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「イズル」
「…」
「なァ、イズル」
「…」
「…」

爆薬に含まれていたのはこの島の、…何だっけ。何ちゃらペッパーだったらしい。確かに唐辛子が目に入ったら痛い。数時間寝た後、何事もなかったかのように開いたエースさんの目は真っ赤に充血していた。エースさんでこれなら、イゾウさんはもっと酷いと思う。

現在進行形で怒っているわたしは、目が覚めたと聞いても会いにいかなかった。し、こうして見つかった今も口を聞くつもりがない。まだ夜には早い時間なのに既に風呂上がりの着流しで、イゾウさんが後ろをついてくる。わたしは怒っている。とても怒っている。この、言葉にしようのない怒りをどうしろと言うんだ。
伸ばされた腕に捕まらないように、わたしが逃げ込んだのは父さんの部屋だった。音を立てて扉を閉めてやれば、流石に追っては来なかった。わたしは怒っている。怒ってるんだってば。

「どうしたァ?」
「…どこぞの馬鹿から逃げてきた」
「グララララ!イズルを怒らせるたァ、余っ程の馬鹿息子だなァ!」

そうなの馬鹿なの。本当に馬鹿なの。察して欲しいなんて思ってない。ただ、ちょっとは頭を悩ませて反省しろ。自己犠牲なんて美しくもなければ尊くもない。

当然のように父さんの膝に登って靴を放り出す。困った顔で笑った姉さんが頭を撫でてくれた。んん、もっと。

「聞いてもいい?」
「何だァ?」
「白ひげの娘ってどのくらいの価値?」
「あァ?」
「何かね、白ひげの娘を生け捕りにしたら金払うってやつがいるんだって。ご丁寧に写真まで配ってさ、…父さん?」

滲み出た嫌な気配に、下げていた視線を真上に上げた。途端に溢れた怒気に体が竦む。あ、待って、くらくらする。

「こんの、馬鹿娘がァ!!」
「…っひ」
「何で言わねェんだ、アホンダラァ!!てめェ一人でどうにかできるとでも思ってんのか!?」
「…ちが、ごめんなさ、」
「マルコ呼んでこい!イゾウもだ!」

何人か、倒れた姉さんがいた。これ怒気じゃねえわ、覇気だ。声量だけで船が揺れた気がするし、何ならわたしも揺れている。抱えた体がかたかた震えて止まらない。怖い。超怖い泣きそう。

「…オヤジ?」

随分と速くやって来たイゾウさんが、わたしを見て困ったように眉を下げた。あー、くそ。身から出た錆だ。一人で堪えるしかない。

「イゾウったら、船長の部屋の前にいたのよ?許してあげたら?」
「…後で」

つい、と寄ってきたエミリーさんの耳打ちに、また泣きそうになって膝を抱いた。わたしから始めた喧嘩だ。自分の都合が悪くなったから、なんて、そんな無責任なことしない。

「甲板まで聞こえたんだが、何事だよい?」
「あァ、どこぞの馬鹿がイズルに手ェ出してやがる」
「「あァ?」」
「だ、出されてない」
「黙ってろ!出されてからじゃ遅ェだろうが!」
「…、」

とうとう決壊した涙腺から、ぼたぼた涙が落ちてきた。怖い。ごめんなさい。怒鳴られるなんて、怒られることだってないし。膝に頭を埋めて、ぼーっとし始めた頭で呻く声を聞く。怒られてぎゃん泣きなんて、一体わたしは幾つになったんだ。

「…イズ、」
「甘やかすんじゃねェ。悪ィことして怒鳴られんのは当然だろうが」

そのぴしゃり、とした一言に姉さんが手を上げた気配がした。どうやら人様を怒ってる場合じゃなかったらしい。しゃっくりを繰り返しながら、父さんが説明するのを聞く。忽ち温度の下がった室内に、止まりかけた涙がまた膝を濡らした。

「…ごめ、なさ…っ、い」
「何で怒られたかわかってんのか」
「…い、言わなかった、から…?」
「あァ、そうだ。手遅れんなってたらどうするつもりだ」
「…そんな、切羽詰まって、ないと思ってた、から」
「馬鹿が。切羽詰まってからじゃ遅ェだろうが」
「…そんなこと、言われたってさぁ」

