とあるナースの文句 マルコ


「はーい、これでおしまい!」
「痛ってェ!…おま、もうちょっと優しくしてくれよ…」
「何言ってんの?優しくして欲しかったら喧嘩なんて下らないことで怪我すんじゃないわよ」

ぱしん、と叩かれた包帯を擦りながら、男はとぼとぼと医務室を出て行った。言葉まで棘まみれかよ、などとぬかすもんだから、その後頭部に本の角が刺さる。机の上に放置してあったのを勝手に拝借した。悪態をつきながら出ていく兄弟を見送って、地面に落ちた本を拾う。誰のだ。

「…人のもんを勝手に投げんじゃねェよい」
「なら、適当な場所に置かないで下さい」
「適当じゃねェだろい。おれはちゃんと机の上に、」
「机の上に放置したんでしょう?」
「…おれに持ち歩けって?」
「自分の部屋にしまっておいたらいいじゃないですか」

忌々しそうに本を受け取って、これ見よがしに表紙を払った。ここは医務室。私物を放置する場所じゃない。例え上司だろうと、1番隊の隊長だろうと。

「それで?何かご用ですか?まさか怪我ですか?切開でもしましょうか?」
「お前、外科の技術なんかねェだろい」
「ないから習得したいんです。いい練習台があればいいんですけど」
「おれの能力を何だと思ってんだ…」

ため息をついて、マルコ隊長は一枚の紙を渡してきた。ということは、そろそろどこかに着くらしい。買い足す必要があるものを書き出せ、というわけだ。

「何で毎回わたしなんですかねえ?」
「お前が一番下っ端だからだろい」
「どこの女の子が好き好んで海賊船に乗るんです?」
「お前は自分から乗って来ただろい」
「わたしみたいなのがごろごろ居たら世も末ですよ。余っ程男が頼りないんだなっ、て、」

本の背表紙が降ってきた。びっくりして目を閉じた。痛くはないけれども、非常に不愉快だ。そうやって人を脅かして、馬鹿にしてんのかこの野郎。

「ごちゃごちゃ言ってねェで纏めろい」
「…投げるなとか言った癖に、殴るのはいいんですね」
「殴ってねェだろい」
「被害者と加害者の意見の相違ですねー」

尚も差し出される紙を引ったくって席を立った。しょうがない。結局わたしがやるしかない。だって下っ端だもの。わかってる。他にできることなんてないもの。

「…お前、二日目は空いてるかよい?」
「二日目?知りませんけど、何かありました?」
「いや、そういうわけじゃねェんだが…」
「んー、予定も日程も見てないんでわかんないんですよね。気が向いたら上陸しますし、暇だったら本読みますし」
「…いい加減、その行き当たりばったりやめろい」
「何でですか?予定なんか立てたら一々確認しなくちゃいけないじゃないですか。面倒くさくないですか?」
「あー、わかったわかった。リリーに聞くからいいよい」

呆れたように手を振って、マルコ隊長は医務室を出て行った。いいならいい。と言うか、下っ端のわたしに何を確認しようと。そりゃ年単位でいるわけだから、粗方のことはわかるけど。わかるから日程の確認もしないんだけど。

慣れた手順で引き出しを開け閉めする。在庫がないもの、なくなりそうなもの、次の島でしか手に入らないもの…は、たぶん姉さんが見てくれてるから。

ノックもなしに扉が開いた。今度はどこで何をしたやら。





「は…?」
「大きな街だから、手分けした方が手っ取り早いでしょ?」
「あ、うん。それはいいの。買い出しは全然いいんだけど」
「なあに?マルコとじゃ嫌?」
「嫌」

だって、小言ばっかり煩いんだもん。あんたはわたしの母親かってくらい。やれ片せの、それ止めろの。わかってんだからいいじゃない好きにさせてくれたってさあ。

「いつ?」
「明日。流石に今日はこんな時間だもの。お店も閉まってるわ」

ああ、そうね。もうお日様も沈みきったしね。これから飲みに行こうかと思ってたんだけど。明日か。…明日?何か二日目がどうのって言ってたのってこれ?

