人物 | ナノ

5. 


 みくは、さっきまでとはうって変わって元気だった。ちなみに眼鏡は外していた。

「あっ、前から猫チャンが歩いてくる! 猫チャン猫チャン、にゃんにゃんにゃん♪ お友だちだにゃん☆」

 縞柄の猫に猫じゃらしを振っていたかと思えば、ソファに座る俺に、甘える様にすり寄って来る。

「ついでに、みくもにゃんにゃんにゃん♪ プロデューサーチャン、どっちもいい子いい子してー♪」

「はいはい」

 右手は、みくを。左手は、みくが抱きかかえている猫を。俺は均等に手を動かした。

「ごろにゃーん♪ 猫チャンたちに囲まれてみくは幸せだにゃあ……。このまま猫チャンたちと一緒に暮らしたいにゃあ♪ プロデューサーチャンも、一緒にごろにゃんするにゃ?」

「いいねえ……」

 ずぶずぶと体がソファに沈んでいく。みくの話し声が少し遠ざかって聞こえた。ああ、これはまずいかもしれない。

「ちょっと飲み物買ってくるよ。みくはカフェオレでいいかな?」

「ありがとにゃ♪ じゃあみくはプロデューサーチャンの分も猫チャンと遊んでるにゃ☆」


 * *


 手を振りながら扉を閉め、廊下で軽く息を吐いた。やはり、少しふらつく様だ。
 体調管理はアイドルだけの仕事ではない。プロデューサーだって体を崩しては仕事にならない。わかってはいた。……だが、ここ数日間は頑張りすぎたかもしれない。
 俺はみく以外にも数人担当アイドルがいる。しかもみんなそこそこ売れてきているから、俺の仕事量もそれに比例して増えてきている。加えて、この有給のために一部の仕事の締切を早めたこともあり、普段よりもキツめのスケジュールで動いていた。
 軽く肩などを動かしてみる。骨が鳴る音がして、思わず溜息が漏れた。

「やっぱり……スタドリをもらっておけばよかったかな……」

 ちひろさんはわかっていたんだろうなあ。
 目に痛い蛍光グリーンを思い出しながら、みくの待つ部屋へ戻った。


 * *


「おつおつにゃんにゃん♪」

 みくが抱き抱えた猫の前足を振りながら出迎えてくれた。この子のこの笑顔だけで、きっと俺はどこまでも頑張れる。
 自販機で買ったカップを渡し、ソファに腰掛ける。途端に伸し掛かってくる睡魔を振り払うためにコーヒーを流し込んだ。
 みくはじっとこちらの様子を眺めていたが、おもむろに膝を叩いた。

「プロデューサーチャン♪ ポンポン♪ ……ささ、こっち来るのにゃ♪」

「……なんでだ?」

「プロデューサーチャンもいっしょにゴロゴロするにゃ……はよ、にゃ♪」

 みくはクッションの上に座っている。
 発言の意図は掴めないが、とりあえず言われるがままに隣に腰を下ろす。と、伸びてきた手が頭に掛かり、ゆっくりと引き倒された。
 みくの膝の上に俺の頭が乗った。これはいわゆる膝枕というものではないだろうか。
 俺の後頭部に、服越しとはいえみくの腿の感触がある。密着しているのもそうだが、みくを見上げるというのもなんだか照れ臭いものがある。

「みく……?」

「プロデューサーチャン、なんだかお疲れさまにゃあ? だからきまぐれなみくから特別サプライズ! ふっふっふ〜みくのひざまくらを受けられるなんてプロデューサーチャンは幸せものだにゃあ♪」

 みくは俺の頭を優しく撫でた。本当に今日はどうしたというんだ。甘やかされるだなんて。

「いつもと逆の立場だな」

「うん……あのね、みくはね、プロデューサーチャンが頑張ってるのを知ってるにゃ。でもね、それで体を壊したりするのは嫌なの。みんなだけじゃなくて、自分のことも大切にしてほしいにゃ☆」

「う……反省してます」

「ならよしっ☆」

 気付かれていたことも、心配を掛けたことも、全部ひっくるめてそう言った。俺もまだまだ未熟だ。これからは、この子にこんな顔をさせてはいけないと、そう固く誓った。
 猫がすり寄って来て、体を擦り付けられる。みくがその猫を撫でた。

「猫チャン、飼いたいけど飼えない……」

「みくは本当に猫が好きだな」

「好きなのは……自由だからかな? お昼寝してー、ご飯たべてー…」

 みくは猫の好きポイントを指折り数えていたが、突如名案を閃いた顔で手を叩いた。

「そうにゃ! プロデューサーチャンの家で猫飼うっていうのはどうかにゃ!」

 俺は真顔になった。

「悪い、みく。それは出来ない。だって今俺、ちょっと手が掛かるけれど元気いっぱいで気分屋で意地っ張りで、だけど本当は凄く頑張り屋な猫を飼っているから……」

「……スキあり!」

 ぺち、と音を立てて頬にグーを当てられた。猫じゃらしよりも軽い一撃。なんだかんだで毎回ツッコミを入れてくれるあたり、大阪人だよなあと思う。
 そっぽを向いてしまっても、体勢のせいで赤面が隠しきれていないことに気付いていないのだろうか。

 まあ、だから。
 うちの猫は、こういうところも含めて可愛くて仕方がないのだった。






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