「……感慨深いな」



 ライナーがやけにしみじみと、生まれてからいままでを振り返っているように心を込めて言う。それをからかうことも出来たけど、私も同じ気持ちだったから、黙って頷いた。前を見ているライナーはこちらに視線は向けなかったけど、頷いたのをきちんと確認したのだろう。満足そうに微笑んだ顔がやけに落ち着いて見えて、視線を前に戻した。
 静かな、涼しい風がふいている。雲はなく、人口の灯りなんていらないほど月が明るかった。あちこちで寄り添っているカップルや家族は、静かにそれぞれの相手と語り合っている。情緒を壊さないように、ぽつんぽつんと離れている人のあいだを、不規則に光る蛍がとんでいた。



「一週間前なのにな。なんだかまだ実感がわかない。不思議な気分だ」
「もう一ヶ月後には実感してるんじゃないの?」
「そうだな」



 穏やかに微笑むライナーは、まだ慣れないというように銀色の輪を指でなぞった。
 ライナーはけっこうな田舎にいたらしく、蛍を毎年見られる環境で育ったらしい。わざわざ蛍のいる場所まで来なければ見られないということに驚きながらも、見なければ落ち着かないという理由でここまで来た。心を落ち着かせたかったのだと思う。最近のライナーは、私でなくてもわかるほど浮かれたり沈んだり落ち着きがなかったりと、本来の姿とはかけ離れていたのだから。



「ライナーはさ、これがゴールだと思ってるのかもしれないけど」
「ん?」
「私にはようやくスタート地点に立ったようにしか思えないよ。ここに来るまでにたいていの恋は終わってしまって、ようやくスタート出来るのに息も絶え絶えでさ」



 ライナーはようやく蛍から目を離して私を見た。前を見るのもいいけど、横には私がいて、2人で歩いていくんだから。いくら緊張しているとはいえ、私を放っておくのはいかがなものか。言っておくが、べつに寂しかったわけではない。



「これから先、二人三脚で山をのぼったり海を泳いだり落とし穴にはまったり、いろいろするんだろうね。ゴールは見えないくせに、いきなり目の前に現れたりして」
「ああ」
「厳密に言えば、まだスタートすらしていないけど。でも、もうすぐだね」



 なんだか私までしみじみとしてしまった。ここまで来るのに、本当にいろいろあった。今になってみれば大したことのない出来事ばかりかもしれないけど、その最中はそれなりの波乱だったと思う。
 ライナーのゲイ疑惑も、浮気疑惑も、ベルトルトのゲイ疑惑も、いまとなっては笑い話だ。本人はいまだにその話になるたびに大変だったとこぼすけど、それは私が悪いわけではない。そんな疑いをかけられるようなライナーが悪いのだ。

 蛍がとんできて、ライナーのまわりをふよふよと浮かんだ。祝福してくれているんだと、勝手にそう思うことにする。



「ライナー、でもね、スタート出来ることが嬉しいの。長かったもの」
「ああ。俺もだ」



 付き合ってもう何年にもなる。しっかり者のライナーはたまに頑固になる場面があって、それが結婚に関することにも発揮された。仕事ができるようになって男として自信がでてこないと、名前が不安になるだろうし、なによりそんな男に嫁ぎたくはないだろう。
 ライナーの持論を聞いたときは、笑えばいいのか納得すればいいのかわからなかったものだ。ライナーらしいし納得できるけど、それで適齢期を逃したらどうするという思いがあった。ライナー以外と結婚したくはなかったけど、最悪な展開のことを考えると保険があったほうがいいんじゃないかと考えたりして。



「ライナー、お墓はすこし離れたところにしようね」
「なんでだ!?」
「死んだあとまで一緒にいると飽きるでしょ。たまに会うくらいがちょうどいいんじゃないの?」
「嫌だ。俺は名前と一緒の墓に入る」



 しかめっ面で子供のように拒否するライナーがおかしくて笑う。飛び回る蛍をじっと見て、ライナーは手を差し出してきた。それを握る薬指には、慣れない銀色の輪がひとつ。



「帰るか。明日は最終打ち合わせだしな」
「そんなに何度も打ち合わせしなくてもいいのにね。結婚式めんどくさくない?」
「めんどくさくない」
「そう」



 くすくすと笑う私に、むすっとするライナー。きっとこうして、足りないところを補いながらゴールに向かって歩いていくのだろう。願わくば、死ぬまでライナーと共にあらんことを。


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