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1:たまにはこっちを向いて


 オーケストラの指揮者がそのタクトを優雅に振るうように、彼は手に持ったメスをタクトのように振るって断末魔という音楽を奏でる。
 目は宝物を見つけた少年のように煌めき、口元には終始笑みを絶やし続け、楽しい時間が終われば心底満足したかのような爽やかな表情を浮かべる。
 血液や糞尿で悪臭に満ちた部屋も、時々足元に飛び散ってくる肉片も、ずっと唱えられる懇願や耳を劈く悲鳴も、何度も何度もその場に立ち会えば嫌でも慣れてしまう。
 ビデオを回すセッコの横で、私はただボンヤリと先生の戯れを眺めている事しかできない。
 余計な雑音をいれてはいけないと、私は声を掛ける事も、当然ながら手を出すことも禁じられているからだ。
 先生は自分の楽しい興の途中に、絶対にこちらを振り向くことなどしない。熱を込めた視線も、作っていない笑顔も、弾むような声調も、どれも私になんて向けてくれない。
 それがどんなに寂しくて、バラバラにされる検体者に思わず嫉妬を抱いてしまう事をわかっているのだろうか。……それとも、先生は私の気持ちを理解した上で、何も役に立てない私を立ち会わせているのだろうか。
 それなら本当に酷い人だ。表情には出さず私が心中で苦しんでいることに、先生は内心で細く笑んでいるのだろう。
 『もっと苦しめ、もっと自分を思え、もっと向けられない気持ちに絶望しろ』と思われていても、私はそんなサディスティックな先生を嫌いになることはできない。むしろ先生らしいと、どこか安堵する自分がいる。
 あぁ、でもッ!ほんの一瞬だけでいい。あの熱情な眼差しを私に向けてほしいと願うのは、傲慢な事だろうか。こうやって一人で悶々と考えている間にも、先生はメスでさばくのを止めない。
 軽やかに大振りに手を動かすと、メスに滴った血がピッと跳ね私の頬を汚した。雑菌だらけの汚らわしい他人の血なのに、ビクッと体の芯が熱くなった気がした。あまりの欲求不満に、先生から向けられた物だったら何でも良いのかと、自分でも呆れる。
 ゴシゴシと頬を手で拭えば、やりきったかのような長い溜息が聞こえた。ずっとボンヤリとしていたせいか、あんだけ騒がしかった叫びの声はすでに消えていた。
 クルリとようやくこっちを振り向いた先生の顔は、どこか疲れたようだがやり切ったという爽やかさがあった。
 嵌めていた手袋を放り投げて、いつものように『しっかりと録画ができたか』とセッコに問いかけ頭を撫でくりまわすのを私はじっと見つめていた。
「ふぅ〜今日の実験も、満足した出来だったなぁ。素晴らしい叫びと絶望しきった表情はたまらなかった。……君もそう思っただろ?」
 セッコに甘いご褒美をあげながら、問いかけてくる先生に私は短く肯定の返事をした。そうすると、先生は更に満足したかのように機嫌よく血まみれになった手術室の掃除に取り掛かった。
「…………どうした? とっとと片付けて飯でも食おう」
「ねぇ先生。私の番はいつ来るの……?」
 その場からなかなか動こうとしない私に、チョコラータ先生はこっちに近づいて、頭上から私の顔を覗き込んだ。自分の目とかち合う翡翠色の瞳は、さっきまでの輝きはすでになかった。
 何回目か数えていない私の言葉に、先生は"またその話か……"と、呆れたような声調と共に溜息をついた。
「わかっている。先生にとって私なんて対象にすらならないんでしょ? 他の人達みたいに、痛いっていう表現がないから面白くないってのもわかっていッ」
 ずっと胸の内に留まっていた蟠りがわっと出てしまう。失望なんてさせたくないのに、小さな子供みたいに自分の不満を口にするなんてしたくはなかった。
 だけど先生は、私が最後の言葉を続ける前に強烈なデコピンを私に食らわせたのだ。バチンッ!と鈍い音と共に、ただのデコピンでこうも頭が仰け反るかと思ってしまうほど、私はその一撃に言葉をなくした。
「……ワタシが思っていたよりも、君は頭の悪い子のようだ」
「うっ、ごめんなさい……」
 案の定の反応をさせてしまった。よせばよかったのに、どうして我慢できなかったのだろうと今更ながらも後悔する。先生は頭の悪い子は嫌いだったはずだ。それなら頭が悪い奴と認定された私の事もきっと嫌いになってしまっただろう。
 先生に捨てられてしまったら、私はこれから……と心は益々萎んでいく。泣きたくないのに、涙が出てしまいそうだとウジウジとしてしまう。
「やれやれ、ワタシが君の事をバラバラにしないのは、まだ君に死なれると困るからだ。助けてやった分、しっかりと働いてもらう。……わかったか?」
「先生にとって、私は必要な存在なの?」
 風船のように萎んだ私の心が、再び嬉しさで膨らんできた。確かめるように、また似たような台詞を言えば本日二発目になるデコピンを食らった。
「ワタシは同じことは二度も言いたくないんだ。そんな事より、腹が減っているからさっさと片付けたい。だから、早く君も手を動かしなさい」
 素っ気なく告げると、先生は再び清掃の準備を始めてしまう。セッコは甘い角砂糖の余韻に浸るように、床をスイスイと楽しそうに泳いでいて、ボケッと立つ私は置いてけぼりだ。
 すぐに自分の世界に入ってしまう先生でも、ほんのちょっぴりでも私のことを忘れていないんだと思えば、自然に顔がにやけてしまう。
 二度目はあまり強くなかった額を擦りながら、私も先生と同じように血なまぐさい部屋を掃除し始めたのだった。

 【お題サイト『きみのとなりで』 自由奔放なあなたへ5題

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