「お、にいちゃんが」
震える声で電話をかけてきたのはヒカリだった。ヤマトにことの重大性を伝えるには、その一言だけで十分だった。
すぐさま自転車を飛ばしてきたヤマトを、ヒカリは電話越しと同じ不安げな声と表情で迎えた。
「ヒカリちゃん、太一は」
「お兄ちゃんは……」
いいかけた途中、被りを振って、ヒカリは何かを差しだした。ヤマトの手の上に乗せる。あの、スマートフォンだった。
「見てください」
「でも、これ太一の」
『見ろって』
どこからか聞きなれた声が届く。ヤマトは、ヒカリの背後に首をつっこんだ。
「太一? どこにいるんだよ」
「あの、」
ふたたび携帯を差しだすヒカリに、首をかしげる。
「ヒカリちゃん。今太一の声しなかったか? あいつ、かくれてるのかな」
「だから、あの」
「それに俺連絡なら自分の携帯があるから」
『いいからつべこべ言わずに、見ろっての!』
声がずいぶん近くから聴こえたような気がして、ヤマトは思わず目の前のスマートフォンに視線をやった。ヒカリがずいと顔に寄せる。
「よくみてください」
ヤマトは、ようやくその画面を真正面から見た。
「た、太一か……?」
『他の誰に見えるってんだよ』
広い画面の中で口を尖らせる、それは小学生のときの太一だった。額のゴーグル。青いシャツの下に同系色の長袖を合わせている。肩にはおなじみの黄色い星。
上部に並ぶ正方形のアプリアイコンの下で、すねたようにあぐらを組んでいた。
ヤマトはめまいを起こした。世界が回転して、脳がくらくらとする。
「お前……お前……どうやって……」
『気付いたら、ここにいたんだよ』
画面の中の太一が頬を膨らませた。その足元ではあのルーズソックスもしっかり再現されている。
「なんで、その格好なんだよ」
『それも知らない』
「デジタルワールドへのゲートが開いたのか?」
『だったらこんなとこにいない』
「わかった、実はお前偽物なんじゃないか。そうだきっと罠だこれは」
『石田ヤマト。大学二年生。得意な料理は鯖の煮付け。親父さんと二人暮らし。一番大切なものはタケル』
「タケルは関係ないだろ!」
『ほら、訂正しないんだよな』
ブラコン野郎、と画面越しにいつもの悪態をとばす太一を見て、ヒカリがようやく声を出す。
「朝起きたら、お兄ちゃんが部屋にいなくて、携帯だけあったんです。でも、声が聞こえてくるから変だと思って」
「昨日の晩まで、何かおかしいことはなかったんだな」
「うん、普通でした。そうだよね、お兄ちゃん」
そう言って、画面を覗きこむ。
『ああ、デジヴァイスが反応したり、ヒカリが何か感じることもなかった。俺も何も。朝起きたらここでさ。それからずっと、何してもこのまんま』
「じゃあお前、出てこれないのか?」
『だから困ってる。出て来れるなら、とっくにやってるさ』
太一の声は、携帯電話のスピーカー越しのようにざらついている。
「……おにいちゃん、大丈夫? どこか痛い所ない?」
『ああ』
「お兄ちゃん、本当に?」
『見ての通りだ。ちょっと居場所と姿は変わったけど、俺は元気だぜ』
ヒカリは一瞬口をつぐんだ。すぐに、にこりと笑顔に変える。
「そうよね。お兄ちゃんのことだもん。大丈夫だよね」
『ああ』
「じゃあ、私、行くね」
リビングを後にしようとするヒカリ。残されるヤマトは慌てた。
「ヒカリちゃん、行くってどこに」
『ヒカリは部活の合宿があるんだよ』
能天気に告げる太一を端末ごとテーブルに置いて、ヤマトはヒカリの後を追った。すぐに見つけた背中は、玄関の前、うなじを見せて立ち止まっている。
「おにいちゃん、大丈夫ですよね」
部活のエナメルバッグを掴む手が震えていた。声をかけようとして、立ち止まる。
「私、今回の合宿、どうしても行かないといけないんです。キャプテンで、いないと練習の指揮ができないから。両親は旅行に行ってます。これから数日、もともとお兄ちゃん一人だけが家に残るはずだったんです」
