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「用っていうほど用でも無いんだけどな」

バッツの手にはマグカップがあった。そこからは、薄暗闇の中でも白い湯気が立ち上っているのが見て取れる。中身はおそらく紅茶か何かだろう。元の世界ではやんごとない身分のセシルをはじめ、紳士の嗜みとして完璧な紅茶の煎れ方をマスターしているジタンなど、コーヒーより紅茶を好むメンツが多かった。
そんな中、微かに花のような香りが漂うのは気のせいだろうか。

「…明日でも良いか。もう今夜は寝る」
「―――本当に?」

リビングを横切って、自室へと引っ込もうとしたスコールの足が、バッツのささやかな声に引き止められた。

「最近…いや、結構前からか。ちゃんと寝れてないだろ?」

ソファが小さく軋む音の後に、軽い足音が黒衣の青年に近付いた。前方、部屋への道を阻むように立ち塞がったバッツをスコールは見遣るが、その表情に責めるような色はない。

「スコールはさ、目に力がある。だから、みんな目に視線が奪われるんだ。その目が、疲れていたり、隈があったりなんかしたらすぐ気付いちゃうんだよな」

何者をも模倣する繊細さを持ち合わせてはいるが、しかし軟弱とは程遠い指先がスコールに伸びた。そのまま躊躇うことなく目の縁をなぞるようにスコールの下瞼に触れる。つい、とバッツの指が優しく撫でるとそこには確かに、薄い隈があった。スコールの自覚を促すような動きをしていた指は、目頭から目尻までなぞり終えると、スコールの肌から離れていった。
それをどこか惜しいと思ったのは、触れられた部分がわずかに熱を持って心地好かったからだ。多分、さっきまで彼が持っていたマグカップの熱が移っただけだろうと冷静に判断するが、それだけではない何かもそこには存在していそうだった。それが何かまではわからなかったが。
ふ、とその際強く漂った先程の花の香りに、香水の類をつけているのだろうかと訝しんだ。バッツには少し似合わない香りだと思った。

(こいつは、こういう甘い香りよりも爽やかなほうがいい気がする…)

しかし、その花のような香りは決して不快なものではなかった。夜の蝶達が振り撒くような刺激的なものではなく、心の芯から安らげるような―――。
母というものがいたら、こんな優しい香りをしているのだろうか。瞼を閉じて嗅覚に意識を集中させる。そんな中思うのは、心地好い香りを漂わせているのが目の前の男であることが、少々納得がいかないということだ。
バッツ・クラウザーという青年は、お世辞にも母性というものを備えているように思えない。むしろ、どこか抜けきらない子供っぽさが他者の母性本能をくすぐるほうであろう。その無邪気な言動は、時に年下の者から諌められることもあるほどである。だというのに、この香りだ。
しかし、そんなくだらないことを考えてしまうのも、疲れがピークに達しているせいだ、とスコールは頭を振った。閉じた瞼は重りでもつけているのかと思うほどに、開くことが出来ない。

(このまま寝落ちとか、勘弁してくれ…)

スコールは、まだ目の前で立ち塞がっているであろうバッツの横を抜けようと、なんとか怠さで怠慢な足を叱咤して歩もうとした。だが、結局その長い足がバッツを越えることはなかった。
ぐらりと傾いた身体は膝から脱力していた。落下するように失っていく意識の中で感じたのは、あの優しい香りがふわりと真綿のように包んでくれた感覚だ。

(―――沈む…)

花畑に飛び込んだらこんな感じだろうか。
優しい香りに無意識に顔を擦り寄せながら、スコールは眠りに落ちていった。




痩躯をベッドに横たわらせ、バッツはようやく一息ついた。
そっとしのばせていた香り袋からは、意識をしっかり保っていなければすぐにでも眠りに落ちてしまいそうな甘美な芳香が漂っている。自身も眠りに誘われながらもスコールをベッドまで運ぶのは一苦労であった。
しかしそんな疲労感も、眼前の寝顔を見ると消え去ってしまう。

「こうしてると案外、幼いんだな」

よくよく観察して見れば、頬のラインなどはまだ少年ぽさを残していた。それでも彼が大人びて見えてしまうのは、眉間のしわと落ち着いた言動、どこか近寄り難い雰囲気によるものだ。そういったものが全て無くなった今、バッツの目の前にはただの少年がすうすうと寝息をたてているだけである。
17歳。まだまだ子供である。子供でいても許されるというのに、彼はそれを自分に許していない。それは、普段行動を共にしているバッツが感じたことだ。
彼は、彼の世界でいったい何を背負っていたのだろうか。
少なくとも、眠るときですら子供であることができなかったのだろう。そうでなければ、ちょっとした物音で目覚めたり、こうして極限まで身体を疲労させなければ眠りにつけないなど、ないはずだ。

「でもせめて、今くらいは…」

スコールの顔にかかった長い前髪を、バッツの手が優しくはらう。薬の効果は抜群のようで、触れても身じろぎすらせず、スコールは眠りつづける。

「よい夢を」

あらわになった形の良い額に唇が落とされた。

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