こんな状況でもデジヴァイスから聞こえる電子音は軽やかだった。ダイヤル回線のプッシュ音のようなその音にかぶさって、太一の携帯が甲高いコール音を鳴らし始める。
ほぼ同時になりだした二つの端末を前に、少し迷ってから、ヤマトはデジヴァイスを自分のベルトにつけた。そして、シーツの上で震える薄い液晶画面を手にとる。
「ディアボロモン、要件はなんだよ!」
6インチの液晶が白く輝き、大きなゴシック体の文字が左から順に流れた。

『ら ー っ き ー ち ゃ ー ん す』

画面が切り替わり、小学生の姿の太一が現れた。横になって目を閉じている。
「太一さん!?」
その姿に光子郎が顔色を変えた。ヤマトの手元を覗きこみ、大声で呼びかける。
「太一さん、大丈夫ですか、太一さん!」
声に気付いたのか、太一の目が開いた。
『なんだ、もう朝か』
ふわと大きくあくびをして、体を起こす。二人に向かって半分しか開いていない目を向け、首をかしげた。
『どうしたんだよ、ふたりとも変な顔して』
「太一、お前……無事なんだな!」
『あったりめーだろ』
太一は立ち上がって、二人に向かってゴーグルの下の目をにっと細めた。
昨日と変わらない態度に、ヤマトの緊張が一気にとける。隣に立つ後輩の体からも力が抜けるのが分かった。
『おいおい、俺が寝てる間に何かあったのか? ヤマトが涙もろいのはいつものことだけど、光子郎、お前までさ』
そんな二人に肩をすくめて、太一は片眉を曲げて口を開く。小学生の姿のためかいつもより悪戯っぽいその顔が、さらに何かを言おうと口を開く。
『そういえば昨日の夜、お』
「……太一さん?」
言葉が途中で途切れ、二人は画面を覗きこんだ。
腰に両手を当ててこちらを覗きこんだ姿勢のまま、太一は半分口を開けて固まっていた。
「おい、なにふざけてるんだよ?」
声をかけても反応がなかった。録画してあった映像を一時停止したように、太一はぴくりとも動かない。
ヤマトは指でその頭を弾いてみる。何も起こらない。次に電源ボタンを押してみたが、画面は暗転することなく凍った太一を写している。
光子郎が横から手を伸ばして端末を奪った。無言のままボタンを連打する。操作を繰り返しているうちに、部屋の空気が冷たくなった気がした。
「太一さん、どうしたんですか……、太一さん、太一さん!」
「なんだよおい、一体!? 太一はどうしたんだよ、ディアボロモン!」
何度呼びかけても太一はぽかんと口を開けている。その姿が一瞬左右にぶれたように見え、二人ははっとして声を止めた。
なにか言いたげな表情で、こちらに向かって身を乗り出した姿のまま、ゆっくりと太一の姿は歪んでいった。わずかではあるが、左右へ引き伸ばされていく。
二人が眺めるうちに、太一は縮尺を間違えた印刷ミスのポスターのように横へ横へと広がって、数秒もすると原型がわからなくなっていた。限界まで引き伸ばされた茶色と青と黄色のかたまりが画面に収まりきらないほどになったとき、ぶちんとゴムが断ち切れるようにして、太一だったものは真ん中から二つに別れてしまった。
カメラがズームアウトする。二つの太一は、分裂した途端に縮んでもとの太一の姿になった。と思えば、今度はお互いが素早く分裂する。4人になる。
その4人が分裂し、8人の太一が生まれる。みるみるうちに、16人、32人、64人、128人、256人……
「なんだよ、これ……」
知らないうちに、ヤマトは自分の口を抑えていた。吐き気がする。
ブン、と低い音を立てて、太一の部屋のノートパソコンが起動した。ベッドの正面に置かれたテレビにも光が灯る。
画面に映されたのは、携帯と同じく、分裂する無数の太一だ。
部屋のドアから白い光が漏れる。嫌な想像が脳裏をかすめて、ヤマトはその戸を開いてリビングへ走った。駆け込んで、すぐに強い光に目を覆った。
居間の中央にある大きな薄型テレビが画面を点灯させている。テレビだけではなかった。壁に設置されたカメラ付きインターフォンの窓も、太一の父親が仕事に使っているデスクトップ型のパソコンも、すべてが稼働し、その画面に同じ映像を写していた。分裂を続ける無数の太一の映像を。
無機質な青白い光が、リビングの壁に、床に、カーペットに反射する。そこに映り込んだたくさんの人影が部屋全体を埋め尽くし、また分裂する。
何かがくずれたような物音に、ヤマトは背後を振り向いた。光子郎が怯えた表情で後退っていた。よろめいた体が壁に当たり、力なくずり落ちる。
手の中の端末から、笛を小刻みに吹いたような引き連れた笑い声が響いた。

