太一の携帯を別室に追いやってから、ヤマトと光子郎の間には苦い沈黙が下りた。光子郎の前に広げられたラップトップだけが、静かなファンノイズを響かせていた。
「裏目に出ましたね。見事に」
光子郎が呟くと、ヤマトの肩がかすかに揺れた。金髪を伏せたヤマトは、腕を組み、リビングのテーブルを前にしてさっきからずっとこの体勢だ。
あれから、何度ヤマトがリベンジを挑んでもディアボロモンはスペードのロイヤルストレートフラッシュを出した。光子郎の知り合いが作ったトリックアプリは完全に乗っ取られ、次第にヤマトの手は凡役しか回らないようになっていった。
しかし本当に最悪だったのは、この一件から他のアプリでも同様の現象が起こるようになったことだ。
「インフェルモンは、待っていたのかもしれません。僕たちがいかさまを始めるのを」
麻雀やトランプなど、最初に配られる手からしてヤマトたちには勝ち目がなくなった。いや、運の要素があるゲームはまだ良い。将棋のアプリを開いた二人は目を疑った。相手の歩兵はすべて金駒にすり替わっている。
二人の驚く顔を前に、インフェルモンは、やはりあの見透かすような目でにたにたと笑っていた。
「ゲーム自体でインフェルモンを倒す手段は他にも考えていました。たとえば将棋の名人クラスの人間を時間単位で雇い、インフェルモンと試合をしてもらったり、いまだ学会でも解かれていない数式を時間制限を与えて解かせたり。しかし、それももう……」
ヤマトが厳しい表情で金髪をかき回す。それからはっとしたように顔を上げた。
「光子郎、サーバの特定は? インフェルモンと太一がいる場所は、もうわかったんじゃないか?」
「あれは……」
光子郎はパソコンの液晶越しによわよわしい目を向けた。
「すみません、あれはフェイクだったんです」
「なんだって!?」
「おとり、というかニセ情報を与えて敵の注意散漫を図ったんです。太一さんの携帯を出しっぱなしにしたのもその一環でした。わざと聞かせて注意をそらそうとして……実際はもうすべて終わっていたんです」
いつになく深く肩を落とす光子郎を、ヤマトは信じられない思いで見た。
「知り合いすべてに声をかけて米中の大手サーバ五社をハックしたんですが、太一さんらしきデータ群は見つかりませんでした。こうなると、もうデジタルワールドのどこかにあるか、でなければ分割されて世界中のサーバに散らばって保管されているか」
「おい!」
ヤマトは立ち上がり、手を伸ばして光子郎の肩をつかんだ。パソコン周りの計器がガシャンと跳ねる。
「お前、ふざけるなよ! 俺はお前を信じて、あのデジモンのゲームにつきあったんだぞ! それがこんなっ」
椅子に押し付けられた光子郎は、ヤマトの視線から目を伏せた。
「タイムリミットまであと何時間だと思ってるんだよ! 無意味に時間を浪費して、これで太一が帰ってこれなかったらどうするんだ!」
「だったらヤマトさんは何か出来たっていうんですか」
ヤマトは目を見開く。視線を下にむけたまま、光子郎が低い声を出していた。
「僕がいなかったら、何か有益な時間の使い方ができたんですか? 僕は出来る限りのことはやったんです。ヤマトさんに責められるいわれはありませんよ」
「こっの……!」
こぶしを固めかけたヤマトの腰のあたりで、軽い電子音が響いた。
とっさに音源を見る。デジヴァイスだった。さっきのポーカーの試合からずっと、ベルトに差し込んだままにしてあったのだ。
ヤマトは睨むまなざしで光子郎とデジヴァイスを見比べ、結局光子郎の肩から手を外す。ベルトから淡い光を放つ端末をとりあげると、それは生き物が呼吸するようにゆっくり点滅していた。
「なんだ……?」
その間に光子郎は椅子を抜けだし、リビングの隅にあるナップザックを漁っている。光子郎自身が家から持ってきたものだ。その中から、自分のデジヴァイスを探し出すと、それはやっぱりかすかな光を浮かべている。
痛む肩を押さえながら、光子郎はテーブルを振り向いた。ヤマトがまだ苛立った顔で見返してくる。その手の中の端末と見比べると、光子郎のもののほうが光が弱い気がした。
「ヤマトさん、これを」
デジヴァイスを見つめたまま立ち上がって、ヤマトのほうへ向かった光子郎は、その場で立ち止った。
「なんだよ」
手を挙げて、光子郎は制止する。それからデジヴァイスに視線を向けつつ方向転換をした。まるでレーダーのように白い機械を見つめて、リビングを歩きまわる。
「おい、何して」
「場所によって、光の強弱があるみたいなんです」
