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 時間は少し巻き戻り、七時十分、並盛中学校校門前。
「はあ、恭弥さんから呼び出しかー。用件は多分、いや絶対……“戦いたい”だろうなー……。」
 ネロは溜息をついて校門脇の壁にひょいと腰を下ろした。壁の高さは彼の身長より頭一つと半分ほどあるのだが何の問題もない。時折朝練に来たらしい運動部がぎょっとした顔でこちらを見るものの声はかけずに通り過ぎて行く。ネロが全身から“本当は帰りたいんです”オーラを放っているためそっとしておいてくれているのだろう。
 ネロは昨日独りで帰っていたときにいきなり雲雀に呼び止められ、『明日は七時十五分までに学校に来るように』との指令を承っていた。校門の開くぎりぎりの時刻だ。
 恐らく、転校初日にネロが見逃してもらうためにした約束を果たしてもらおうという事だろう。彼はきっちり覚えていたらしい。
「うーん、あの人戦闘マニアみたいだったし、殺気使って見逃してもらう約束取り付けたのはいいアイデアだと思ったんだけどなあ……。」
 まさかここまで効くとは、そう呟いてネロは肩を落とした。
 もうあの約束をしてから数週間がたつのにまだ雲雀が何も言ってこなかったので、てっきり忘れられているものと思っていたのだ。
 すっぽかすと後がとてつもなく怖そうなので彼は律儀にこうして約束の五分前に参上した。後の報復などを考えれば、今こうして動いておいた方が色々と安全だ。トラブルは避けたい。何せ追われている身である。こういう約束事は早めに済ませてしまうのが一番だと思っているのもある。
 しかし、
「……気がのらねえな。」
 これが問題だった。
 普段のネロならむしろ楽しみに学校を訪れたのかもしれないが、最近はどうも気分が優れない。体が重いうえに頭もうまく働かない。ほんの少し動くのも面倒なので当然ながら戦いたくもならない。風邪をひいているわけではない。一言で説明するなら、夏が嫌いだからだ。
 極めて個人的な事情であるため雲雀との約束を一方的に破るわけにもいかず、ネロはとことん憂鬱だった。
「……はあ、帰りてえ……。」
「そのセリフ、聞き捨てならないね。」
「うお!?」
 気だるさに任せてまたもや溜息と共にそう呟いた瞬間、すぐ後ろから聞こえてきた声に思わず声をあげるネロ。危うく壁から落っこちるところだ。
 どうやら考え事に没頭していたせいですぐ傍まで近づいてきていた雲雀に気づかなかったらしい。
「……あ……恭弥さん、いたんですか。」
「失礼だね。」
「驚かさないで下さいよ……マジでビビった……。」
「君が勝手に驚いたんだろ。そんなことより、さっさとやろうよ。」
「はあ。じゃ、よろしくお願いしまーす。」
 ネロは壁から雲雀のいる敷地側に飛び降りると、早くもトンファーを構えている雲雀に普段通りの腑抜けた返事を返す。覇気も威勢も無いだらけたポーズはこれから雲雀と一戦交えるとはとても思えないものだ。
 が、それで雲雀の機嫌が悪くなる事はなかった。
「……相変わらず面白いね、君。」
 なぜなら、ネロは転入初日のあの笑顔を浮かべて立っていたのだから。
 口元は美しい弧を描き、彼独特の金色に光る目は普段以上に美しく輝いている。
 その瞳に宿るのは、一般人では気づくことすらできない程に、静かで自然な殺気。
 普通の人間ならば見とれて動けなくなるだろう。裏の人間ならば身がすくんで、やはり動く事は叶わないだろう。
 しかし雲雀の場合は、動けないどころか、勝手に身体が騒ぎ出す。
 より強い者を前にした時の緊張感、高揚感……それらこそが彼の望む全て。そして、今まで感じてきたものとは段違いのそれを与えてくれるのが、目の前にいる華奢な少年だった。
 武器も何も持っていない丸腰の人間に雲雀がここまでの興味を持ったのは初めてだ。しかもその興味は現在進行形で増幅を続けている。
