「てめぇ、なにみちのまんなかにいるんだよ。
じゃまだから、どけ」
ぼろのようなおようふくをきた女の子。
なんてお口のわるいこと!
お母様にいいつけられて、おつかいちゅうの女の子。
いつも通る道に倒れている人にもんくをいいました。
「…」
「きいてんのかよ、どけよ」
「…」
「じゃまだっつってんだろ!」
うごかない。
ことばもかえさない。
死んでいるかのようなその人に女の子はいらいらいらいら。
とうとう叫んで、その人の頭を一回ごつんと蹴り飛ばしてしまいました!
いちどだけうめいて、その人がゆっくりと頭をあげました。
女の子はいらいらいらいら!
ああ、なんておそろしい女の子!
「…じゃまだっつってんの。どいて」
「…随分と口の悪いことだ」
「うるさい。かんけいない。どいて。」
「なら脇を通ればいいじゃないか。」
「わたしがよけるりゆうがない。
おまえがどけばそれでいいじゃない。」
倒れていたその人はいまだに起き上がりません。
地面にはいつくばったまま、女の子を見上げています。
女の子はどかないその男にいらいらいらいら。
どうして男の言うとおり、脇を通れなかったのでしょう。
自分でも分からない女の子はなおさら、いらいらとしてしまいました。
男はぼんやりと眠そうな目で女の子を見つめます。
そして気がついたのです。
ずいぶんとやせていて、ぼろぼろな服をきている、と。
「なら私の上でも、通ればよかったじゃないか」
「おまえのうえなんてあるきにくい」
ああいえばこういう。
口やかましい女の子だと男はため息をひとつつきます。
その様子も気に食わないとばかりに、女の子はもういちど男のことを蹴りました。
容赦のないその蹴りに男は顔をしかめましたが、何も言いません。
それに気を良くした女の子はさらにもう一度、けりました。
「…随分と乱暴なんだね」
「うるさい」
女の子は思いました。
村のほかのやつらなら、望まなくても避けるのに。
村のほかのやつらなら、進む道を妨げないのに。
どうしてこの男は思い通りにならないのだろうか、と。
そしてそれが嫌で、なんだか悲しくて、女の子はもう一度、蹴りました。
「いいからそこをどけ!
わたしのまえになんているな!」
「怖い子だね、君は」
いらいらした女の子はいっぱいいっぱいの声で叫びました。
近くにいた鳥が驚いて飛び去って、
近くにいた小さな動物が飛び跳ねます。
けれども、男は地面に伏せたまま、びくりともしませんでした。
怯えもしません。いやな目をすることもありません。
ただ、女の子にとって見たことの無いような目をしていました。
それがなんだか、女の子にはわかりませんでした。
女の子をその様子を見ていた男はようやく身体を起こしました。
土にまみれた男は土を払うことも無く、女の子を見つめました。
乾いた唇をぺろりとなめて、困ったように言います。
「それ以上に不憫な子だ」
土まみれの男が片ひざで立てば、それだけで女の子と目線は同じになりました。
ずいっと近づいた男の目に、女の子はぎゅっとまゆを寄せました。
見たことが無いその男の様相に、どうすればいいのかわからないのです。
なぜなら彼女は、不憫な子だから。
「何もいえないかい」
「…どけよ」
「君みたいな恐ろしい子は嫌いだ」
「しってるよ。
みんなみぃんなそういう。」
「だけど、君みたいな子は始めてさ」
男がにやりと笑いました。
汚れた手袋をしたままの手を女の子の首へとのばします。
そのまま首を引っつかんで、自分の方へとひっぱれば、いともたやすく女の子は男の方へと倒れこみました。
倒れ掛かった女の子が目を白黒させているあいだに、男の口が女の子の首へと触れました。
小さく痛みを感じて女の子は男を精一杯の力で蹴飛ばしました。
わけもわからない少女はぎろりと怖い怖い目つきで男をにらみます。
男はにこにこと笑うだけ。
「きみがわるい」
「あぁ、よく言われるんだ」
「きしょくわるい」
「知ってるさ」
「はらだたしい」
「それもよくきく」
「…うっぜぇ!」
男はまた蹴られるかと身構えましたが、少女はさっさと男の横を通り過ぎてしまいました。
思ってもいなかった男は少女の姿を目で追いかけました。
ちょうど少女が男の背後に立ったとき、男は小さく息を呑みました。
どん!
