▽ 08新しい生活の幕開け
それからしばらくして、アルーティアの両親が帰宅した。
雪原で倒れていた男の子を連れてきた―――彼女は両親にそう説明すると、ゼクスはすぐさま町医者に連れて行かれた。
医師に診察を受ける中、驚く事実が発覚する。
雪原で巨大白熊から受けた深い傷は塞がっていたのだ。
大出血をし死の淵をさまよったのだ…医師の処置なくこんな短時間で傷が塞が癒えているとは信じられなかった。
ゼクスの脳裏には、死の淵に少女が舞い降りた時の光景が蘇った。
身体を貫く苛烈な痛みは、温かさに溶けていくように引いていったような気がしたのだ。
(こんな魔法あるの…?やっぱりあのお姉さんは…)
医者はある事に気が付いた。
身体に複数の傷――新しいものから古いものまで認められた事から虐待を受けていたのではないかという疑念が生じたのだ。
「この傷はどうしたんだい?」
「父上から…訓練を受けていました」
「そうかい。どんな訓練を受けていたんだい?」
「木刀を使った…剣術の訓練、体術…そして空砲を使った銃撃戦の模擬訓練と…」
訓練と言っても大の大人の本気に敵うはずもなく、一方的に木刀で叩かれたり殴られたりする事もあった。
訓練という健全なものではない。
本当の事を言いたくても言葉が止まってしまう。
自分でも理由は分からないが、言葉にする事が怖かったのだ。
「うん、そうかい。もういいよ」
医者には深くは追及されなかったが、あの医者は自分の身に何があったかすべて察しているような気がした。
診察が終了するとゼクスは待合室にて待機しているようにと医師に告げられ、代わりにアルーティアの両親が診察室にて結果を聞く事になった。
ゼクスとアルーティアは待合室に備え付けられた長椅子に隣り合って腰かけた。
アルーティアは少し疲れた様子のゼクスに目線を落とすと、囁くような声で話しかける。
「もう痛くない?」
「…うん」
「頑張ったわね」
アルーティアはゼクスの両手を自分の方へ引き寄せると、両手で包むようにそっと握った。
「っ…!」
手から伝わる暖かさが身に染みて来るように思え、ゼクスはまた泣きそうになったが必死に堪えた。
医師の診察が終了し一同は帰宅した。
そして、アルーティアの両親はゼクスがここで厄介になる事を快く了承してくれたのだ。
アルーティアの両親からは当然居所はどこか、親についてなど聞かれた。
きっと医師に傷の事を言われたのだろう…話したくなければ無理に言わなくていい、そう気遣うように付けくわえて。
今度は気持ちがだいぶ落ち着いたおかげか、話す事が出来た。
自分は首都レギンレイブのヴァルキュリア家の六男…その名を聞いた途端、アルーティアの父は驚いたように口を開けた。
「あのヴァルキュリアの…本当かい」
ゼクスはアルーティアの父親の問いに頷いた。
「あなた知ってるの?」
「ヴァルハラントでは由緒正しい有名な軍家系さ。しかしまさか…そこの子がこんな…」
アルーティアの父親は信じられないと言いたげに表情を曇らせた。
それからゼクスは改めてアルーティアとその両親の顔を伺った。
「本当に、本当に…いいの?ここにいさせてもらっても…」
「怖かったでしょう、しばらくはここにいなさい」
アルーティアの母はそう言葉にすると、ゼクスに白いマグカップを差し出した。
「ありが…とう…」
そっと口を付けると、温かく柔らかなホットココアの甘さが口に広がる。
「アルーティア、仲良くするんだよ。君の方がお姉さんなんだからね」
「分かってるわよお父さん。――おいしい、ゼクス君?」
「…うん」
そこには自分の知らない『家族』の姿があったのだ。
その晩、ゼクスはベットの中で一人天井を眺めていた。
倒れてからずっと眠っていたせいか、睡魔は過ぎ去り頭はすっかり冴えてしまった。
初めて踏み入れた知らない外の世界。
アルーティアと、その両親。
見ず知らずの自分に、何でこんなに優しくしてくれるの。
屋敷にいた頃は、兄達も使用人達も見ているだけだったのに。
そして、実の父親への疑念が深まる。
こんなに頑張ったのに、どうしてまた捨てたの。
やっと、死ぬ思いをして魔法が使えるようになったのに。
酷い…。
これから一体どうなるなるのかと不安が胸を過ったが、アルーティアに触れたあの暖かさを思い出すだけで少しは気持ちが落ち着いた気がした。
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