無力さと空の皿///

 静かな場所にあった。そこに住んでいる母娘以外、町の人間はろくに足を運ぶこともない。それは別段、彼女たちや家に非があるわけではなかった。単に、その場所が人が訪れるには少しばかりはなれた場所にあったというだけだ。
 出入りするのはまだ子供としか言えない娘と、それと母親と似たような年頃の男が一人だけである。時折必要なものを買いにやってくる娘の姿を街の人は見かけていたし、男が彼女たちを気にかけて何度も訪れていることをしっていた。

「…アーディの調子はどうだ、シュネー」

 きれいに洗われてぴかぴかにさえ見えるりんごを切り分けて娘……シュネーの前に差し出す。頬杖をついて男の後ろ姿を見ていたシュネーが首を振った。

 ちいさな家の中には彼ら以外にもうひとり、アーディと呼ばれる女性がいる。シュネーの母親であり、今しがたこうしてシュネーの前に座った男… ミントの友人である女性だ。
 だが彼女は今のところ… 奥の部屋でひっそりとした生活を続けるだけである。朝起きて、誰にもあわぬまま夜を迎え、そして眠る。時折部屋から出てきては、最低限の食事を済ませて再び部屋に戻ってしまう。
 娘に何度彼女がすまない、と繰り返したことだろうか。もはやだれも数えることができないほど、アーディはシュネーたちに何度も謝り、しかし今だこの落ち込んだ生活は改善されていない。

「…いつもどおり」
「そうか」
「どうにか、ならない?」
「…どうにかしたいんだが…」

 どうしたものか。

 ふたり揃って手詰まりだ。それもしかたがないことだと彼らも納得している。まだ、彼女の身に降りかかった不幸が色褪せるにはそう時間が経っていない。
 だがこのままでいいとも思ってはいない。あまり時間をおいてしまうのが良くはないとミントもシュネーもわかっている。だが、どうしたらいいのかわからないのだ。

「ムッティ…」

 りんごをつんとフォークでつつきながら、はぁとため息をつく。

「…すまんな、何の役にも立たなくて」

 べつに。ともはや言葉を返されることすらない。
 それでも仕事の合間を縫って何度も足を運んでいることをシュネーは知っているし、相当に気を回されていることもどことなく察してはいた。
 全く。全く役に立っていないというわけではないが…… 肝心の治療に関してはどうしようもないのも事実だ。

「…だれかいないの」
「誰かって?」
「…ムッティ、たすけてくれそうなひと」

 しゃりり。変色する前に。ぬるくなってしまう前に、とりんごをかじる。果物の自然な甘さが口に広がるが、その程度で気が晴れるわけでもない。しゃり。しゃり。
 返事がないことを不思議に思い、シュネーがミントをみる。何か考えるように視線を落としていたミントが「……いないわけではない」とぼそりと呟いた。

「いるの?」
「……まぁ、一応な。このままにしておくわけにもいくまい。私よりはよほど解決してくれるだろうしな… 掛け合ってみよう」

 ミントが脳裏にゆるりとその相手を思い描く。アーディとどこか似た、凛としたその姿。頼みごとをするのはすこし気は引けるが…… 友人とその娘の危機を前に自分のことなど気にするわけにはいかない。
 少なくとも、自分よりは彼女たちのために何かしてくれるだろう。役に立たない自分よりは。

「ねぇ」
「ん?」

 呼ばれてミントが顔をあげる。

「……また来てくれる?」

 からん。シュネーのもつフォークが音を立てた。ミントがぱちりと瞬きを一つ。

「俺が?」
「……来たくないならいいけど」
「まさか」

 ミントがぽん、とシュネーの頭を撫でる。

「また来るよ」

 俺でいいなら。小さく笑って彼が下げていった皿はすっかりと空になっていた。


 後日のことである。
 アーディと似た、いやそれよりもきりりとした風格をもつ女性がこの家を訪れる。
 そして、彼女の手によってアーディに新しい居場所が与えられることになるのも、そう遠いことではない。

mae//tugi
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