強い衝撃が背中に走り、男は再び地面にふせていました。
背中から蹴っ飛ばされたときがついたときには少女は道の向こう側。
おなかのすいている男は立ち上がる気力もありません。
ぐったりと男はまたため息をはいて、目を伏せました。
夕方。
日が落ちてきて少女はまたいらいらとしました。
帰り道に行きと同じように男がいたからです。
少し前のことを思い出して、少女は男の背中に飛び乗りました。
かえるがつぶれるような声を出しながら男が苦しみます。
まだいらいらしていた少女は男の上でぴょんと一度、ジャンプしました。
「ふんでけばいいって、おまえいったろ」
「じ、実行してほしくはなかったけどもね…!」
とても苦しそうにしている男をみて、少女はすこし満足しました。
けれど、それ以上になにか違う気持ちにもなりました。
その気持ちがなにかわからないので、少女はまた、いらつきました。
いらついたので、少女は苦しんでいる男の頭をぱちんと軽くはたきました。
「…なんでこんなとこにころがってたんだ。
みちのじゃまでしかたがない。
うまにひかれてしんでしまえ」
嗚呼、酷い!
と男は少し泣きたい気持ちになりました。
そんな男の様子も少女は鼻で笑い飛ばしてしまいましたが。
ぽつりと男が言いました。
「おなかがすいて動けないんだよ。」
「あほめ!ばかめ!」
とても情けの無い理由でそこに居た男に少女は男を馬鹿にしました。
笑いながら、少女は男に指差しました。
男はそんな少女に怒るでも、悲しむでもなく、問いかけます。
「私はね、おなかがすいてるんだ。
少しでいいから、食べさせてくれないか?」
少女はぴたりと笑うことをやめました。
そうは聞かれても、少女は食べ物なんて持っていないのです。
まして、自分だって本当ははらぺこなんです。
持っていたとしても、あげることはなかったでしょう。
少女がむっと表情を変えたのを見て、男は昼と同じように少女の前に姿勢を正しました。
「少しでいいから」
聞いたことが無いほど、ちいさな声でした。
まるでこのまま死んでしまいそうな男に、少女はいいよ、と答えてしまいました。
なんでこんな男なんかにと少女はむっとしていましたが、男はその答えににこりと笑いました。
ありがとう、と男が答えたときには少女は家へと向きを変えていました。
ちょうど少女は男に背中を向けていたので、男がすっと少女に手を伸ばしたことにも気がつきませんでした。
まして、その目が鋭く輝いていたことになど、気がつくはずもなかったのです。
「さっさとか」
かえるぞ、と少女が言おうとしました。
けれど、その言葉が続くことはありませんでした。
「ぇ、うぁ」
男は昼と同じように少女の首へと口付けました。
ただひとつ、昼と違うことがありました。
「ぃだ、やぁ」
「少しだけだから」
がぶりと男が深く深くかみついて、とてもとても痛かった。
ただそれだけが違いました。
いやな音がしました。少女の耳元、いえ、首元から。
男はうれしそうに、うれしそうに、それを続けました。
あまりの痛さで少女はすっかり、意識を失ってしまっておりました。
その軽い体重がすべて自分にかかってきたとき、ようやく男は少女の首元から口を離したのです。
ぺろりともういちどだけなめて、名残惜しそうに。
「す、すこし…あぁ、うん、少しだとも」
少女をそっと抱きかかえながら、男は罰が悪そうに弁明をしました。
しかし、頬を涙でぬらしたまま眠っている少女には、聞こえていないことでしょう。
帰りの遅い子供を探しに女が道をたどって来ました。
女は子供を抱える男に会いました。
女は帰っていきました。
子供は男と姿を消しました。
女はその日、裕福になりました。
女はその日、一人になりました。
女はその日、うれしそうに笑いました。
女のいる村の人間もみんな、楽しそうに笑いました。
男はその様子を遠くから見て、小さく悪態をつきました。
子供はまだ、眠ったままでした。
子供はその日、シアワセを手にしました。
けれども、それは、誰も知らないことでした。
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