ある屋敷主人の話///

 貴族として生まれ、屋敷に暮らす私に友はいなかった。どちらかといえば片田舎の屋敷の、さしあたり目立つところのない貴族の息子と懇意にする人物はいなかったのだ。おかげで、私の周囲といえば両親と、召使いたちがすべてであった。
 森の奥の洋館といえば随分聞こえはいいが、実際に住んでみればうっそうとした森に囲まれる屋敷は薄暗く、年中を通して涼しい。時折風が通り過ぎるたびに背筋がぞっとするような屋敷だった。

 唯一、周囲の自然は愛していた。中庭はハーブの類を栽培するに適しており、日陰と日向で異なる種類が葉を茂らせ花を咲かせた。屋敷へ至る庭園は手入れされており、季節ごとの花々が常に咲き誇っている。その管理は召使いたちが行っていたが、友もなく時間を持て余すだけの私は次第にその作業を手伝うのが趣味となっていった。

 ある日、中庭に見慣れぬ少年がいた。
 白くも光る淡い桃花の髪を短く切りそろえた少年。彼が振り返った時、雲間から入り込む光が彼の肌と瞳を照らしていた。その光景はあまりにも神話的で、思わず私は息をのんだ。

 彼は    と名乗った。

 召使の一人の息子だそうだ。最も、この屋敷に仕えている召使いの中では、主人である私の父に次いで家督のある家ではあったが。
 私は、私と同じかそれよりも下の知人を持たなかったので、彼のことを大層気に入ってしまい、父や母に無理を言って彼をこの屋敷に通わせるように頼み込んだ。最初は、私のワガママに付き合わせてしまっていて、彼を大変困らせていたのを覚えている。
 それでも彼は嫌だとは一言もいわず様々なことに付き合ってくれた。気の長く、そして懐の広い彼のことを私は本当に、好いていた。


* * *


 長い時間を過ごしていくうち、彼は私の友となっていた。すっかりと打ち解け、二人きりの時は礼儀を多少すてても許されるような間柄だった。私は彼と共に成長する中で、彼を見つめる時間が人生のすべてになっていった。私にとって、彼だけが心から信用できて、身を捧げたい相手となっていた。
 それは、恋と呼ぶにはあまりにも、おぞましいものだったことだろう。

 私は中庭で見た姿を、今でも鮮明に覚えている。振り返った私にほほ笑んだ、あのときの彼の姿を。私は、あの時思わず息をのんだのだ。あぁ、美しいと。思えば、あの日すでに私の心はとらわれていた。

 だめだと首をふる彼が愛おしかった。私もわかってはいた。頭の奥で、理性的であろうという私自身が彼ではいけないと押しとどめようと奮闘を繰り返す。理性のようなものが彼の言葉を信じ、彼を想い、私の手を放させようと力を弱めたとき、私は彼の小さな声を聞き取り、思わず口づけてしまった。
 彼は私にこう言ったのだ。「いつかの別れが怖い」と。不義と罵られてもおかしくのない私を厭ってはおらず、ましてや、あり得ない別れの日を憂慮するその姿に、もはや理性は敗北を喫した。
 そんな些細な事、と私は言いのけた。恋慕を抱く私のことを彼は受け入れていたのだ。あぁ、なんて。なんて幸福なのか。私は彼を抱き締めて恋人になってくれと頼んだのだ。


* * *


 月の出ぬ夜、私は彼を部屋に呼び込んだ。彼は足音を極力消して闇夜の中で私の前に現れてくれた。月がない夜でよかったと、あの日安堵した。
 月が出ていれば、その肌は宵闇の中で美しく肢体をさらしてくれていただろう。そんな姿を見れば、とてもではないが私は優しくなどできなかった。暗闇の中で、息を殺してお互いを求めあう、あんな優しい夜にはできなかった。


* * *


 父と母は。両親は私を愛してくれていた。私もまた、親孝行は返し続けたし、彼のことを許してはくれていた。ただ、不幸とはいつの時代も訪れるというだけのこと。
 私は家督を譲り受け、貴族となってしまった。当然、周囲の者たちは私に己の娘をあてがおうなどと浅はかな謀略を繰り返す。私はあえてその誘いを乱雑に、尊大に、無碍にしつづけた。次第に私の横柄な態度は周囲に伝播し、屋敷に残ったのはほんの数名の執事とメイドだけであった。私にはそれで十分だった。理解者は多くなくて良かった。
 書類を整理する傍ら、植物をいつくしむ時間が増えた。そばにはいつも、彼が付き添ってくれていた。もはや私は彼のことを隠し立てすることもせず、そして、彼にもう一度愛を誓った。

 昔からのメイドと執事はそれを祝ってくれた。父と母は、手紙を遺していた。どうせ私が他の相手など娶らないとわかっていたそうだ。父と母は信頼できる人物の名を遺してくれた。その中には、都心で活躍するとある人物の名前があった。
 私は早速その人物とコンタクトをとった。仕立て屋であった。仕立て屋の女性はすぐに屋敷へとやってきて、私たちの望みをかなえてくれた。


* * *


 愛していると、彼に私はまた伝えた。もう何度も聞いたよと彼は恥ずかしそうに笑う。私は、そんな彼のはにかんだ顔が好きだった。今も。ずっと変わらないだろう。
 その彼に、己自身のすべてを捨ててくれと私は頼んだ。残酷なことを申し出た私に、彼は怒らなかった。ただ困ったようにいつもの笑い方を一つ返してくれた。
 彼の指に頬を撫でられ、自然と目を閉じた。彼から口づけをくれるときは決まって、彼は私の頬に触れる。優しく唇が触れ合ったかと思えば、彼は小さく「さよならだね」とつぶやいた。その答えに私は、思わず泣きついてしまった。彼はまた、仕方がないなとあきれながら私のことを許してくれるのだった。


* * *


 私の妻は美しい人だ。

 淡い桃花のような髪に、陽の光を蓄えたような黄金の瞳。言葉を交わすことは殆どなくなったが、目が合うと、私に微笑んでくれる。
 こんなにも美しく、そして思慮深い妻を私は他に知らないのだ。私はただ、妻を愛し続けている。

 月夜が出ぬ晩、私は妻を抱く。月が出ていては、己を抑えられる気がしないからだといえば、変わらず妻は私を笑うのだ。昔と変わらぬ、その優しい瞳で私を笑うのだった。

 また月の出ぬ夜が廻ってくるのが待ち遠しい。その日だけは、私の最愛の彼に会えるのだから。

mae//tugi
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