「じゃあ、酒場で合流って伝えてくれる?」
「…まさかこれから飲みに出るつもり?」
「うん。何かそんな気分になった」
「一人は危ないんじゃない?」
「じゃあ誰かがいる店にする」
「明日マルコと飲みに行けば?」
「嫌」
「…そんなに邪険にされてると流石に可哀想になってくるわね」

気のせいじゃない?それを言ったら、わたしは乱暴にされている。今日だって本で殴られた。わたしだって可哀想だ。

足取り軽く、タラップを下りる。わざわざ先の事を考えて憂鬱になるつもりはない。もしかしたら?酔い潰れて?使い物にならなくなってるかもしれないし?

カランカラン、とベルを鳴らして、勢いよく扉を開けた。どこの店に行ったって、大体誰かはいる。人数が人数だ。知らない顔しかなかったら逆に興味をそそられる。果たして。

「一応聞くけど、それ何のガッツポーズだ?」
「4番隊が屯してる即ち美味しいご飯の確定演出きたこれ」
「…だけか?」
「マルコ隊長がいないのも嬉しい」
「だよな」

溜め息をつく背中をすり抜けて、カウンターに腰掛ける。飲むだけのつもりだったけど、ご飯も食べちゃおう。にっこり笑顔で注文すれば、店員のお兄さんが頬を染めて踵を返す。おまけしてくれないかしら。量じゃなくて何か。デザートとか?

「イズルよォ、何でそんなマルコ隊長につんけんすんだ?」
「わたしは誰にでもつんけんしてるけど?」
「…まァ、そうだけどよ。マルコ隊長には一際当たり強いだろ」
「そりゃあ、突っ掛かられる回数が多ければその分つんけんする回数も増えるでしょ。はい、この話お終い。折角の美味しいご飯なら美味しく食べたいの」

やって来た器に、ぱん、と手を合わせていただきますをする。美味しいご飯に、今この瞬間に乾杯。





「で?夜通し飲んでたのかよい」
「仕事はちゃんとやりますよ」

欠伸を手で隠し、眠たい目をしばたかせながら街を歩く。夜更かしは美容の天敵、なんて言うけども。偶にはいいじゃない。そんな気分だったんだもの。さっさと終わらせて寝たい。

「…買い出しはいいから帰れ」
「別に一晩徹夜したくらいでどうこうなりませんからお構い無く」
「今までが平気だっただけで今回も平気とは限らねェだろい」
「仕事を放り出す理由にはならないでしょう?わかっててやってるんでお構い無く」
「何でそう頑固なんだよい」
「何でそう過干渉なんですか?」

マルコ隊長が眉を寄せて頬を引き攣らせた。わざわざ事前に確認してまで駆り出した癖に、いざとなったらいらないと言う。徹夜の一度や二度、誰だってあるでしょうに。何なの?

「黙って聞いてりゃ随分言ってくれるじゃねェか」
「黙ってないじゃないですか」
「うるせェよい。大体女が夜中に飲み歩くもんじゃ、」
「あの、毎度毎度何なんですか?しつこいんですけど?そんなにわたしが好きにしてるのが気に食わないんですか?いつからわたしのお母さんになられたんですか?それとも一人一人の行動に制限かけてるんですか?1,600人分?暇なんですか?ストーカーです、」
「惚れた女の心配して何が悪ィんだよい!」

か。道行く人が一斉に振り返った。そういう類いの、大きな声だった。何人か知っている顔が混じっていた気がする。知らないふりをしたい。聞かなかったことにしたい。何かとち狂ったことを言い出した誰この人。

「…何とか言えよい」
「…何を言えと」
「文句がねェなら船まで送る」
「いえ、結構です。一人で帰ります」
「文句はねェんだな」
「文句があるから一人で帰るって言ってるんですよ」
「なら言えよい。お前がおれを嫌ってんのは知ってる」
「…」

別に嫌っていたわけでは。いや、しつこくて口煩くて鬱陶しかったけど。そう、言われると。こう、歯車が狂う。ような。

「…お前が押しに弱かったとはねい」
「は?誰がですか?何の話ですか?何笑ってんですか?別に弱くなんか、」
「顔真っ赤にして言っても説得力がねェよい」
「まっ、」

両頬を包もうとした手の片方が拐われて足が縺れた。難なく支えた手は確かに大きくてびくともしない。いや。いやいやいや。意外だっただけでそういうつもりはこれっぽちもない。

「離してください、野蛮人!」
「あ?野蛮にしていいのかよい」




prev / next

戻る