Re:you | ナノ




 沙月の屋敷は島の中央にあるというのに、いつ来ても居心地の悪さがない。

 冬は暖かいし、夏はひんやりと涼しい。魔術が当たり前であった頃も、室内を過ごしやすく保つようなものは、魔力の量を食うし、扱いも難しいから実用できるレベルではなかった。秋も、未だに出来ない。

 まあ、しかしだ。居心地がいいと言うのは、体感的なそれだけである。この屋敷の主たる魔眼は何かと面倒くさいし、できれば会いたくない。もう六百年も顔を突き合わせているが、どうも慣れない。「――――ひどいなあ、秋? 僕はこんなにも、おまえを可愛がっているというのに」 白々しい、鈴のような声。黛や紫紺といった細長い布を幾重にも体に巻きつけただけの粗末とも思える格好だが、なぜだか洗練されているように見える。対照的に白い肌はいっそ仄かに光っていると錯覚する。

 わずかに骨ばった指先で湯呑みを玩んでいる。布の隙から覗く太陽色の髪は顎にかかるかかからないかくらい。

 一昨日来たときにはもっと丸みのある体、床に広がる長い髪――少女であった、はずだが。「……また、代替わりしたのか」

「ああ、昨日ね」 口元しか見えない沙月の顔なのに、その笑みが愉快故にひかれたわけではないことがはっきりと分かる。

 『沙月』という魔眼は代替わりによって受け継がれている。

 秋も詳しい事情は知らないし、知るつもりもないが、だから沙月を好きになれないのだ。

 ひとりの寿命を迎えると魔眼は次の『沙月』へと器を乗り換える。次の沙月候補は血縁者の満七歳を迎えた幼い子ども。この静かな屋敷のどこにそんな一族がいて、そんな幼い子どもを育てているのか、秋は見たことがない。ある日突然、見慣れた『沙月』はいなくなって、新しい『沙月』がやって来る。

 前々回とその前は男、前回は女、今回は男。性別は関係なく、魔眼を継いだ子は太陽色の髪と、考え得るすべて持ったと思しき魔眼の力を手に入れ、さらには人格すらも引き継いでいる。

 初めて顔を合わせたこの少年が知己のように話しかけてくる理由はそれだ。

 それにしても。「また、はやくないか」 満七歳の条件は考える以上に縛りがきついのではないか。ずうっと気になってはいても首を突っ込むまいとしてきたが――ここ数代は、いくらなんでも早すぎる。「前回はいくつだった」

「十四だね」

「その前は」

「十五、その前は十八だったかな」 んん、と顎に手を当て、悩む素振りを見せ、沙月は答える。

 やはりだ。『沙月』が死ぬのが早すぎる。以前はいくら寿命が短いとしても二十代後半くらいまでは生きていたのがこぞって七年未満に代替わりをしてしまっている。おかしい、とずっと疑問に思っていたのに。「おや、秋は僕の心配をしてくれてるのか? それとも、次の僕か?」 沙月は、体が代わったことを嫌でも知らしめる声で、不釣り合いな話し方をする。ころころと心底嬉しそうに、楽しそうに――わらう。

 心配なぞしていない。そんなものするはずがない。ただの疑問、解消せずにいることが不愉快でならなくなったから訊いたまでのこと。

 言葉にせずともどうせお見通しなのだ、あえて口を噤む。「まったく……秋は僕に優しくないな。だが、まあ、見なかったことにしてやろう。秋が僕に興味を抱いてくれたんだ、気分が良い」 やはり訊くんじゃなかった。これほど楽しそうな沙月はいつ以来だろうか。大体楽しそうにしているやつだが、輪をかけてそういう時はいい結果になったためしがない。

 内心舌打ちする秋に気付いていて、なお楽しそうに沙月は話す。「『僕』らの体がそもそも、そう長く魔眼の力にたえきれなくなっているんだろうよ。原因に見当こそついているが、おまえに話すことではないから省こう。この屋敷には毎年『僕』候補が生まれて育てられていることも、おまえは知らなかったか?」 くすくすと嗤い、沙月はくるりと指を振る。その仕草にはさしたる意味もない。どの『沙月』も、そういう指遊びをよく好んだ、というだけで。「じゃあひとつ、教えてやろうな。僕がいつだめになるかはわからんが、『僕』になれるのは満七つの子だけだ。おまえの優しい心配は嬉しいが、この意味はわかるだろう?」 ――――――――――――――だから。

 だから、こいつと、話したくないのだ。

 優しいおまえなら分かるだろう、なんてわざとらしく付け足して。

 分かりたくなんてなかった。ああ、訊かなければよかった。

 秋の、この世界に生きる秋の根幹を揺るがしかねない。失くしてしまったもののために、償えるはずのない罪に苛まれ続けている。つくってしまった世界を背負って、重みに悲鳴を上げてもなお、その重みと痛さだけで放り投げることを良しとしない。だから死を選べない、哀れな終末の魔術師。

