タイムリミットまではあと10時間を切っていた。翌日午前11時45分が約束の時間だ。
……そうだ、時間切れになったらどうなるのだろう? ヤマトは、手元の画面に目を落とす。
「なあ、太一」
『って、やめろよ』
指で液晶をこすると、画面上で太一の髪がわしゃわしゃと揺れた。見えない手でなでつけられているかのようだ。こんな状況でなければ、面白いウィジェットだと純粋に楽しめるのに。
太一の部屋のベッドに寝っ転がって、ヤマトはずっと携帯に話しかけている。光子郎は何をしているのかわからない。少し前にトイレにいくついでに見かけたときには、まだリビングでパソコンに向かっているようだったが。
ヤマトも、何かしなくてはいけないと思う。太一を救うために動かなくてはならないと思う。けれど、戦闘のためか、ひどく疲れてしまっていた。頭が鈍く痛み、神経が泥になってしまったかのようだ。
太一は、ディアボロモンに負けたヤマトを責めたりしなかった。
あの白い空間のことは全く覚えていないらしい。状況を報告しても「そうか」と言うだけで、今は画面の中であぐらをかいている。
大輔と賢は、あの戦闘の後帰らせた。ブイモンとワームモンは幼年期まで戻ってしまい、回復には時間がかかるだろう。それになにより彼らは受験生だ。大輔は再戦を主張したが、作戦が立たない以上二人の時間を割くだけ無駄というものだ。
「あまり、お二人だけで思いつめないでください」
最後に寂しそうに賢が言い残した。他の子供たちからもグループチャットに連絡が入っている。丈と空はゲームの交代を申し出てくれているが、光子郎と相談してからにすると伝えてある。
これだけ周囲の人間を巻き込んでいるくせに、とうの太一はルーズソックスのたわむ足首を交差させて、その上に両手をついてヤマトを覗き込んでいる。
「なあお前……、怖くないのか?」
『さあな』
ヤマトの気遣わしげな声に、返ってくるのは他人事のような言葉だ。
「タイムリミットになったらどうなると思う?」
『俺に考えさせるか、それ?』
太一が皮肉げに笑い、ヤマトは言葉に詰まった。
「悪い」
『まあ、気にするなよな』
当事者に慰められるとは、これでは立場が逆だ。情けなさに俯きながら、ヤマトは働きの鈍い脳をゆっくり回転させ始める。
タイムリミットには何が起こるのか? 
という問題に向かう前に、まずディアボロモンの目的はなにかと考える必要があるだろう。
選ばれし子供たちには敵が多い。それは彼らがデジタルワールドに深くかかわった人間だからだ。1999年にはアポカリモン以下ダークマスターズ、2002年は同じ人間である賢や及川たちによってデジタルワールドは支配されかけていた。太一以下選ばれし子供たちはそれらを倒すために召喚され、役目を全うした。もし今後デジタルワールドの征服をもくろむデジモンが居るとすれば、彼らにとって子供たちは天敵と言える。
では子供たちを倒し、デジタルワールドを支配するのが目的だろうか? 
と考えても、ディアボロモンは違う。
ディアボロモンはもともとネットで自然発生したウィルス型デジモンで、デジタルワールドの戦いとは無関係だ。もし将来デジタルワールドを侵略するつもりだとしても、それならば旧選ばれし子供の太一でなく、大輔あたりを標的にしなければ意味がない。
では2000年の戦いの復讐だろうか? 
しかしそれが目的なら、デジタル化した太一をさっさと消去しない理由がわからない。
ディアボロモンは捕えた太一を消去することなくわざわざ携帯に閉じ込めている。これによって何が引き起こされるかといえば、当然選ばれし子供たちの出動だろう。デジモンの絡んだ騒動で彼らが動かないわけがない。特に、他でもない八神太一が連れ去られたとなれば。
そうなると、太一を閉じ込めた理由は選ばれし子供たちをおびき寄せるためか。子供たちを一か所に集め、一網打尽にするのが狙いなのか?
それも考えにくい。なぜなら、ディアボロモンの直接の仇は太一、ヤマト、大輔、賢であり、この四人は先ほどの戦いの場にそろっている。ディアボロモンが復讐を狙っていたとすればまたとない機会だったが、それにしては被害が軽すぎる。
更に数を増やして、再戦を挑むのを待っているのか。それなら、ヤマトたちを倒していても同じことだ。
そこまで考えて、ヤマトは自分の浅はかさに舌をうった。
光子郎にディアボロモンとの戦闘を提案したはいいが、太一を人質にされるところにまで考えが及んでいなかった。もしディアボロモンの目的がヤマトたち四人の抹殺なら今回の作戦は相手の思うつぼだった。
考えてみれば、今までしなかっただけで相手は太一の身を盾にどんな要求もできるのだ。そう、太一を手に入れた時点でディアボロモンは子供たちに勝利している。それなのに期限を設けたうえで、ゲームに勝てば太一を返すという。
どういうことだ。遊んでいるのか?
『こいつ、ただ遊びたいだけだと思うんだよな』
ヤマトは太一の言葉を思い出し、低く唸った。実際そうなのかもしれない。明らかにディアボロモンは人間を相手にしたゲームを楽しんでいる。
ディアボロモンは遊び相手を探している。
では、太一をデジタル化したのは、永遠に自分の相手にするために、ネットの世界へ連れ去るのが目的だろうか? だとしたら、タイムリミットまで設けて太一を携帯に閉じ込めた理由はなんだ? ヤマトや光子郎たちを自分と戦わせるためか? そもそも、時間切れになったら何が起こるのか?
