聞きなれない音で目が覚めた。なんの音かわからないのに、体は勝手に動く。眠りのなかに半分入っているような腕を動かして、枕元を力なく何度も叩く。ようやく目当てのものを探り当てて、すこし乱暴に叩くと音はやんだ。
 重いまぶたがくっつきそうだ。いつもより起きる時間は遅いらしいと、照らされる光で感じる。今日は卒業演習のまえの最後の休みだったっけ。初めての丸一日の休み、ライナーとデートする約束をした。ああ、だから鐘がならなかったのか。
 ……ん? 鐘? この近くにお寺や神社なんてあったっけ。まぶたをようやく持ち上げる。目に入ったのは自分のベッドと机、壁にかけられた制服。



「ナマエ、起きなさーい!」
「はあい」



 お母さんの声に返事をしておきあがる。思い出した。高校生の私は、今日も学生の本分である勉学に励むべく学校に行くんだった。寝ぼけてこんなことも忘れているなんて、昨日は夜ふかししすぎたかもしれない。
 ベッドから滑り降りると、床がいつもよりきしんだ。違和感を覚えて体を動かしてみる。
 ……太った? もっと筋肉があって脂肪なんてない体をしていたように思うのに、いまの私は女らしいふくふくとした柔らかさをまとっている。ようするに駄肉が増えているのだ。筋肉は減っているみたいなのに、これでは早急にダイエットをしなければならない。いつまでも美しくありたいと願うのは、女性の本能だ。



「うるさいわよー! 何してるの?」
「なんでもない!」



 筋肉を確かめるために動いていたのが下に響いたらしい。時計を見て急いで制服に着替え、階段をおりる。顔を洗ってリビングへ行くと、朝ごはんを作っているお母さんと新聞を読んでいるお父さんがいた。
 おはようと挨拶をして席に座る。すかさず運ばれてきた朝食は、パンとソーセージとスクランブルエッグだった。一気に目が覚める。



「お肉だ! たまごもあるなんて、すごく贅沢ね!」
「なに言ってるの、昨日もお肉食べたでしょう。お弁当に卵焼きも入ってるわよ」
「うちはそんなに貧乏だったか」
「違うって、土地が減って……」



 そこまで言って首をかしげる。土地が減った? 戦争をしているわけでもないのに、どうして土地が減るんだろう。
 不思議な顔をする私を見て、お父さんがまだ寝ぼけているのかと笑った。そうかもしれない。今日は朝からなんだかおかしくて、まるで馴染みのないかりそめの世界にいるみたいだ。こんなにも見慣れた、当たり前の日常なのに。
 パンをほおばって、ソーセージをかじる。代わり映えしないいつもの味なのに、どうしてだろう。お肉が久しぶりだなんて思うのは。



・・・



 歩き慣れた道を歩く。スカートがひらひらと揺れた。こんな短いスカートなんてはいてたっけ。もっと肌にフィットするボトムと、ヒールのある靴をはいていた気がする。低いローファーがアスファルトを蹴って、足元から違和感を伝えてくる。よく見ないとわからないけど靴下焼けもばっちりあるし、ローファーは足に馴染んでいるし、くたびれかけた鞄には使い慣れた筆記用具やノートが詰め込まれている。
 今日はどうもおかしい。まだ夢をみている気分だ。目を覚まそうとあくびをしながら、校門をくぐった。上靴にはきかえて教室に入ると、クラスメイトが次々に挨拶をしてくる。こちらも挨拶をしながら席に座ると、前の席のライナーがこちらを向いた。



「おはようナマエ」
「……ライナー」



 名前を口にするだけで精一杯だった。制服がライナーの鍛えられた体を包み込み、学生らしい爽やかさを際立たせている。白いシャツがまぶしい。数え切れないほど見てきた姿なのに、はじめて見るように目を見開く。心臓が跳ねた。



「ナマエ? どうしたんだ?」
「あっううん、ライナーがかっこよくて見惚れちゃった。すごく似合ってる。素敵よ」
「ナマエも似合っているぞ。可愛い」



 赤くなりながら、謙遜も肯定もすることなく、ライナーは私を褒めた。腕まくりした白いシャツから筋肉のある腕が伸びていて、なんだかさわりたくなる。
 くすぐるように腕をなでると、笑いながら頭をなでられた。くすくすと笑いあいながら、朝の光のなかでお互いを確認する。近くの席に座っていたベルトルトが苦笑した。



「そうだ、小テストの勉強はしてきたか?」
「テスト? そんなのあったっけ」
「昨日話していただろ。リヴァイ先生の」
「リヴァイ兵長の!?」



 リヴァイ兵長といえば、人類最強の、──人類最強の、なに?

 続きの言葉は、のどに引っかかって出てこない。何を言おうとしたのかさえわからなくて固まる私を、ライナーが驚いて見ていた。目を丸くして探るように見てくる視線に、曖昧に笑う。



「リヴァイ先生のテスト、点が悪かったら補修プラス掃除だもんね。昨日頑張って夜遅くまで勉強したから、まだ夢のなかにいるみたい」
「──そうか」



 ライナーは何も聞かずに頷いてくれた。これはライナーの優しさだ。いまさっきのことを聞かれても、なにも答えることはできない。
 そのまま一緒に勉強して、授業を受けて、ご飯を食べて、部活が休みのライナーと一緒に帰った。これはどんなに渇望しても祈っても叶えられなかった、平和を当たり前のように享受した世界だ。そう、これを望んだ。
 ──いったい、誰が?



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