『 … … ホ ン モ ノ ハ  ド ー コ ダ ?』

「2000年のときと、同じだ……」
光子郎が震える声でつぶやく。
「同じって……」
「ディアボロモンです、あのとき僕たちは、時計を持っている本物のディアボロモンを探さなくちゃならなかった。ネット上の空間で、分裂し続ける大量の偽物の中から……」
「それの再現だっていうのか」
太一の携帯の画面がカウントダウンを表示していた。残り、00:08:42。
ヤマトの声がかすれる。
「どうしたらいいんだ……」
2000年の事件では増え続けるディアボロモンをオメガモンの攻撃で一掃したが、今回はその手段は使えない。
床に腰をつけたまま、光子郎は指を握りしめている。宙を見据えるその視線の先で様々な案が浮かんでは消えていくのがヤマトには見えた。
50インチはある薄型テレビの中で、太一は既に分裂をやめている。広く真っ白な空間を、2000年のディアボロモン同様にランダムに動き回っていた。
ときどき、その中のいくつかが二人に話しかける。
『おれだよ』
『おれだ』
『おれが太一だ』
自分を指さして、おれだ、おれだよと口々に告げる。ヤマトの腕に鳥肌が立った。
「お前ら、ほとんど偽物のくせに!」
「ヤマトさん、テレビを壊さないでください!」
投げつけられた言葉にヤマトは振り返った。
「壊さねえよ! 光子郎、なんでそんなこと言うんだ」
「それは」
あまりの勢いに光子郎が怯む。ヤマトは後輩を睨みつけた。黒い目が動揺している。
自分の行為に舌打ちが漏れた。こんなことをしている場合じゃない!
だが、この状況で何をすればいいんだ? 
押し黙る二人の耳に、かすかな、それでも軽快な電子音が届いた。
気づいた光子郎がポケットを探る。取り出した拳から光が漏れていた。ホタルのように、長い間隔で点滅を繰り返している。
「デジヴァイス?」
ヤマトは自分のベルトを見下ろす。手のひらに移すと、白い端末から確かに電子音が聴こえていた。
「またか、何に反応してるんだ」
「そんなことより、早く本物の太一さんを探さないと」
光子郎は自分のデジヴァイスを確認してポケットに戻そうとする。ヤマトは、その姿に違和感を覚えた。
「……なあ、何かおかしくないか?」
「何が、ですか」
問い返され、自分でも何が言いたいかわからない。ただ……
「この状況で、デジヴァイスの反応を『そんなこと』で片付けていいんだったか?」
光子郎が怪訝そうにヤマトを見た。一瞬、その顔が小学生に戻ったように見える。光子郎の、焦ったような困り果てたような、こんな表情をどこかで見たことがあった。
あれは、そうだ、デジタルワールドでの砂漠の一戦のあと、太一が空間の歪みに吸い込まれて消えてしまったときだ。
思えばあのときも、突然太一はいなくなった。ようやくあの手強いエテモンを倒したと思った矢先だった。しばらく後に現実世界の東京に戻っていたと知ったが、当時は、死んでしまったかとさえ考えた。
その太一の失踪が元となって、デジタルワールドに残った子どもたちの団結は揺らいでしまった。誰ともなく単独行動を始め、気付いた時には全員がバラバラになっていた。
(そんなこと、思い出している場合か?)
ヤマトの心のどこかで焦った声がする。けれど、一度手繰り寄せた記憶は、たかが外れたように止まらなかった。
あの時、はぐれてしまった子どもたちはどうやって集まったんだ?
俺はどうやって皆を探しあてたんだろう……
ヤマトは周囲を見回す。
壁には二人を取り囲むように偽物の太一の影が映り込んでいた。
デジヴァイスの画面には白い点が浮かんでいる。