 初っ端からまったく容赦なく雲雀はネロに殴りかかった。
 ネロの後ろは今しがた彼が降りてきた壁だ。バックでかわすことは出来ない。
 雲雀は口角を凶暴につり上げる。
「スタートの合図くらいしましょうよ。」
 ネロはスッと横方向にステップを踏む。ネロを狙う雲雀の腕のある方だ。何をするのかと雲雀がいぶかる間もなく、ネロは、凄まじいスピードで自分に向かってくるトンファーの側面に優しく手を添えた。
「!?」
 雲雀が渾身の力で繰り出そうとしている一撃にあらぬ方向からぐっと力がかけられる。普通なら触れたりすればはじかれるところを、ネロは呼吸を完全に雲雀に合わせて移動しつつ、そのうえで的確に雲雀の武器に体重をかけた。
 気付けばトンファーはネロの横を通り過ぎ、勢いは全く殺さぬままコンクリート製の壁へ一直線。
「……!!」
 ずざぁっと靴底が激しい音を立てる。
 次いで襲い来る衝撃。一瞬息が止まった。摩擦で足の裏がじりじりと熱い。
 咄嗟に身体を捻って背を壁に向けるようにした雲雀は、酷い威力で背中全体を壁に打ち付けることとなった。
「…………っ……。」
「うわ……あれを止めたよこの人。すっげ。」
 ネロは感心と呆れをないまぜにした顔で乾いた笑いを洩らした。
 そうまでして学校に傷をつけたくないとは、雲雀の愛校心にはぞっとする。
「普通今のは壁ぶち破るところじゃないんですか……。」
「……僕がそんなこと許すと思うのかい。」
「いいえ全く。」
 まだ動くのはつらいだろうに雲雀はゆらりと壁から背を離し、再びトンファーを構えて見せる。なんという執念。
 ぎらりとより鋭くなった眼光にネロは思わず身震いした。
 今ので気絶して貰うぐらいの気持ちでいたのに、どうやら余計に元気にさせてしまったようだ。
「今日は逃がさないよ、空峰愁。君の本気を見せてもらうまでね。」
「いや……その、ハハ、俺やっぱり今日はしんど」
「そんなの知らないよ。」
 先程よりもさらにキレのある動きで雲雀は次々と猛攻を放つ。
 カウンターを入れる暇も無い連撃。
 ネロは時折後方へ下がりながら右へ左へかわしていくが、ギリギリだ。
 段々笑顔が固くなっていくのが嫌でも自覚できる。
「(転校初日は気付かなかったけど……さすがは後に十代目ファミリー最強の守護者になる男だな……。)」
 ネロは眉を寄せる。プロでもないくせに雲雀の実力は既に充分“商売”をやっていけるレベルだ。今後も順調に成長を遂げて行ったとしていったい何処までのびるのだろう。
 長期戦になるとまずそうだ。直感的にそう判断し、ネロは確実に仕留めるためにこの戦闘で初めて前へ出た。
 振りかぶられるトンファーをかいくぐり、鳩尾へ向けて強力な一撃。 
 と、その瞬間、
 目の前にかわしたはずのトンファーが。
「いッ!?」
 かわし切れていなかったのだ。
 反射だけで避け、追撃を喰らう前に距離をとる。
 鼻頭がひりひりする。当たっていればただでは済まなかっただろう。
「…………ねえ、」
「は、はい?」
 間髪いれず襲いかかって来るとばかり思っていたが、雲雀は何故か一旦動きを止めた。
 構えを解いてだらりと両腕をさげ、突き刺すように睨みつけてくる。
「本気、見せるって言ったよね。」
 どうも物凄く怒ってらっしゃる様子。
 ネロは一瞬呆けて、言われた言葉を呑みこんで純粋に戸惑う。
「え? いや、これ一応本気」
「そんなわけない。」
 即座に否定された。ネロは益々困惑する。
 本当に本気だった。こんな恐ろしい人を相手にしてまだ余裕を保つなんて無理である。
 体調が万全であればそれも可能だったのだろうが……。
「(あー、そっか……この人“あのこと”知らないんだった。)」
 思わず舌打ちしたい気分になった。
 勿論雲雀は悪くない。話さなければこちらの事情など伝わる訳が無いのだから、雲雀が知らないのも当然だ。
