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床に直接置かれたノートパソコンから放たれる光が、輪郭の淡い影を長く落としていた。
室内は外から見た通り狭く、暮らすというよりも時々立ち寄るだけの部屋といった風情だった。ドアから直接つながった一つだけの洋室は十人も入ればぎちぎちになってしまうだろう。やはりネロも仕事のためだけに使っているらしい。布団さえ無い。
「こないだポッと出の武器商人が死んだの、おまえも知ってんだろ。」
何の用だというネロの問いに対し、リボーンは抑揚のない声で単刀直入に言った。
相手もすぐに用件に気付いたようで、同じように淡々と返した。
「そういやそんな事もあったな。そいつ、誰かれ構わずに銃器とか売りまくったせいで、この辺をまとめてる連中に消されたんだっけ。確かこないだの夏祭りんときのグロック17もそいつだよな。」
「ああ。」
すらすらと途切れることなく紡がれた言葉に、改めて『黒猫』の情報網の広さを思い知る。きっと彼はリボーンによっていきなり始められたこの話の全容をすでに知っているだろう。
しかしネロとしてはただ話の前座として最低限の事を話しただけのつもりだったようで、唇の動きはそこで止まってしまった。
代わりにリボーンが口を開く。彼が話したいのはその先についてだった。
「それで話が終わったなら別によかったんだけどな。どーやら、その武器商人は誰かに嵌められて殺されたらしい。」
「ふーん。それで?」
「その“誰か”を探ってほしいんだ。素性から今回の行動の目的、手口までな。」
「要するにこのなんでも屋『黒猫』に依頼したいってことか。依頼内容はそいつの調査だけか?」
「一応な。またツナ達に何かあっても困る。」
「了解。」
言いながらネロは何処からともなく何かの書類を取り出し、色々書いた後リボーンの方にペンと共に渡してきた。
それは依頼書の様なものらしく、イタリア語で『黒猫』を表す『Gatto Nero』のサイン、依頼内容を示す文章や、報酬の金額などが既に彼の筆跡で書かれていた。今時珍しい、流れるような筆記体だ。
リボーンはとりあえず依頼金の字を中心に確認し、あいている欄に自分の名前や住所、連絡先などを書き込み、ネロにその紙を返した。本当はもっとしっかり書面を読まなければならないのだろうが、黒猫は詐欺師だという話も聞かないし、ネロはそういうタイプの奴でも無いとリボーンも分かっていたため、依頼金が五ケタの数字に納まっているのに安心するだけにとどめた。
それより早く情報を得てしまいたかった。
料金は前払いだが基本的に財布を持っていても入っている分だけではどうにもならない事が多い。そこでリボーンはいつも通りちょっと特殊な手段で手持ちの端末から依頼書に書いてある通りの口座に繋ぎ、先ほど手渡したコインのちょうど百五十倍の金額を振り込む。
黒猫はそれを見るともなしに渡された書類を受け取りつつ、何処となく冷めた顔になってリボーンの方に改めて向き直った。
「んじゃ、契約成立な。聞きたい事は犯人が誰かとそいつの目的と、あとどうやって武器商人を消したかだけでいいんだな。」
「ああ。」
ネロからすればこれは酷く簡単な依頼だろう。既に知っている事を口頭でリボーンに伝えるだけでいいのだから。
と言っても、あのリボーンでさえ調べても全貌が明らかにならなかった事案の詳細を教えてもらうのだから、情報料は結構高めに設定されているだろうが。
「んー、どっから話そうかな。」
わざとらしく考え込むポーズをとって、ネロは傍らの缶飲料を持ち上げ一気に煽る。夜に仕事することがほとんどの彼はよくこうしてブラックコーヒーを眠気覚ましに飲んでいるが、自分で淹れることは稀だ。本人曰く『目が冴えさえすりゃいいんだからそんな面倒くせえことしねえよ』との事だった。昔、先程の話とはまた別の仕事でご一緒したときにさも当然だとでも言いたげに放られた言葉だ。当時のリボーンは『薬じゃねーんだぞ』と返したのだったか。
思考を現在に戻すと、彼が「げ、缶コーヒーってこんなにマズかったっけ」なんてボヤいていた。手に持たれたスチール缶には美味しいと評判の商品のロゴが入っていたが、そりゃあこのティータイムの申し子のような奴が自分で淹れたコーヒーに比べると遥かに味は落ちるだろう。
それでも一応残さずに飲むようだが。彼は嫌いな食べ物も与えられたらとりあえず食べておく主義だったはずだから。
「それじゃあ、まずは犯人からかなー」
「いきなり核心だな。」
音を少しだけ立てて缶を置いた彼に対しどこかで聞いたようなセリフで返して、しかし先を促すように黙る。ネロは特にどうということもない顔で続けた。
「まあ、俺なんだけどな。」
何でも無いことのように少年は言った。リボーンは驚かなかった。
なんとなく、そんな気はしていた。
「手口っつってもそんな大したことはしてねえなあ。この辺を仕切ってる人ら、依頼人なんだけど、俺はその人らにネット越しに色々指示しただけだし。」
「なら、お前がそうした目的はなんだ?」
「依頼されたから。」
「だろうな……。」
「あの人らの目的までは分からねえな。聞かなかったし。ま、普通に考えりゃ、単に縄張りを荒らされたからじゃねえの?」
明日の天気について語るように能天気に全てを喋った何でも屋は、依頼内容はもう終わりだろうとでも言いたげにまたパソコンの前に向き直り色々作業を始めた。画面に張られた特殊なシートのおかげで何をしているかまでは覗けなかったが。
「それも仕事か?」
「さあな。」
「ちゃんと答えやがれ、ネロ。」
「そう依頼してくれたらな。」
少し高圧的に言ってみても黒猫は淡々と温度の無い言葉で返すだけだ。
普段の彼と違うところの中でも、こういうのは特に歯がゆい。いくら詰め寄っても追い縋ってもひらりひらりとそれをかわされてしまうのだ。随分飄々として、猫だけでなく雲や風にまで喩えられそうだった。
誰にもその手を掴ませない、孤独な――。
「愁。」
静かに呼びかける。
少年はピクリと肩を揺らす。
しかし、決してそれ以上の反応を見せようとはしない。
振り向かない彼の表情が分かる気がして、リボーンは重い溜息をついた。
「……後ろめたく思うくれーなら、辞めりゃいいじゃねーか。」
呆れたようにそう言っても、少年からの返事はない。
けれどその手は止まっていた。
戸惑う様にキーボードの上を彷徨い、一旦それが拳になって、やがてフッと力が抜けて、また作業を始めた。
リボーンはそれ以上何も言わなかった。
こんな追い詰め方をしたいわけじゃない。
数分が立ち、彼はわざと聞こえるようにもう一度溜息をついて立ち上がった。
「……帰るのか。」
「ああ。用は済んだからな。」
古びた板張りの床が軋んで音を立てた。
お互い後は何も言わないままでリボーンはゆっくり背を向けて扉に向けて歩いた。
ネロは止めなかった。
静かにただ黙々と何かの作業を続けた。
常夜に落ちた様な気分だった。
「……、……」
カタカタと鳴るタイプ音だけが暗闇に小さく反響していた。
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