 彼の、彼自身すらきちんと理解していない深部すらも見通して、こいつは言うのだ。

 満七つであることが重要であるのなら、満七つ以上になってしまった子はどうなる? この屋敷が静かすぎる理由、人が一向に増えない理由。すべてが説明される。考えるまでもない。答えを明確に示す必要すらない。

 それだけで、強烈な吐き気と眩暈が襲ってくる。「――本当に。ほんとうに、おまえはかわいいね。やさしくて。傷つきやすくて、なんと愚かなのか」 くすくす、くすくす。

 声を恍惚とした色が艶を伴って彩る。体に巻いた布の先がゆらゆらと踊る。「おまえは僕のことが好かんだろう? なら、こんな事実ひとつで心を揺らすものじゃあないぞ」

「わ、かって……いる」

「わかっていないな、ああ、わかってないとも」 笑みを含んだ物言いをそのまま、沙月はぴしゃりと否定する。声音も表情も、一切の変化がなく。「そうやって心を手当たり次第に破こうとするから立てなくなるんだ。この六百年、何を学んできたんだろうね?」

「――そ、れは」

「ああ、いい。言わなくていい。僕も意地悪が過ぎた、謝ろう。おまえが僕を心配するのは当然だものな、終末の魔術師よ。本来魔眼はこんな歪な在り方じゃあなかった、なかったのに――」 一切の変化も躊躇いもなく、ただ当たり前に傷口を拡げてくるこいつのこういうところが、「おまえがおこした洪水の所為で、『僕』らはこんなにも狂ってしまったんだものな?」 気持ち悪くて、大嫌いだった。

 この性根の腐った魔眼の人格は度々「おまえのせいだ」と言ってきたなかで、こちらが弱みに似た関心を示すとすぐこれだ。即座に一番深々と刺さる事実を選んで使ってくる。鋭利な言葉で、無防備な柔らかいところを引き裂くのだ。
「魔眼というのはね、それ自体かなり不安定で繊細なんだ。あんな荒波、超えられたのは僕くらいのものだろうね。超えたところで、こんなにも僕は歪んでしまったけれど」

 つくづく学習しない自分に嫌気が差す。この期に及んで、沙月に何を期待したというのだ。

 なまじ何でも見えるせいでこいつは話し相手のいない暇さを発散させるために秋で遊ぶ。六百年も何百と代を替え、姿を替え、しかし同じように笑って、同じように傷口に刃を突き立てる。体を替えるたびに『沙月』でない心が在ることを期待するのは無駄だと、とっくに理解したはずなのに。「おまえはほんとうにかわいい。だから大好きだよ、僕は」 見るな、と叫びたくなる。荒れた心の内もこの不快感も、この魔眼の前では隠せない。腕で体を隠しても、頭を隠しても、こころの隠し方などない。

 沙月はひとしきり楽しみ終えたのか、ふっと視線を外す。視線も何も、沙月の眼は厳重に隠されているのだが。「さて。今夜は彼らが来るんだね。把握していたけれど、そうだね。ありがとう、またおいで、秋」 誰が来るか、と吐き捨てる気力さえ失われて久しい。

 沙月の屋敷を出ると、すでに灯りが点き、にわかにざわめいていた。

 今は酷い顔をしているに違いない。あまり衆目に晒したくない。

 秋は島の中で知らぬ人はいない。日々を穏やかに暮らしている住人にはそれなりの人気がある。歩いていて声を掛けてもらえる日々は、彼にとってわずかな救いであるが、今日ばかりは避けたい。

 今や螢守の制服として広く認知された羽織に付いた頭巾フードを深く被る。

 喧騒が布一枚分遠退き、一人だと、強く言い聞かせる。 ――俺は終末の魔術師。世界を水に沈めた、大罪人。

 であるのなら、救いなど感じてはいけない。

 であるのなら、幸せなど思い出してはいけない。

 であるのなら、今いる人々の幸福と安寧のために生きていなくてはいけない。 ああ、もう、心なんていらない。期待を抱く儚い希望も、罪悪感からの解放を望む欲望も心がなければ抱える必要もない。捨ててしまえればどれほど楽か。心無く世界を維持するだけの機械になれるのなら、そうなりたい。

 沙月がことあるごとに「すべて忘れてしまえ」と甘く囁いてくる。沙月は秋に心があってもなくてもどうせ楽しんでいるから、どうでもよいのだ。抗う秋の姿さえ面白がっている。

 メグムは何も言わないが、事情を知る知り合いは忘れることは罪ではないと繰り返して教えてくれる。沙月と違って、含みの無い純粋な心配の言葉。
 けれど。

 許せないのは自分自身。許しを良しとしないのは己が心、あの子が好きだった秋の心なのだ。
 秋の中で肥大化した終末の呪いの半分以上を肩代わりして、秋を救った赤髪の少女。世界の終末を抱えさせられた恐ろしさに泣き、膝を折り、なにも出来ずに引き攣る喉から嗚咽を漏らすだけの秋の手を取り、「泣かないで」と。柔和に微笑んだあの顔が、今なお瞼の裏に焼き付いている。 あの笑顔を忘れられない限り、心を捨てることだってできない。