言いながらヤマトの隣を通り過ぎる。その手の中のデジヴァイスは、たしかに輝きを弱めたり強めたりしている。
ヤマトはこれまでの怒りを忘れて自分の掌を見た。目の前にかざし、その場から動いてみる。
リビングのテーブルから離れ、太一たちの部屋とは反対方向に動いてみると光は増した。
「こっちみたいですね」
光子郎がリビングの奥を指さす。そこには先ほどヤマトが料理をしたシンクとコンロがあるばかりで、行き止まりだ。
「どうしたんだ? いきなり光るなんて」
「さあ。もしかしたら、なにかのこの周辺にデジモンに関わったものがあるのかもしれません」
光子郎は興味深そうにシンクやコンロに近寄り、キッチンの壁にはめ込まれた窓をがらりと開けた。
「でなければ、インフェルモンがデータ送信に使っている電波の発信源がこっちの方向で、それに反応したんでしょうか?」
「……そうかもな」
深いため息をついて、ヤマトはぽつりと言葉をこぼす。金髪をかき回すと、光子郎に声を放る。
「光子郎」
「はい」
「悪かったな。さっきの」
「僕こそ」
光子郎は窓を閉め、振り返った。
「カッとなって、すみませんでした。実際、僕が役に立てているわけではないですしね。八つ当たりをしてるのはお互い様ですよ」
黒い目が苦笑する。ヤマトはそれに同じような笑みを返した。
「タイムリミットは明日の11時ごろでしたよね。あと、14時間か」
「光子郎、俺はやっぱり、デジモン同士の戦いが一番有効だと思う」
ヤマトの緊迫した声に光子郎は眉を寄せた。
「それだと、さっき言ったとおり太一さんの居場所が分からないままインフェルモンを倒すことになりますよ」
「いや、思いついたんだ、光子郎。それもゲームにしてしまえばいいんじゃないか」
言いながら、ヤマトは手のひらにあるデジヴァイスを視界に入れる。
「いままでの傾向からすれば、あいつにとって勝ち負けがあるものはなんでもゲームにできる。オメガモンやインペリアルドラモンと戦うことも、たぶんあいつにとってはゲームなんだよ」
「具体的にはどうするんですか?」
「負けたら太一を開放するということを約束させて戦う。負けた後の展開は同じなんだからな、断る理由もないだろう」
「デジモン同士の戦いでは、負けたデジモンは最悪消滅します。他のゲームとはそこが違いますよ。承諾するでしょうか」
「出来ると思う。とりあえず、やるだけの価値はある。違うか?」
光子郎は少し考え込み、それから顔を上げた。
「わかりました。やりましょう」
「光子郎!」
「ゲンナイさんには連絡を取ってありますので、ガブモンたちをおくってくれるよう頼んでみます。ヤマトさんは大輔君たちに連絡をお願いできますか」
「よし!」
ヤマトは携帯を取り出した。




太一の部屋に入ると、不気味な振動が響いていた。いままでの「アソボ!」ではなく、まるで誰かから電話がかかっているような、連続的なバイブレーションがつづいている。
「太一」
ヤマトが携帯を持ち上げると、画面がひとりでに点灯した。その待ち受けにいるのは白と赤のインフェルモンではない。
全身を黒に近い青に染めたディアボロモンが浮かんでいた。
「おい、ディアボロモン」
『……アソブ?』
今までの甲高い叫びではなく、地の底から響くような声だ。まるで変声器を通した男のようで、発音がだいぶ人間のものに近くなっている。
「今はお前はいい。太一をだせ」
『ヤマト?』
画面が横に流れるように切り替わり、小学生の姿の太一が顔を出した。
「太一、大丈夫か? お前、ずっとこの中にいるけど、疲れたりしてないか?」
『んー』
太一は困ったような顔をした。
『疲れてはないぜ。からだ自体あるかわからないしな。精神的なことを言えば、かなり飽きてきてるけど、そこまでじゃない。でも、そろそろお前のオムライス食いたいかな』
ヤマトは太一の携帯を持つ手に力を込めた。
「悪いな。待たせちまって」
『いや、巻き込んだのは俺だし。お前が気にすることなんてないぜ』
強気な声を出す端末から顔をあげて、ヤマトは背後を振り返る。ノートパソコンを抱えた光子郎が部屋に入ってきていた。
ベッドに計器を広げる。
「……回路は正常です。適当なURLも確保できました。電波状態良好、接続に問題ありません。いいですか、ヤマトさん」
「ああ」
すぐに配線をつなぎ直した光子郎は、自分のデジヴァイスを画面にかざした。
「デジタルゲートオープン」


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