と言ったところで後に続く言葉なんかないわけだが。だって程度がわからない。報告義務が発生するのはどこから?どんな案件で?写真が出回ってる。生け捕りを謀ってる誰かがいる。だってそんなの、

「皆だって手配書出てるじゃん」
「…それとは話が違ェよい。手配書は政府が出すもんだが、イズルのは特定の個人か組織が撒いてるもんで、…あー、手配書はビラでイズルのはストーカーだよい」
「わかりやすい例えね」

なる。そう言われると危機感も湧く。にしたってこんなに怒る?気づいてなかったわたしも間抜けだとは思うけど。

「で?心当たりはあんのかよい」
「…ない」
「イズ、それに気づいたのはいつ?」
「…ベイさんの船から下りた島で、宿に乗り込まれて…写真持ってた」
「何で言わないの!」
「だって偶然だと思って!そんな、何ヵ月もそんなの持ってるなんて物持ちいいなとしか…」
「呆れた。感心してる場合じゃないのよ?」
「何ヵ月もってこたァ、その写真には心当たりがあんじゃねェのかよい?」
「…前に、売られた時の」
「あの野郎、そんなもんまで配ってやがったとはねい…」

父さんもイゾウさんもマルコさんも姉さんも、皆揃って渋い顔をした。わたしは割りと気にしてないんだけど。マチにも会えたし。助けてもらった思い出だし。あ、マルコさんが舌打ちした。

「…ねえ、イズ。嫌なことを聞くけれど、その写真はその時配ってたもので間違いないの?」
「…?」
「イズの言葉を疑うわけじゃないの。でもマルコもイゾウも気づかなかったなんてちょっとおかしいわ。エースだけなら兎も角」

べたべたに濡れた顔を上げたら、真顔のリリーさんと目が合った。言われてみれば、何で物として持ってるんだ。あれが映像電伝虫か何かで映したものなら、それをわざわざ現像してるってことじゃないか。

「わ、わかんない。手元まで覚えてない。何か、映し出されてるの見て、それと同じだったから」

呆れと怒りとたぶん心配と。色んなものでごちゃごちゃな空気の中、あんまり言いたくない。けど、今言わなかったら絶対怒られる。

「…あの、もしかしたら?ベイさんのとこにいる時にもあった…?かも…?」
「かもってのは何だよい」
「写真持ってたとかじゃなかったから。でも、何か、変に狙われてる気がすることはあった…?かなって…気がするだからわかんないですけど」
「ベイから報告は」
「ねェよい」

そりゃそうだ。あるわけがない。わたしは申告してないし、気のせいと言われたら気のせいだ。けど、ぱっと見て海賊らしからぬわたしと一戦構えたいなんて。普通に考えたら普通じゃない。町娘がご入り用なら他に美人はいっぱいいる。正直、ベイさんがけしかけてるんじゃないかと思ったりした。流石に聞けなかったけど。

「たぶん客だ」
「あァ?」
「ドフラミンゴは客で来てた。主催じゃねェ」
「どういうことだよい」
「あの時イズルの競りは終わってた。たぶんだが、ドフラミンゴが落札してる」

ドフラミンゴ。あのピンクの人か。確かにあの人が1,000万出して、…あれ?何かまだあるな。何で名前を知ったんだっけ。確か、ルーカが。

「その後も会ってる…?」
「…、マチ送りに行った時か。サッチとルーカ呼んでくれ」
「わかったわ」

背筋を悪寒が這った。もし、そうだとしたら。いつから。



***

「サッチ、ルーカ。船長室に来て頂戴。大至急よ」
「おれ、あんなに怒ってるオヤジさん初めて。何したの?」
「イズがちょっとね。来たらわかるわ」
「あ、待て。イズが関係してんならゾノもいいか?」
「いいと思うけど、…何だかあんまり良い予感はしないわね」
「残念ながらその予感は的中だな。おいゾノ!手ェ空けて船長室!」




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