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――窓を強く叩きつけるほどの激しい雨音を聞くと、まるで海底から引きずり出されるかのように思い出す。忘れようとしてもそうはさせないと訴えるかのように、オレの記憶にいつまでもいつまでも纏わりつくんだ。
 
 あれは、オレが組織に入って間もない頃。
 幹部から与えられた初めての任務は、とある林に建つ古い館の住人に荷物を届けるというお使いだった。
 オレは『お使い』という単語に少々面食らったが、どんな職業でも最初は簡単な物から徐々にこなしていく事が大切なんだよ、と言う上司の言葉に納得するしかなかった。
『林の中は道がしっかり舗装されてないから、車は林近くの場所に止めて行け』という忠告と、頑丈そうなケースと地図を渡された。その日は雲一つない美しい青空と太陽の日差しが眩しくて、雨に降られることはないだろうと安心して傘を持たずに車に乗り込んだ。
 ネアポリスから車で数時間、見渡す限りに広がるオリーブ畑にポツポツと寂しげに建つ一軒家だけの何もない郊外地に辿り着いた。一本道を車で進めると、生い茂る樹木が目の前に見えた。車をすぐ近くの場所に止めて、オレは林の中へ一歩足を踏み入れたのだった。
 忠告どおりに道は禄に整備もされていない獣道だった。地図を取り出し道順を確認したが、館までの道のりがさっぱり書かれていない。これではどうやって行けばわからないじゃないかと困り果てていたが、突然ある事に気がついた。
 花の蜜のような甘く強い匂いがオレの鼻腔をくすぐった。一体どこからするのだろうと、キョロキョロと周辺を見渡す。すると、ところどころに艷やかで赤々とした林檎を実らせた木が植えられている事に気がついた。それは奥へ奥へとまるで導かせるように植えられている。オレはただの直感だけで、林檎の木を頼りに足場の悪い道を覚束ない足取りで奥へと進んだ。
 最初はポツポツとあったが、奥へ進むほど林檎の木が多く植えられていた。これはもしかしたら館に辿り着けるのかもと、オレが期待している矢先に林を抜けたのかひらけた場所に出た。
「…………ここが、その館か……」
 自分の背よりも大きな門の先に、本当に人が住んでいるのかと疑問を持ってしまうぐらい寂れた館がそびえていた。その館の周辺には、一体どのくらい植えられているのか数え切れないぐらいの林檎の木があり、強烈な芳醇とした香りに思わずオレは頭がクラクラとした。
 要件をさっさと済ませて、この場から立ち去りたいと思いながら、門の横にあるインターフォンを押した。
「…………」
 インターフォンを一回鳴らし、しばらく待ってみても何も応答がなく人が出てくる事はなかった。二回目で押してみても同様だったので仕方がなく重い門を開き、扉に取り付けられているドアノッカーを使ったが、やはり誰も出てこない。
「すみませーん。どなたかいらっ……」
 気が引けたが、鍵の掛かっていなかったドアを開けて顔を覗かせて声を掛けてみた。……そう声を掛けたのはいいが、視界に入った光景に思わず言葉を切らせてしまった。
 扉を開けてすぐに見えた大きな階段に一人の女が立っていた。無表情で微動だもせずに、じっとオレを凝視していた。突然の来訪者に驚くことも慌てる事も、勝手にドアを開けて家の中を覗き込んだ事に怒ったりする事もせず、ただ一言も発せず視線を外すこと無くオレを見ていたんだ。
 その女に対してもそうだが、館内の嫌な雰囲気も含めて背中に冷たく嫌な汗が流れた。だが、任された仕事はこなさいといけない使命があった。
「あ、あの。オレはパッショーネの組員で、使いで来たブチャラティって言います。ここの住人の方に、渡すものがあって来ました」
 声が震えそうなのをなんとか抑えて、その女に向かい自分の身元と訪問した目的を話すと、ゆっくりとした足取りで女はオレに近づいてきた。
「……バッチ」
 正面扉の少し前で立ち止まった女は、冷めたような口調で短く呟いた。組織の証明を見せろという意図を読み取って、オレは上着のジッパーに隠しているバッチを取り出して女に見せた。女はやはり無表情でそれを確認すると、ようやく正面扉を開きオレは館内に入ることができたのであった。

 この館の唯一の住人であるこの女は名前と名乗った。痩せていて背はオレよりも低く、赤い生地に白いレースをところどころ使われたワンピースを着ている。そして頬は血色がよく赤みがあり、林檎の花のような白い肌をしていた。まだ子供だった自分でも、美人な類に入るだろうなと思った。
 自分の身元を証明してから、名前は最初のまるで幽霊のような雰囲気とは真逆に明るく朗らかな態度に変わっていた。
 『私の事は気軽に名前って呼んでね』とか『遠い所からわざわざありがとう』とか『荷物の確認をするからソファーで寛いで待っていてね』と頬を緩ませて優しい口調でオレに話しかけた。
 その変貌ぷりに驚いたが、名前がどこか昔近所に住んでいた優しいお姉さんによく似ていたので、第一印象の不信感とか不気味さは薄れていた。
「さっきはごめんなさいね。知らない人が来たって驚いちゃって……失礼な態度をしちゃったわ」
「いえ、オレも返答を待たずに勝手に玄関ドアを開けてしまいました。すみませんでした」
 確認できたよと戻ってきた名前から謝罪をされ、オレは慌てて自分の非礼を詫た。お互いに頭を下げていのが面白かったのか、名前は堪えきれなかったかのように吹き出した。その笑いにつられオレ達は一通り笑うと、名前から荷物の受け取りサインを渡される。
「もう帰っちゃうの? 紅茶の一杯ぐらい飲んでいけばいいのに」
「せっかくですけど、すぐに戻って報告しないと。……なにせまだ新人なんで」
 残念そうに引き止める名前に断りつつ、正面扉のドアノブに手を掛け少し開けた時だった。目の前が真っ白に光り、耳をつんざくような轟音が響いた。背後にいた名前は驚き、短く悲鳴を上げるとオレの背中にしがみつく。
 木々が倒れる音と何かが燃えているような燻った匂いがして、数秒後に地面を叩きつけるような激しい雨で状況を知る事ができた。
「さっきまであんなに晴れていたのに……」
「びっくりしたぁ。この周辺って時々こうなるの。突然雷雨になって、すぐ近くの林に落ちるんだ。でも、しばらく待てば雨は止むから良かったらゆっくりしていって? この辺は木ばっかりだし、いつまた雷が落ちるかわからないし危ないから」
 と言う名前に、どうするか少し迷っていたが自然ってのは甘く見てはいけないのよと念を押され、雨が止むまでお世話になる事になるのだった。
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