『ヤマト、そろそろ寝ろよ』
堂々巡りの末に黙り込んだヤマトへ、電子化された太一の声が届いた。
『もう遅いだろ?』
「いや、眠れない。そんなこと無理だ。時間がない。それに不安なんだよ、落ち着かないんだ」
『なあ、どうにかなるって。俺達はいつでもそうしてきたろ? そんな調子じゃ、今にお前の方がまいっちまう』
「ああ。どうにかなりそうだ。俺の頭がな』
『お前なあ』
「俺は怖いんだよ、太一」
冗談の通じない気配に、画面上の太一が押し黙る。
「情けない話だよな。怖くてたまらない。ああそうだよ、お前がいなくなったらと思うと怖いんだ!」
タイムリミット後に起こる最悪の結果を、ヤマトは考えないようにしていた。
11歳の時、あの夏の冒険で、ヤマトはもしタケルに何かあったらと眠れなくなるほどに考えた。考えれば考えるほど怖くてたまらなくなった。タケルが居なくなった世界は、想像するだけでヤマトの心をずたずたにした。そしてそれ以上に、ヤマトには恐れるものがあった。タケルが居なくなった後の自分自身だ。
もし、それが起こったら。そのときこそ、けして太くない自分の精神がぽっきり折れてしまうんじゃないか。
太一とはあの夏からの付き合いだ。互いに肩を並べてきた10年間は、太一を親友と言うことすら難しくしている。当てはまる言葉があるとするなら、ヤマトの精神の支柱というのがそれだろう。
ヤマトは指を組み、その上に額を付けた。
「なんでディアボロモンなんか飼ったりしたんだよ、大馬鹿やろう」
『……ヤマト』
小さいスマートフォンの画面の中で、太一は苦笑していた。
ふいに眠気が湧いて、ヤマトは目をこする。ゴーグルをつけた小学生姿の太一がちかちかと点滅している。瞳の安心を誘うゆっくりとした瞬き。画面の上、充電中を示す緑のランプも同じ動きをしていた。点き、消え、また点き、また消えて、繰り返し……
太一の声は、今はざらついた電子音ではなく、まるで肉声のように聞こえてくる。
『なあヤマト、俺はいなくなったりしてないだろ?』
「いまのところはな」
『大丈夫、お前のそばにいるよ』
ヤマトの視界は夕方の空が暮れていくように、じわじわと暗くなっていった。瞼が重くて持ち上がらない。まだそんなに遅い時間でもないはず、と腕時計を確かめようとしても、力を入れるそばから体が動かなくっていく。スマートフォンの液晶を離した手が、近くに置いておいたデジヴァイスに触れた。不思議な光を放っている。
ヤマトが眠りに引きずり込まれる前に、そこから何か聞こえたような気がした。
「俺はお前のそばにいるよ」



「ヤマトさん、ヤマトさん!」
突然叫び声が耳を貫いて、ヤマトは枕にうずめた顔を反射的にゆがめた。
「なんだ……、光子郎?」
「ヤマトさん、もう11時半です!」
それがなんだ、今は夏休みだろ。
と言いかけて、意味を理解して飛び起きた。
「なんで起こしてくれなかったんだよ!」
「ヤマトさんに言われる筋合いありませんよ!」
不満げに叫びつつも、光子郎はばつの悪そうな顔になる。
光子郎は昨日、太一の部屋でヤマトが寝ているのを見つけた。呑気さに呆れつつも、少し寝かせてやろうと気を利かせたまではいい。しかしその後スマートフォンを持ちかえってリビングで太一と話をするうちに、気付けば朝になっていた。
「僕もたった今起きたんです。こんなこと、一生の不覚だ」
光子郎は、今まで寝ていた割には目の端が赤かった。どんな話をしたんだ。そう考えて昨夜の自分を思い出し、ヤマトは赤面した。忘れたい。眠気にやられていたからといって、自分があんな泣きごとを口走るとは……
「ヤマトさん、しっかりしてください! あと15分なんですよ!」
「わかってる」
とはいえ、混乱しているのは事実だった。寝起きのせいもあり考えがまとまらない。
突然、隣の光子郎がわーっと叫び声をあげて頭をかきむしった。
「どうしてこんなことに、くそっ、太一さんがどこにいるかさえわかれば! そうしたら、そうしたら1分でデジタルワールドへ転送できるのに!」
ベッドの横、勉強机の上に置かれたデジタル時計の表示が変わる。あと14分。
「やっぱり太一の場所はわからないのか」
「ええ、どのサーバを探してもみつかりませんでした」
「他に作戦は?」
「いいえ、デジモン同士で再戦を挑むにも15分では」
「ゲームなんてやってられないしな」
あと13分。
「光子郎、タイムリミットが来たらどうなるかわかるか」
「最悪の場合太一さんが消去されるというくらいなら」
「そうだよな。……そうなんだよな」
「ヤマトさん交渉しましょう、寝てしまったからと」
ヤマトは耳を疑った。あの光子郎が真顔でそんなことを言うとは。
「馬鹿か。そんな相手じゃないだろ」
「じゃあどうするんです」
「今考えてる」
「ヤマトさん、どうしてそんな落ち着いていられるんです!」
頼れるはずの後輩の顔が紙のように白くなっている。自分だって似たような様子だろう。事態はこれ以上なく最悪で、解決策も見当たらない。
こんな状況で、それでもヤマトがパニックになりきれないのには理由がある。今になって彼の脳裏に、小さく、だが確かに引っかかるものがあった。
「なあ、太一はネット上のどのサーバにもいない……じゃあ、実際にはどこにいるんだ?」
10分前になって、太一のスマートフォンが呼び出し音を立てた。
ベッドの上ではデジヴァイスが光っていた。



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