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少し崖のようになっている湯船の向こうに、桜の枝が伸びている。重そうに花をつけた様が湯の明かりに照らされて、見事としか言いようがない。これは、此方にしかない桜だ。

「すごい。お酒でも持ち込みたくなるね」
「あるわよ」
「えっ、本当?」

ちゃーん、と、徳利と猪口の乗った盆を持つリリーさん。まじで?いいの?本当に?流石貸切。

「わたし湯船で飲むの初めて」
「回るの早いから気をつけてね?」
「はあい」

そこまで長湯できる自信もないけどな。寝落ちしそう。
桜を眺めながら、湯船に浸かりながら、酒を飲みながら喋りながら。ながらながらで、ゆっくり時間が流れていく。いいなあ。生きてるって感じがする。

「わたしね、此方に来られて良かった」
「イズ?」

姉さんの手が、濡れた髪を撫でた。此方に来れて、皆に会えて、嬉しいんだよ。息がしやすい。生きてるのって楽しいんだって思ったんだよ。別に向こうで虐げられてたわけじゃないけど。何なら、人より好き勝手してたけど。

「何かあった?」
「ちょっとだけ。わたしは、死んでも皆と居たいなあって」
「大丈夫よ。わたしたちも、船長もついてるわ」
「うん」
「何より、イゾウがイズを手放すとは思えないわ」
「…別に捕まってるわけじゃないけど」
「そうよね。イズの意思でここにいるんだものね」
「…うん」

大丈夫。あの時玄関の扉を閉めたのはわたしだから。この船に乗ることを決めたのも、此処で生きていくと決めたのも。姉さんや兄さんや父さんが一緒にいてくれるから。だから、大丈夫。大丈夫だってば。

「イズにいいこと教えてあげる」
「何?」
「わたしたちは海賊よ。欲しいものは必ず手に入れるわ」
「うん…?」
「況してこんな素敵なお宝、手放す筈がないでしょう?」

リリーさんに頬を包まれて、ぱちりと目が合った。お宝って、…ちょっと買い被り過ぎじゃない?

「そんなに価値ある?」
「馬鹿言わないの。大切な家族より、価値があるものなんてないわ」
「…ありがと」

リリーさんが笑って手を離す。わたしも腹を括ろう。手放さないと言ってくれるんだから、わたしも此処から手を放さないと。目に見えもしない何かに怯えて頼るなんてのは、海賊として情けないね。



***

「リリーさんかっけェな」
「惚れそうになった」
「おれは惚れた」
「イズも大概、おれたちのこと好きだよなァ」
「嫌いだったら口も聞かないんじゃねェか?」
「結構態度に出るよな」
「ラクヨウ隊長とか?」
「あー、あのメンタルはちょっと真似できねェよなァ」




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