彼女を初めて見たのは、一年の一学期。入学してから一月たった頃だった。
 僕と違ってはやくも学校に馴染んだライナーは、近くにいて注意深く見なければわからないほどの緊張もとけてなくなり、純粋に学校を楽しんでいる。そんなライナーの視線が、あるひとりに注がれていると気付くのに、そう時間はかからなかった。
 校舎ですれ違ったとき、教室の窓からグラウンドで体育をしているのが見えるとき、廊下を通り過ぎるとき。ライナーの視線は、決まって彼女を追っていた。美人でもないけれど不細工とからかわれるほどでもない彼女は、いつも口を引き結んで目の前に敵がいるかのように前を睨んでいた。それがやけに印象的だった。

 あまりにもライナーが視線で追うので、そんな話はしていないのに、ライナーの恋する相手がわかってしまった。同じ制服を着て同じような髪型をしている女子の群れのなかからたった一人を見つけ出すなんて、その特技に恋という名前をつけないと説明できない。
 だが、ライナーの視線は、熱っぽくはなかった。さらりと、知り合いを見つけたかのような淡白さを目に浮かべて、それでも後ろ姿を追う。僕たちと何気ない会話をしながら彼女の姿を目の中心に据え、視線をそらしてから、目にぽうっと青春独特の淡いひかりを宿す。彼女を見るだけでライナーは幸せそうだった。
 彼女とライナーの視線が交わることは一度もなかった。少なくとも、僕が見ているときは。ライナーが視線をそらしたあと、きまって2秒後に彼女が振り向く。もう友達と談笑しているライナーをほんの一瞬、確認するように見て、すぐに前を向く。その顔は普段より穏やかなように見えて、話したこともないのに、僕は彼女の恋の相手まで知ってしまった。口を引き結んでいるのは相変わらずだけど、ライナーを見たあとは目尻にほんのすこし優しさを宿す。その感情を、ライナーも胸の奥に隠しているのを、僕は知っている。



 それから1年たった春、クラスわけの紙を見てライナーはただ目を丸くして立ちすくんでいた。濃いメンバーが同じクラスになったことを驚いているのではない。彼女と同じクラスになった現実を噛みしめているのだ。
 ライナーはどこまで一途なんだろう。無愛想で、いつも一人でいて、泣きそうな顔で前を睨みつけている。ライナーの相手にはこれ以上ないほど不適で、それ以上ないほどふさわしかった。

 それから数ヶ月後、ライナーの恋を知ったクラスメイトたちには、突然ライナーがはっちゃけたように見えたかもしれない。でも僕は知っている。ただ見ているだけの相手を、どれだけのあいだ乞うていたか。
 彼女の冷たい態度を知っているクラスメイトは、口々にライナーにやめるように言った。見込みがないだとか無理だとか。最終的にはライナーはMだということで落ち着いたけど、彼女と接するライナーを見ていると、否定できなくなってくるのがなんとも言えない。
 だが、恋心はそう隠しておけるものでもない。自覚していないらしい彼女は、口では拒みながらライナーを受け入れた。キスするときに目を閉じて服を掴む姿は、どう見たって相思相愛だ。そのあとのビンタは、見ているだけで痛いものだったけれど、ライナーは甘んじて受け入れていた。とうとうライナーはMだということを否定できなくなってしまった。これほど説得力のない言葉も珍しい。



 僕から見たらじれったいほど長い時間をかけて、2人はようやくくっついた。おせっかいをやいた甲斐があったというものだ。もし僕が彼女にキスするふりをして、そのまま受け入れられてしまったらどうしようと思っていたけど、やはり杞憂だったようだ。階段だろうが関係なく突き飛ばす彼女が受け入れるのは、やっぱり一人しかいない。
 そして今日も口では拒みながら、ライナーが支度を終わらせるのを待っている彼女は、恋人らしくふたりで帰るのだろう。夏休みにふたりで花火を見に行くことや、その際浴衣で待ち合わせをすること、プールへ行くこと、ふたりっきりで宿題を片づけること。それらを約束するのを横で聞きながら、ようやく望む形におさまったのだと頬がゆるんだ。



「何にやけてるんだベルトルト」
「べつに、幸せそうだなあって。よかったね、ライナー」
「そこ、うるさいわよ。言っとくけど、プールにはベルトルトも来るんだからね」
「えっ?」
「は?」
「あのねえ、付き合ってすぐ体を許すほど、私だって安くはないのよ。前科があるのに、プールなんて危険でしょ」



 ライナーにそんなつもりはなかっただろうに、それを言うまえに睨まれた。ふたりっきりのデートに僕が行くと知って、がっくりとライナーの肩が落ちる。さすがに申し訳ないと断ろうと思ったけど、名前が睨むように見つめてきて黙る。これは名前がなにか言おうとしているときの沈黙だ。睨んでいるように見えるのは、緊張しているだけなのだ。
 そう思うと、1年のときにライナーの近くを通るときにこんな顔をしていたのが微笑ましく思えてくる。どれだけ遠くからライナーのことを意識していたんだろう。



「言っとくけど、まだベルトルトのことを許したわけじゃないんだから。ライナーと二人きりよりマシというだけよ」



 以前、喫茶店に行ったときは、僕とライナーだけじゃ嫌だと言ってアルミンを連れて行ったのに。
 わかりにくく心を許す名前は、気付けば僕をベルトルトと呼んでいる。最初のころはずっとベルトルト・フーバーと呼ばれていたのに、いつのまにゆるやかに変化していったのだろう。名前にハマるライナーの気持ちもわかるような、でも僕だったらビンタの一発でくじけてしまいそうだ。
 ライナーには悪いけど、これから名前とも長い付き合いになりそうだから、もうすこし仲を深めておきたいところだ。申し訳ない顔でライナーを見ると、プールについていくことがわかったのか本格的に落ち込んだ。ごめんライナー。
 ライナーのまさかの落ち込みっぷりに驚く名前に顔をよせ、ライナーには聞こえないようにささやく。



「ライナー、赤い水着が好きみたいだよ」
「そんなの聞いてない」



 冷たく顔をそらす名前はたぶん、赤い水着でプールに来るのだろう。僕と名前の近さに気付いたライナーが慌てだす前に離れて、今度はライナーに近付く。



「最初だけいて、すぐに帰るから」
「そんなことはしなくていい。確かに落ち込んだが、せっかくだし3人で遊ぼう。言っとくが負けないぞ」



 笑って肩を叩いてくるライナーは、誰かを見捨てるということが出来ない性格だ。それゆえに危なっかしい魅力をもつ名前に引き込まれて、もう戻れない。
 不意に目があった名前に微笑んでみせると、思いきり顔をしかめられた。名前が僕に嫉妬するなんてことを教えたら、きっとライナーは喜ぶんじゃないかな。でもこれは、いくつもある二人に関する秘密のひとつとして、そっと胸にしまっておこう。これ以上なにか言うと、恋人がいないクラスメイトが瀕死のダメージを負って、死んだように夏休みをすごすハメになってしまうだろうから。



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