家に帰ったらスーツが落ちていた。///


 また、ジーノが銃を握ったのだとわかった。

 彼のことは大好きだが、どうしても彼が纏っている煙が嫌いだった。その匂いも嫌だったし、キスをした時の苦い味がもっと嫌い。煙たいだけじゃなくて、鼻にむずむずときて思わずくしゃみをしてしまう。部屋に煙が充満なんかしていたら、しばらくは家に帰らない。絶対に。けれど、何よりも嫌だったのは、彼がたばこを吸うときは決まって、彼が落ち着かない気持ちの時とわかっているからだった。

「ジーノ、くさい」
「……あー、ごめん、やっぱり?」

 家に帰りついて…… それも、事件の後始末で延々と時間を取られて実に二日延長され…… 自宅へたどり着き扉をひらき、リビングでのんびりと待っている旦那に近づいて、まず最初に口についたのがそれだった。
 はっと振り返ったジーノは珍しくこちらのことに気が付いていなかったようで、驚いた顔をしてからくしゃりと表情を崩した。

「……吸うなと言った」
「うん」
「……約束破ったら、実家に帰っていったぞ私は」
「ごめん、つい」

 ごめんね、とジーノはもう一度言う。相変わらず顔に元気がないように見えた。いつもはきちんとしわにならないように掛けられているスーツが近くにぐしゃぐしゃに放り捨てられていることに気が付いて、足でひょいと拾い上げた。

「ジーノ、スー…」

 スーツ、落ちてる。
 渡そうと思って拾い上げて、ぴたりと動きを止めてしまった。ジーノはぼんやりとした顔でスーツを見ていたし、そのスーツから嫌いなにおいがした。すぐにはっとしたように、「悪い悪い、たばこくさいからちょっと放り捨てちゃったんだ」と繕った顔をした。
 ぎゅっとスーツを持つ手に力がこもる。ばさりと投げつければ、ジーノの顔面にばさりと綺麗にスーツがかかった。わぁ、と小さな悲鳴があがり、ジーノはそのまま後ろへと軽くよたついて、しりをついた。

 ずるりとスーツが落ちて、ジーノのお腹の上のあたりにぼそりとかかる。スーツですこし乱れた金髪と、こけたことに対しての驚きで目を丸くしていた。すぐに、情けないと小さくつぶやいてまた、無理に笑う。

「ジーノ」
「うん」
「……助かっ、た」
「うん?」
「こ、この間のことだっ!……他のやつから、聞いたんだ。その…… お前が、がんばってくれた、って」
「……あぁ、うん。いや、俺はたいしたことしてないよ? がんばったのは、他の人とか、うん…… 他の人。俺はちょっと余計なことしちゃっただけだし」

 ジーノは今回の事件に、どうしてかかかわってしまった。本来なら私たちが解決するはずの事件に、持ち前の運のなさなのか、それとも、運が良すぎたのだろうか。
 そうでなくとも、連日事件続きで満足に家にも帰れない私を気遣って彼は何度も警察署へ来ては食事を用事してくれた。ある程度の人はもう、彼が私の夫であることくらい承知しているので、彼はそうした同僚たちにまで気を回してくれていた。十分、いつも貢献してくれていると思うのに、今度こそは仮にも当事者の一人。
 もちろん、人となりをしっている私や周囲の人はただの発見者で疑わしいことはないとはっきりと言える。言いたい。……だが、ジーノの少し前を知っている人のほうが多かった。

 灰色だな、ととある男は言った。少し年配の警察関係者だと、大体は私の夫であるジーノのことをそういう。彼の交友関係と、彼の来歴がそう言わざるを得ないと答えた。私は、いつもそれは違うと反論してはいるがいまいち、夫を目の敵にする人たちからの理解はいまだ得られていない。

 ジーノは、勿論そういうこともよくわかっている。自分の過去を一番恥じて、後悔しているのは他でもない彼自身だからだ。
 代わりに、そういうところを恥じているからこそ、彼はますます自分のことを矮小に扱う。一時期の落ち込みようといえば、まさに自殺でもしかねないほどの破滅願望そのもので、それに比べればましになったのかもしれないが。
 だから、彼は良いことをちゃんとしたときにはほめてあげないと、自分で認められないのである。

「……ジーノ、お前はちゃんと……」
「シレス」

 しゅんと落ち込んだように顔をうつむかせていたジーノが顔を上げた。

「……すきだよ、シレス」
「ジーノ?」

 外がまだ明るい時間に帰ってきたのが久しぶりだったのと、帰ってきたのがまださっきだから。目がまだ室内の暗さに慣れていない。カーテンの向こうから入ってくる陽光は変わらず眩しいが、そのせいで部屋を余計に暗くする。影が濃い。ジーノの顔が逆光で遮られる。見えなかったが、私にしか見せないようなゆるりとした笑い方をしているのだろうことはわかった。

「俺、きっとお前のためなら何人だって殺せるよ」

 ジーノがスーツをもって立ち上がった。ちかちかとコントラストに負けている目で瞬きを繰り返して、ようやく部屋の暗さになれた。さっきまで、ジーノの顔をはっきりと見ることができていた気がするのに、眩しくて見えない。違うか、とぼんやりと思う。
 眩しいのではなくて、その分黒く重たい影に覆われてるから見えないのか。

 白いスーツを手にしたジーノが近づいてくる。あとで洗濯に出してくるね、と言いながらすいっとすれ違う。ふわりと、また匂いがする。むずむずとする、私が嫌いなにおい。

 あ、と思わず口をついて出そうになった。振り返り、ジーノの後ろ姿を追おうとしたが、ジーノはそこに立っていた。一瞬、もう少し離れているはずだと勝手に思っていただけに、真後ろに立っていたことに驚いた。驚いた私を見て、きょとんと不思議そうにしている彼の姿はいつも通りに見える。

「な、んでもない…… あ、その、一緒に行こうと、言おうと思って」
「あぁ、そうだね。帰りに夕飯の材料を買いに行こう?」
「うん」

 すぐ用意する、とジーノはすたすたと洗面所に去っていく。彼が通った後に燻る煙の臭い。たばこのにおいに混じって、知った匂いがする。
 それは微量の火薬の匂いだった。

mae//tugi
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