 あの笑顔を忘れるなんてできやしない。

 つまるところ、無理なのだ。この自問だって無意味だった。 広場に出て、人込みを縫って進む。一度部屋へ戻ろう。

 今夜の客は特別で、アキラのこれからに関わる。普段の夜と違い、アキラこそを連れて行くべきだ。

 アキラを迎えに行って。それから『駅』で待たなくては――「よお、秋。酷い顔してるな」 どんッと行き当ったと思うと、よく知った声が降ってきた。

 両手に串ものと棒付果物飴を持つ、くすんだ薄緑色の髪の青年――くゆりだ。「どうした、また沙月にいじめられたか?」 いきなり確信をつかれた。図星なだけに、下手なごまかしが出来ない。返事が出来ずにいれば、熱々の串揚げを口に突っ込まれた。香ばしい油の匂いが鼻に抜け、カリカリの頃もが口内に刺さる。激しく。

 あまりの熱さに一口噛み切るのにも時間を要し、涙が滲んでくる。口の中で何度も転がして、熱を逃がしてから嚥下する。「――ッついだろ、くゆり!」

「ははは、暗い仏頂面がましになったんだから感謝してくれ」 悪びれもしないで、自分はちゃんと息を吹きかけて冷ましている。ひどい話だ。揚げたてをいきなり口に突っ込んでくる奴があるか。おかげで口蓋がひりひり痛い。「しかしなあ、秋。沙月の言うこと真に受けるなと、私は何度も言っているだろう?」

「うるさい。何の用だ、くゆり」 呆れとからかい交じりに目を細め、あからさまに肩を竦ませるくゆり。確かに、暗く重く渦を巻いて心を埋め尽くしていた感情は少しとはいえ吹き飛んだ。この態度の所為で感謝する気にはなれない。いや、助かったのが分かっている。言わないだけだ。「何の用も? 秋が悲しい思いをしているような気がしたからな」

「……は」

「だから、ほら。これとかこれとか、食べて元気だしな。私が半分くらい食べてしまったのは内緒だがな、秋のために買ってきたんだ」 そう言って果実飴を押し付け、肘に吊るしていた屋台飯の数々を秋の手に掛けていく。秋の制止も聞かず、総勢十三の袋を瞬く間に秋に押し付ける。一応自分の食べかけを押し付けてこない辺り、まだ良い。

 この、くゆりという男。どうも不死性の呪い持ちのようで、それこそ島が出来た頃からいる古参中の古参である。よって秋にとって、数少ない旧知の仲ということになるのだが、未だに何を考えているのか分からない。

 神出鬼没で、どこで寝泊まりしているのかさえ知らない。

 秋が会いたいときには見つからないくせに、会いたくないときにはけろっと会いに来る。例えば、今まさにその状況だ。「いつも思うけど。おまえ、なんで俺の動向に詳しいの」

「さあなあ。私は秋の味方で、秋のことなら何でも分かるんだぜ」

「なんだ、それ」 この会話も、もう何度繰り返したか分からない。似た質問をいくらぶつけても結局こうやって誤魔化される。

 くゆりはいつだって言う、「秋のことならなんでもわかる」と。

 なのに、秋はくゆりのことをほとんど知らないも同然だった。

 上背のある痩躯。骨ばった長い手足。着物の隙から覗く足の鱗。そして赤い瞳に、くすんだ薄緑色の髪。

 鱗からは獣人だと推測できるし、呪いを重ねて持つ者は少なくない。だが、それだけだ。正体を確信できないし、どこで生まれ、どうやって島を訪れたのかも知らない。不死性の呪いもこの世界では不完全に発動していることが多く、くゆりほどの長命者も類を見ない。島ではそこそこ楽しくやっているようだから、わざわざ訊くこともできない。

 それと――秋のことを、どうしてかすごく知っている。秋の気持ちが折れそうになると、すぐにやってくる。なだめて気が済めばふらりと消える。

 秋がくゆりについて知っているのは、それだけだ。「よし、秋。おまえに暗い顔は似合わんよ。アキラにそうひどい顔を見せてやるのもよくない、秋」 布越しに秋の顔を数度、叩くように撫でたくゆりが言う。

 アキラと面識がなかったはずだが。いや、秋が小さい子を引き取ったという話は島の中でしばらく噂であったから、それで知っているだけだろう。「ああ、アキラに心配を掛けるのはよくない」

「んん、そういうんじゃないよ、秋。あれはおまえの弱った顔を見て勘違いする。ただでさえ、おまえをそうだと勘違いしているのが悪化する」

「……くゆり?」

「わからなくてもいい、おまえは私の言葉の半分も理解できないからな。だから笑えとは言わない、ただそう、暗い顔はしなさんな」 もごもごと食べながらいうものだから、ろくに言葉の判別すらできない。訊き返そうにも、くゆりはさっさと人の波に流れてさっさと消えてしまった。

 くゆりの真意がどこにあるのかはわからないが、アキラに心配を掛けたくないのは事実だ。頬を数度叩き、気を持ち直した。

 


mae tugi

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