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「アンタさ……本当に何者なワケ?」
「そのお話は後にしましょう。今はこっちが先決です」
胡乱げな視線を向ける佐助をものともせず、志紀はベルゼブブを見上げる。二足歩行する巨大な豚の拳が今まさに振り下ろされようとしていた。たたきつけられる槌。志紀も佐助も飛び退り、直撃は免れたもののその衝撃をもろに被る。
「ってぇ……!」
背中を強かに打ちつけ、佐助がひるんだ一瞬の間にもう志紀は体勢を立て直し立ち上がっていた。多少の傷や痛みなら一秒とかからず治してしまう、竜の恩恵である。
倒れた佐助に手を差し出し、助け起こす。
「大丈夫ですか?」
「ん、まあこのくらいならいつものことだから全然平気だけど。即立ち直ったアンタの方が謎」
「だから、それは後にしてくださいってば。……真田さんが手遅れになっても、いいんですか」
佐助の瞳が剣呑な光を帯びる。それが答えと判断し、志紀は改めて蝿を従えた豚の悪魔を見やった。
大きい。とてつもなく。人間を矮小と称するのも納得できる体躯だった。どこから攻撃すればよいのかわからないし、そもそもこちらの攻撃が効くのかどうかすらわからない。佐助も戦ってはくれるだろうが、協力してくれるかどうかはまた別の問題だ。
「ベルフェ!」
『ちょっとぉ、人間の分際であたしの名前勝手に略さないでくんない?』
「でも今、わたしはあなたの主だ。……答えて。ベルゼブブを倒すにはどうすればいいの?」
『……ねぇ、あたしん時から思ってたけど、アンタホントに人間の雌なの?アンタにメリットがあるかもわからない目的に盲目的すぎるんじゃない?あたしの気のせい?それともあたしたちが寝てる間に、人間ってそんな殊勝なイキモノになっちゃったワケ?』
問われて初めて、志紀はそのことに疑問を持った。心が恐ろしいほど澄みきっている。たったひとつの目的を、ただ頼まれ事であるだけのはずのことを第一にして、その他は何も見えていないかのように突き進んでいる。――何かが、おかしい。
やっと持てた疑問は轟音にかき消され、覆いかぶさられるように意識の底に沈んでゆく。そうだ、いまは、あの悪魔をとらえなければ。
「……それより、ベルゼブブを」
『……はっ、始末に負えないわね。自分で考えなさいそのくらい。足掻いてみせなさいよ、意地汚く。人間らしく』
相変わらず、ベルフェゴールは手助けをする気はないようだった。ならば、しょうがない。
「手探り、かぁ……」
赤光を握りなおす。何事も試してみないことには始まらない。幸い、ベルゼブブの動きはその巨躯に忠実で鈍く、攻撃が当たらなければどうということはない。
「猿飛さん、当たらないように気をつけてくださいね」
「言われなくても」
巨大手裏剣をくるくると回転させながら、甲斐の忍は頷く。
まずは、小手調べ。
ほぼ同時に二人は駆け出した。佐助は忍らしい跳躍力で飛び上がり、志紀はベルゼブブの足元に。
忍の跳躍力をもってしても、やっとベルゼブブの太った腹を少し越える程度だった。無防備な腹に手裏剣の一撃を加えてから、重力に従って落ちてゆく。
志紀はといえば、人間らしからぬ高さまで飛び上がった佐助を視界の端にとらえつつ、ベルゼブブの左足に赤光をたたきつけていた。両手がびりびりと痺れるが、気にせず即座にその場から退避する。
「硬っ……!」
佐助に向かって拳が振り上げられるのを見ながら、そんな感想を零す。あの速度ならば避けるのは造作もないだろう。しかし、予想外に敵が硬かった。手裏剣や刀をたたきつけられた場所に、一切傷が見当たらない。
「妖には効くんじゃなかったの、これ……」
「ちょっとちょっと、あいつ硬すぎるんじゃないの?」
攻撃を避けた佐助が真横に降り立つ。敵の硬さについて思ったことは同じようだ。
「正直……わたしも困ってます。唯一のヒント……手がかりは協力してくれる気、ないみたいですし」
そこらをふよふよと浮いていたベルフェゴールは志紀の肩にとまり、思いっきり佐助にあかんべーをかましてくれた。
ぴきり、と佐助の額に青筋が浮く。まあまあ、と佐助を宥め、それから対策を考える。普通の物理攻撃は効かない。
――「普通の」?
「ねえ、ベルフェゴール」
『あら、大人しく死ぬ気になった?』
「ここは精神の世界、なら、意思さえあれば、なんでもできたりする?」
黒靄の少女は口をつぐんだ。何か言いあぐねているわけでもなく、ただ、図星をさされたかのように。
「そうなんだね?」
『なんでもできるわけじゃないわ。あくまで主導権を握るのはその精神の持ち主よ。その持ち主が望む方向性になら、いくらでも好きなことが可能よ』
「それって、つまり」
佐助も会話に参加したところで、再び轟音。豚面ながらも不機嫌さが窺える表情を浮かべて、ベルゼブブがそこにいた。
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