人物 | ナノ

8. 


 繭から声が響いた。微睡むような声が。

 ――まゆはここにいますよぉ……? ずっとここで幸せな夢を見るんです。プロデューサーさんがまゆだけを見てくれる、大好きって言ってくれる、幸せな夢を……

「私は起きたまゆと話したいよ」

 ――まゆは夢でお話ししたいです。うふ……貴女も一緒に夢を見ませんかぁ……?

 繭から伸びた糸が左腕に巻き付いた。

「わがままを……」

 言いかけ、不意に心が痛んだ。現実のまゆはいつも聞き分けが良くて、わがままなんて言ったことがなかったから。

「ねえ、まゆ。私まゆと話したいことがある。話し合いたいことがある。伝えなきゃいけないことがあるの。だから起きて」

 真っ赤な繭に取り込まれそうになりながら、必死で叫ぶ。自由な右手で繭に触れた。手触りの良いリボンの生地。
 このままでは状況は解決しない――どうにかしないと――だが、どうやって?
 ふと、その方法を思いついた。まゆの趣味を考えると、そうなんじゃないか? ここが古城風なのも、そういうことなのか? だが考えている時間はなかった。
 私は右手でなんとか体勢を整えると、繭の表面にキスをする。

「大好きだよ、まゆ」

 繭であるはずのそれは、確かに甘い味がした。


 * *


 ほどけていく。視界を埋め尽くしていた真っ赤なリボンが粒子となって、空気に溶けるように消えていく。
 気付けば腕の中にまゆがいた。その存在を、確かにここにいるまゆの鼓動を感じる。安堵したら力が抜け、まゆを抱えたままへたへたとその場に座り込んだ。
 まゆはぽろぽろと涙を流していた。虚ろな目ではなく、しっかりと意思を湛えて私を見ている。それが嬉しくて、私はまゆをぎゅっと抱きよせた。

「プロデューサーさん、まゆは……」

「いいよ」

 その涙を拭うと、まゆの吐息ごとその唇を塞いだ。


 * *


 翌日、まゆと私は向かい合って座っていた。いつぞやの休憩スペース。ガラス張りの窓に霞のかかった空が見える。

「最初はね、まゆが私のアイドルになってくれて嬉しかった。まゆが私をプロデューサーにしてくれた……ありがとう。まゆはいつも私に答えてくれた。私の中でそれが当たり前になるくらい。それでね、いつしか私の中でまゆの存在が大きくなっていったの。私はまゆを支えたいって思った。まゆの存在に支えられていたのは、私だったのにね……」

 一旦言葉を切り、震える声を落ち着かせる。

「私はまゆが大好きだよ。アイドルとプロデューサーじゃなくて、一人の人間として。だから、その……私と恋人になってください」

 まゆは目を見開いた。左腕のリボンを撫でる。

「夢みたい……」

 くしゃりとその表情が歪む。まゆはしゃくりを上げた。

「まゆはずっとずっとプロデューサーさんが大好きでした。一目惚れだったんです、本当に……。だけど貴女はプロデューサーだから、まゆの気持ちには応えてくれないってわかっていました。それでも……まゆはそれだけでよかったんです。だって、プロデューサーとアイドルとしてなら、ずっと一緒にいられるでしょう……? そう思って、アイドルとして頑張れば褒めてもらえるのが嬉しくて、……段々と、貴女に褒められなくても、アイドルのお仕事が楽しくなってきたりして。毎日が夢のようでした……」

 私はまゆの手に自分の手を重ねた。まゆは驚いて身を引こうとしたが、離すつもりはない。

「実は私、まゆのことちょっと信じきれてないところがあったの。だから謝らせて。……許さないでいいから」

「まゆも、ちょっと貴女のこと信じてないことがあったんですよぉ……? なら、これでおあいこですね。うふ」

 私はまゆと顔を見合わせて笑い合った。心の中があたたかいもので満たされていく。

「ねえ、まゆ。もっと本心を言って。私に甘えて。わがままだって言っていいよ? ……そりゃ、いっぱいは困るけれど……」

 まゆは苦しそうに声を押し殺した。幾筋も涙が零れ落ちる。ぽたぽたと音を立ててソファに水滴が広がった。

「……本当はずっと叫びたかったんです……。貴女のこと、大好きって」






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