 けれどネロは、今、物凄く誰かに八つ当たりしたい気分だった。
「恭弥さんは俺を買いかぶり過ぎなんですよ。俺はそんなに強くない。」
「なに言ってるの。あの殺気は強い人にしか出せないよ。」
 ネロはついに顔をしかめた。
 雲雀は期待していた相手が思ったより大したことが無かったためか不機嫌そうだ。それも、元々強くない相手がそうだったのならまだ腹も立たないだろうが、ネロは前回の戦闘でえらく余裕綽々の態度を既に見せてしまっている。あれと比べて明らかに余裕のない今回のネロの様子を見ると、がっかりされても仕方が無い。
 しかし元々、ネロは雲雀とは根本的に違うタイプの戦士だ。トンファーという打撃系の武器を力強く振るって雲雀が“戦う”のに対し、ネロは『爪』のような殺傷力重視の武器で敵を“仕留める”。雲雀はきっと正々堂々相手をボコ殴りにするのが好きだろうが、ネロは相手の虚を突く奇襲作戦を最も得意とする。
 体は生まれつき柔らかかったし、何かと器用なのも前からだ。けれどそれ以外は、きっと雲雀が生まれながらにして持っていたであろう天下一品の才能は、ネロはいくら望んでも手に入らなかった。彼が筋トレの延長で自主的に行っていた体力テストの結果は平均、またはそれを少し下回るぐらいで、いくら鍛えてもそれ以上への数値の変化は見込めない。筋肉はつかない、背も伸びない、体重だって増えない。雲雀がネロのことを強いと思うなら、それは単に経験値の差でしか無いだろう。雲雀の格闘センスはネロでさえ見惚れるほどのものだし、体格だって、恵まれていると言うほどではないがネロからすれば羨ましいものだ。
 結局、ネロの殺気も、威圧感も、全ては『能力』ありきのもの。あれを使わずしては今のネロには雲雀の望むだけの結果を出すことなど出来はしない。
 段々精神的に疲れて来た。
 もういいじゃん、頑張ったじゃん、などと彼の中のヘタレな部分が言っている。
「(もう……逃げちゃおっかな……でもどうやって……)」
 挙句の果てにはまたいつもの逃げ出し癖が顔を出す。
 こんな時に限って良い働きをしない脳みそに叱咤激励を送る。それを別方向には行わないのが彼だ。
「(がんばれー! がんばるんだー俺の脳みそー!!)」
 プラン1、……。
 プラン2、…………。
 プラン3、……………………もうあきらめる?
「(何で疑問形? つーかだめだロクなもん思い浮かばねえ!)」
「また考え事かい? 言っておくけど、今回は逃がさないよ。まだ時間もたっぷりある事だし。」
 現在の時刻は七時三十分。
 部活動の朝練は始まってしまっているがまだ校庭や校舎以外には人影もまばらだし、そもそも雲雀にたてつく者などこの並盛中に居るはずもないので、気兼ねなく戦闘に集中できる。
 逆にいえば、あと一時間近くは逃げる言い訳をするのが難しい状態が続くのだ。
「さて……早く本気を見せてよ。」
「だーかーらー、これが本気だって言ってるじゃないですか!」
「隠さなくてもいいじゃない。」
 またもやトンファーを休みなく振るってくる雲雀。
 よく舌を噛まないな、と感心するネロ。
「(ってそんなこと考えてる場合じゃないよな。でもいい案も出てこないし……。)」
 恐らく今から尻尾を巻いて逃げだしたとしてもすぐ追いつかれる。
 その後の展開は簡単に予想できる。きっと風紀委員長様のご機嫌が直られるまで何かしらの制裁を与えられることになるのだろう。
 めっちゃ怖い。怖すぎる。
「(うっわ、俺、結構マジでピンチじゃん。どうしよ……。)」
 冷や汗が一滴、ネロの顎を伝って落ちた。
 やっぱり約束なんか今日だけでもすっぽかしときゃよかった。後悔するが、今更だ。
 日はどんどんと高くなってきていた。

 
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