい‥‥確かに人間だったーー‥‥だが、これは、違う。
火の粉が舞い、誰の悲鳴もなく静まり返った城下町を、一匹の巨大なバケモノがずしずしと地響きを鳴らし、徘徊していたのだ。
鉄の兜を被った巨大な頭。胴体はなく、輪郭から数多の手足が生えていた。
兜の隙間から炎を吐き出し、無数の手足を地につけ歩き、更にはその無数の手足を振り上げて町を破壊していく。
「なっ‥‥なんなんだあれは!?」
見たこともない奇妙な光景にヒロは叫び、
「町の人達は誰もいないのか!?ジルク様達は?」
シハルは言いながら城を見上げた。
幸いなことに、巨大な頭と手足だけのバケモノはまだ、物陰に隠れた三人に気づいていない。
気づかれたら、とてもじゃないが太刀打ちできない。
「奇妙な光景‥‥あれは、オルラド国の何か、なのか?」
三年前も奇妙だとは思った。まるで、彼らは機械のようだった。無機質な目で、虐殺を繰り広げていた。
「とにかく、あのバケモノに気づかれないよう、城へ行きましょう」
小声で言ったディンに二人は頷く。
人の気配が感じられない城下町を徘徊するバケモノの目を盗み、三人は城門へと辿り着く。
(兵士は何をしているんだ?)
ディンは思った。これだけ国が荒らされて、城を守る兵士の姿すら見えはしない。
同じく、城内もだった。がらんとしていたが‥‥
「うっ!?」
ヒロもシハルも思わず口を手でおさえた。
城内には今までよりも色濃い黒い霧が、まるで毒ガスのように充満しているのだ。
「どうなっているんだ!?ジルク様はさっき言っていたじゃないか!オルラド国を壊滅させると!いったい、ジルク様はどこに!?」
人の気配のない城内を、シハルは焦るように見回す。
「もしかしたら、地下牢かもしれません!前王もジルク様も、地下牢で異端者に実験を行っていました。行ってみましょう!」
ディンの言葉に、驚きながらも、ヒロもシハルも後に続いた。
ーー地下牢へと続く石畳の階段。そこから黒い霧がどんどん湧き出している。
階段を降りた先には、地下牢というよりも、まるで実験室が広がっていた。
様々な薬品や医療機器、拷問器具のようなもの‥‥見ただけで気が狂いそうになる。
(これを、ジルクが‥‥?)
ヒロは瞳を揺らした。
『私は君みたいに異端者のことを見れない。私にとって彼等は重荷でしかないんだ‥‥』
『現に私は、何人もの異端者の命を奪っている。でも、それに私は何も思わない。彼等を人として認識していないんだ』
ジルクは前王の意思を継ぎ、たった一人で異端者が感情を手に入れる為の実験をしていた。恐らく、本人は望まぬ形で。
(私は何も知らなかった。ジルクはずっと、独りでこんなことを抱えていたんだ。私が異端者を助けている間に、ジルクはこの地下牢で‥‥)
この地下牢でずっと、気が狂うほどの実験を。
だったら、ジルクの目には異端者を助けるヒロの姿がどのように映っていたのだろうか。
とても、疎ましく感じていたかもしれない。
ーー‥‥今はそんなことはいいと思考を振り払い、この地下牢にもジルクやリーネ、誰の姿もなかった。
「ディンさん!いったい、皆どこに‥‥」
そう聞くも、自分達と一緒に居たのだから、ディンだってわかるはずがない。
そんな時だ。
再び、ジルクの声が連絡魔法を通して世界中に響いたのは。