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4:ネックレスは誰のため?


 水流のように車窓から見える街並みは、見覚えがあるはずなのに、どこか全く知らぬ世界のように思えた。
 数年ぶりに浴びた太陽は焼き焦がれそうなぐらい暑く感じ、目が潰れそうなぐらい眩しくて、久々に嗅いだ外の空気の匂いは独特だった。
 頭の中へ怒涛に流れてくる情報網に、私はまたあの薄暗く狭い部屋に戻りたくて、泣きそうな思いで胸元にある紅色の宝石をギュッと握りしめていた。

 "お前にコレをやろう。ずっと形見離さずに首から下げておけ"
 あの人は少しぶっきらぼうな口調で言うと、私に掬うような手の形を作らせた。そして、あの人は拳を握らせた大きく無骨な手を、私の手の上に翳した。
 拳が開かれると同時に、私の掌に少し生暖かさを持った物が、小さな金属音を鳴らして落ちてきた。
 "……綺麗"
 薄暗い照明でもキラリと光るルビーに、私は思わず感嘆の声を漏らした。華奢な金色の鎖と、小ぶりながらもキラキラと煌く宝石は、シンプルなデザインでも高そうに思えた。
 どうしてこれを?と、そんな顔をして彼を見れば、"首輪代わりだ"とフイッと冷たく顔を背けても、紅潮した頬は誤魔化せていなかった。
 本当に自分勝手な人だと呆れながらも、ぞんざいに渡された贈り物は密かに嬉しく感じた。
 あまりにも細い鎖のせいで、小さな留め具に戸惑っていると"髪を上げてろ"と言われ、なんだかんだで着けてくれる。
 一緒に過ごすようになってまだ数ヶ月の頃は、この人は優しいのか冷たいのかよくわからない人だった。
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 ある日突然攫われて、気がつけばこの部屋にいた。そしてこの人と出会ったのだ。
 恐怖と絶望で煩く泣き叫んでも、彼は微動だに動じず、殴りかかろうとする私を怒ること無く受け止めた。
 ……いや、正確に言えば、彼は私の体力が尽きるのを待っていたのだ。子供のように泣きつかれて怒る気力も失くした私を、懇懇と言葉だけで屈する機会を伺っていただけかもしれない。
 『お前が大人しくしておけば、私はお前を殺したりなど絶対しない。食事だって用意するし、なんならドルチェも好きなだけやろう。風呂にだって好きなだけ入っても良い』
 くたびれて抵抗する事を脳から吐き出していた私には、目の前に立つ大柄な男に頷く事しかできなかった。
 彼は横暴ではあったが、約束は守ってくれていた。どこから用意されているのかはわからないが、三食きっちりとした食事は出たし、希望を出せば驚くほど美味しいドルチェも食べさせてくれた。
 狭く暗い部屋に男と二人っきりというのは、精神的にキツかったが、時々彼は部屋から居なくなる事があったお陰で、多少はマシだったかもしれない。
 彼は自分の事を語ろうともしなかった。いつも私達の会話は『私』の事が中心で、昔のことを話していると彼は何も言わなかったが、穏やかな顔をして静かに耳を傾けていた。
 私達の関係は誘拐犯とその被害者ではあったが、長い時間を一緒に過ごし丁重な扱いをされていくうちに、私は彼のことを憎めなくなっていた。
 これが所謂『ストックホルム症候群』という心理なのかもしれないが、『彼はそこまで悪い人ではないのかもしれない』と脳に洗脳されていなければ、私はすでにとち狂っていたかもしれない。
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 私達の関係は、気がつけば数年と経っていたようだ。日付とか時系列はだいぶバグを起こしていたが、年越しに上がる花火の爆裂音を耳にすると、あぁもう一年が終わってしまうのかと、嫌でも時が過ぎていたのを感じていた。
 短かった私の髪は腰の辺りまで伸びていたし、毎日顔を突き合わせるあの人も、最初と出会った頃を思い出せば少し老けたかもと認識する。
 私が彼に持つ感情は、憎めない対象から依存に変わっていた。
 狭い空間で男女が一緒にいれば、自ずとも手を出されてしまったし、生活のすべてを握られていた私は、生き延びるためにも自然に強請る事を覚えていた。
 感情も思考も酷く歪んでしまっていても、胸元を飾るネックレスは相変わらず美しいままだった。

 だがしかし、そんな濁りきった生活は唐突に終止符を遂げた。
 "少しの間、留守になることになった。だが、すぐに戻ってくる。まぁ、その首輪があるから大丈夫だろう"
 どこか焦りを感じていた彼は、私の頭を優しく撫でて早々に身支度を整えて部屋から居なくなってしまった。
 私が知っているのは彼の名前だけで、どんな仕事をしているのかも知らなかった。あんな奇抜な格好でどこに行ったのだろうか?
 静まり返った空間は、普段なら狭いと感じていたのに、広くて寂しいと彼が帰ってくるのをひたすら待っていた。
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 私の元にお日様が戻ってきたのは、彼がいなくなってからしばらくしてからの事だった。
 慌ただしい靴音が部屋に近くまで聞こえて、あの人が帰ってきたんだ!と喜んでいたのもつかの間。私の目の前にまず現れたのは、金髪の少年だった。
 呆気にとられる私に、彼は静かに"ディアボロは死んだ。ボクは貴女を保護しに来た"と、告げたのだ。
 目の前が真っ暗になって、私は気がつけばこの車の中にいた。記憶が飛んでも、太陽の眩しさも独特な匂いも、見覚えのあるはずの街並みなど感性はしっかりと身体が覚えていたようだ。
 本当にあの人は死んでしまったのだろうか?と、隣に座る黒髪の少年にチラリと視線を送っても、彼はまっすぐに前を見て私の事をちっとも見てはくれなかった。
 不安で握りしめていた宝石も、ただ綺麗に輝くだけで、私の心の質問に答えてはくれない。
 首輪を着けても、飼い主がいないんじゃただの装身具。簡単に引きちぎって、逃げちゃうよ。だけど逃げても追いかけてくれない。首から下げても下げなくても、ただの意味のないネックレス。
 自暴自棄になって引きちぎって、車の外に捨ててやろうかと思っても、私の手には力は入らなかった。
 溢れた涙が紅色を濡らしても、現実は非情という事だけ知るだけだ。

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