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 沢田家、リビング。
 他の住民は皆で一緒に買い物に出かけている。
 誰もいない階下に降りてきたリボーンは疲れたように椅子にどかっと腰かけ、ふぅと息をついた。
「……なんとかバレなかったか。」
 懐に手を入れ、取り出したのは黒無地の表紙が少し特徴的な手帳だ。
 ちなみに彼の物ではない。
 本来の所有者が寝ている間にこっそり拝借した物である。
「……やっぱ、怪しいな。」
 パラパラと軽くページをめくりつつリボーンは呟く。
 情報漏洩を防止するためか暗号の様なもので書かれている予定表らしきものは端から端までびっしり埋まっていた。
 見たことも無い記号も混ぜて表記してあるため内容まではよく分からないが、これらは全て持ち主の仕事のデータだと見てほぼ間違いないはずだ。リボーンが今まで独自に集めてきた情報と照らし合わせてみてもその可能性は高いと言える。
 そして一つ気になるのが、この手帳の持ち主が突如日本に渡ってきてからの数日分の日付にキャンセルらしき取り消し線が目立つのはいいとして、それからまた数日後の欄からはまた新しく仕事がぎっしり入っている事だった。
 つい昨日の欄にさえ、その文字たちは侵略済みだ。
 もちろん、今日や明日の欄も。
「アイツ、いつのまに……。」
 持ち主であるその人物は、常にリボーン達と行動を共にし、言い方は悪いがほとんど自由時間など与えられていなかったはず。
 昨日だってそうだ。
 朝は大体いつも通りに起床し、なんやかんやでずーっとツナかリボーンと一緒にいて、そして同じタイミングで床に着いた。
 それは沢田家の誰もが知っている。
 一昨日も先一昨日も、それは変わっていない。
 見てきたことと結果が全く比例しない文字や記号の羅列に軽い目眩の様なものを感じながら、その人物の元教師である彼は眉を寄せてその“名”を呟いた。
「……黒猫、か。」
 何でも屋『黒猫』。
 その名は裏社会の者ならモグリでもない限り誰もが知っている。
 二年前までボンゴレに保護されていたためしばらくその存在感は薄れていたが、すぐにまたかつてのように大方の人間から恐れられるようになっていた。
 それは、黒猫がリボーンを始めとした人々の保護下から解き放たれた途端、再び過密なスケジュールを組んで仕事に励むようになったからだ。
 そもそも、まずそこからして以前からリボーンは疑問を抱いていた。
 彼の知る黒猫は決して強欲な者ではない。
 というかかなり淡白な部類に入るはずで、節約志向が強く物欲に疎いというあの年にしては酷く老けた奴なのだ。
 さらに結構な面倒くさがりでもあり仕事が大好きなんて口が裂けても絶対に言わない。
 むしろ彼は血生臭くそのうえ面白みの無い自分の仕事など大嫌いだろう。
 だからこの教師は元生徒の問題児の事がよく分からなかった。
 どうして黒猫は、今までで既にこれから先適当に暮らせるだけのいい金額を稼いだはずなのに、嫌いなはずの仕事をまだ続けているのだろうか。
 端的に言えば、どうして面倒な裏の世界から未だに逃げ出そうとしないのか、という事だ。
 単に物欲によるのでもなく、娯楽でもないし、使命感に至っては皆無。
 いつも面倒くさいと愚痴をこぼしながら、それでもきっちりやることはやる彼を動かすものはいったい何なのか、リボーンには見当もつかなかった。
「珍しいなリボーン。お前がボーっとしてるなんてさ。」
「!!」
 不意に声が響いた。
 俯いていた顔を咄嗟に上げると、今まで誰もいなかったはずのそこに黒髪の少年がさも当然のように立っていた。
「何か考え事か?」
 好奇心の薄い声が淡々と連なる。
 音源は特に答えを待つことも無く冷蔵庫に向かった。
 白い扉が開き、独特の音が響く空間からよく冷えた飲み物が取り出される。
 その辺りでリボーンはようやく気付く。
 手帳が無い。
 机の上にも、懐にも。
「何か企んでるんなら程々にしとけよ。見てる分には面白いけど、当事者は疲れるんだ。巻き込まれる側は特にな。」
 バン、と音を立てて冷蔵庫は再び沈黙する。
 少年はそのままペットボトル片手に食器棚へ行き、コップを二つもう片方の手に取った。
 ぼんやり眺めているうちに、リボーンは口の中がカラカラに乾いているのに気がついた。
 それを見てとったのか、階段へ向かいかけていた黒髪の彼は少し間を開けてからもう一つコップを手に取り、かつての師の眼前に置いてトクトクと飲み物を注いだ。
 ボトルのキャップを閉めながら少し呆れたように小言を言う。
「……熱中症には気を付けろよ。脱水症状とか、マジでしゃれになんねえんだからさ。」
 まだぼんやりしているリボーンに向けて最後に溜息を残して、彼はもう一度階上へ向かった。
 トントンと軽い足音が聞こえる。
 やがてドアが開く音とその後すぐに再び閉じられた音が聞こえ、リビングはまた静かになった。
 リボーンはその間全く口を利けなかった。
 ネロの眼は笑っていなかった。
 怒ってもいなかったし、呆れてもいなかった。
 ただただ無表情で、冷え切っていた。
 まるで仕事中の彼のように。
「……クソっ……なんだってんだ。」
 しばらくしてようやく、悪態をつくリボーン。
 肩の力が抜け過ぎてどっと疲れが来る。
 机の上では先ほど注がれたばかりの平凡なオレンジジュースがコップを冷やし、ガラスの表面に水滴をびっしり貼りつかせていた。
 一際大きい水の粒がガラスの壁を伝って机に流れ落ちる。
「ちょっとサグリを入れた途端これか……。」
 これじゃいつまでたっても何も分からねーな、と、リボーンは深く長い溜息をつく。
 窓からは見えない太陽は空の中央から少しだけ西に移動していた。

 
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