反応するデジヴァイス。
広いデジタルワールドで再開を果たした子どもたち。
沢山の太一の偽物。
偽物。太一の……

ヤマトの目が大きく見開かれ、それから、もう一度デジヴァイスを映した。

「……なあ、ディアボロモンはどうやって太一を誘拐したんだ?」
「えっ?」
唐突にヤマトに問いかけられて、光子郎は虚をつかれた声を出した。
かまわずにヤマトは畳み掛ける。
「電子化された太一の膨大なデータは一体どこに保存されているんだ? ディアボロモンは何で太一をすぐに消去しないんだ? 昨日から、デジヴァイスは何に反応してるんだ?」
「ヤマトさん、どうしたんですか?」
「昨日から考えてたのに、答えが出てなかったと思って」
光子郎が青ざめる。
「あの、本当にどうしたんですか? 今はそんなこと考えてる余裕はないでしょう!」
「いや、今だから言うんだよ」
自然と声が大きくなった。呼応したように太一の携帯が振動する。
『アト五分』
「ヤマトさん、もう時間が……」
「そんなものに惑わされるな」
黒い目が信じられないといった様子でヤマトを見上げた。これは真剣におかしくなったと思われてるな、とヤマトは思う。
「光子郎、そもそもの謎は『どうやってディアボロモンは太一を誘拐したのか』なんだよ。デジタルゲートなしに、携帯の低速回線で!」
「それは、そうでしたけど……」
「お前だってそんなことは出来ないんだろ? だったらなんでディアボロモンが出来るって思うんだ」
「それは、デジモンですし、それに実際、ここに太一さんがいるんですよ?」
「そう、その思い込みが、俺たちの失敗なんだよ」
「……何を言ってるのかわかりませんよ!」
「今まさに、ディアボロモンの野郎が自分からヒントを見せてるだろ」
二人の会話を邪魔するように、テレビから、パソコンから、聞こえる声が一斉に大きさを増した。無数の太一が一斉にまくし立てる。
『おれだ』
『ここにいる』
『助けてくれ』
ヤマトはその姿を睨みつけた。
「最初から、何かおかしいって思ってたんだよ。太一が携帯の中に閉じ込められて、元に戻して欲しければゲームをしろだって? 前提から不自然なことだらけだ」
それから、もう一度後輩に視線を移す。
「光子郎、昨日からデジヴァイスが反応しているのは何でだと思う」
「デジヴァイスが反応するのは……進化の時、紋章が近くにある時、はぐれた仲間が近くにいる時、でした。だ、だけど、それがなんだって言うんですか!?」
声が裏返っている。すでに半分泣きそうな顔だ。
「それなら、今この状況で、デジヴァイスが反応してるのはどのパターンかわかるか?」
光子郎はデジヴァイスと白い画面を見比べ、それからヤマトに顔を向ける。
「どのパターンって……」
「俺達のパートナーは近くにいない、もちろん紋章が有るわけでもない」
「はぐれた仲間がって、でも、誰が」
「誰って、一人しか居ないだろ」
怯えたような目が、はっと弾かれたように見開かれた。視線を落とし、光り続けるデジヴァイスを見つめる。
ヤマトも自分の手のひらに乗った自分のデジヴァイスを見た。
手の中の端末は昨日と同じように、淡く、ゆっくりと点滅している。
「……それなら、昨日から僕たちに話しかけてたあの太一さんは?」
「だから、騙されてたんだ。思えば、なんでディアボロモンのいうことを簡単に信じたんだって話だ」
「じゃあ、昨日の朝から、最初から……」
「そう、俺たちは最初から、デジヴァイスを信じるべきだったんだよ」
ヤマトは後輩の目を見つめて断言する。光子郎もその言葉に頷きかけたその時、耳障りな電子音がするどく響き渡った。
『アト三分!』
落ち着きを取り戻しかけていた光子郎の表情が崩れた。
「光子郎?」
「でも、でもヤマトさん、もしも間違ってたら……何もかもが誤解だったら、もう時間がないんですよ。その場合太一さんが……」
「いい加減にしろ!」
ヤマトの声に、後輩の体はびくりと跳ねた。
「なあ光子郎、お前の仲間は太一だけか? 目の前の俺を信じろよ!」
光子郎の視線がもう一度ヤマトに向けられる。ヤマトはそれにまっすぐ見返した。黒い目がディスプレイの太一と、ヤマトを交互に見る。無数の太一はいつの間にか一人になって、立ちすくむ光子郎へ微笑んでいた。ゆっくり、手袋をつけた右手を差し出す。
『光子郎、助けてくれ』
青白い光に照らされた横顔が泣きそうに緩んだが、それは一瞬だった。
光子郎は自分のデジヴァイスを取り出し、強く握りしめた。


二人が歩き出すと、デジヴァイスの白い輝きは強くなった。その光を頼りに居間を抜ける。
ディアボロモンが操るスマートフォンは狂ったように太一の声を喚き散らしていた。強い振動に滑り落ちないよう、光子郎が両手でしっかりと抱えている。
居間の奥にはキッチンがあった。大きなテーブルと椅子、フローリングの床、壁に備え付けられた広いシンクとガスコンロ。
手にしたデジヴァイスは強い光を発し続けている。
不安げに部屋を見回す光子郎に、心配ない、とヤマトが返した。
「太一の母さんから聞いたことがある、この部屋には地下収納があるんだ。それも大きめのな」
流し台の手前の床には、銀色の金具で区切られた二畳ほどの空間があった。デジヴァイスを近づけると光が増す。
その扉に手をかけた瞬間、電子レンジが唸りを上げた。火花を散らすオレンジ色の窓の横でIC制御のガスコンロの火が燃え上がる。電話機が勝手につながり、太一の声がスピーカーで拡大された。
『オレはここだ』
『コッチがおれだ』
『オレをタスケテ』
「うるさい」
その全てをヤマトの声が黙らせた。
「今まで、俺達をよくも騙してくれたな!」
光子郎が握っていた携帯を床に置いた。二人で金具に指をかけて床下収納庫の扉を引き上げる。
長方形にくぼんだ地下倉庫の中には、狭そうに体を丸めた大学生の太一がいた。その腰に眩しく光るデジヴァイスがある。
床の上のスマートフォンがひときわ大きなピーブ音を鳴らす。液晶が真っ暗になり、白い「G」の文字が浮かんだ。そしてすぐに短い一文が表示された。

「GAME OVER」

太一が息をしているのを確認したヤマトは、その画面に向かって拳を叩きつけた。
二人をさんざんあざ笑った液晶にヒビが入り、太一の携帯は沈黙した。


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