声がかすれていた。頼りない背中にヤマトが手を伸ばす直前、ヒカリは振りかえる。そして大きく頭を下げた。
「ヤマトさん、お兄ちゃんを助けてください。ここに居てください。お願いです」
「ヒカリちゃん」
顔をあげたヒカリは、ブラウンの瞳を悲しそうに揺らす。
「お兄ちゃん、あんなこと言ってても、不安だと思うから……」
ふたたび頭を下げようとするのを押しとどめ、ヤマトはヒカリをマンションの入り口まで送った。ここからバスに乗る、というヒカリから、合いカギをわたされる。
「お父さんとお母さんは、三日後まで帰って来ないですよ。私の力が必要だったら、いつでも連絡してください。大丈夫だと思うけど」
そう言って笑顔を見せたヒカリは、すでにいつも通りのように見えた。実際は他の誰よりも太一を案じているはずなのに。
マンションの廊下、ヤマトは無言で自分の携帯を開く。連絡先は決まっていた。



五分もしないうちに、八神家の玄関が慌ただしく開かれた。
「どうして早く言ってくれなかったんです!」
オレンジのシャツを翻して駆けこんできた光子郎は、迷わずリビングに直行した。テーブルへ小脇に抱えていたノートパソコンを投げ出す。コンセントからそのまま引きちぎってきたらしく、小型の外付けメモリやUSBハブをくっつけていた。はた目からは普通のマックブックにしか見えないが、よく見ればロゴはリンゴではなくオレンジだ。
諸々のコードを繋ぎ終えた光子郎は一息ついて、テーブルの上の端末に怒鳴りつける。
「太一さん!」
『ああ聴こえてるって』
すさまじい剣幕に、画面の中の太一が耳をふさいだ。
「いつもいつも、どうして何も僕に相談しないんですか! 大体、パソコンもいじれない太一さんにスマホは早いってあれほど」
『だっておまえ、うるせーんだもん』
「太一さん!」
「おい、光子郎」
「ヤマトさん、お久しぶりです」
太一の携帯にUSB用のケーブルを刺しこみ、もう片方をパソコンに繋ぎながら、光子郎は背中ごしに挨拶をとばした。この後輩の慇懃無礼ぶりはわかっているので、ヤマトは気にせずに画面を覗き込む。
「なにするつもりだ」
「一応解析です」
「わかるのか?」
「僕はAndroidは得意じゃありませんが、友人に専門家がいますから。あとデジモンアナライザーにもかけてみます」
あまり詳しくない、と言いながらも光子郎はコマンドの流れる液晶をじっと見つめる。
「ヤマトさん、状況の説明をもう一度してくれませんか?」
『俺の方が詳しいぜ』
「黙っててくださいよ太一さんは」
ヤマトは事の次第を話した。液晶を睨んでいた光子郎は、大きく頷く。
「大体わかりました。太一さんは、画面から出れないなんですか?」
「この通りな」
ヤマトが携帯を持ち上げる。その画面に向かって、何度も体当たりをする太一がいた。透明な壁があるようにはじかれている。
「画面の向こうがデジタルワールドに直結しているわけでもないんですね」
「ああ。太一、そっちはどんな場所なんだ?」
『真っ白な空間に、大きな窓みたいなものが宙に浮いてるな。で、窓から家の様子が見えてるって感じ』
太一は首をかしげながら、うろうろと画面を歩きまわっている。
『広さはよくわかんねぇ。壁みたいなものは見当たらないんだけどさ、ずっとこの窓がついてくるんだよな』
「いつ、どうやって来たのか、何か覚えてるか?」
『なあんにも』
「十中八九、太一さんの携帯にいたクラモンの仕業ですね」
言って、キーボードを操る。
「クラモンが受け答えをしていたのはおそらくsiriの亜種を利用したんでしょう。Androidではまだ日本語対応版が出ていないはずなんですが」
「は?」
「siriですよ」
「……尻?」
光子郎は呆れた顔になった。
「iOS向け秘書機能アプリケーションソフトウェアですよ。今時女子高生だって知ってるのに」
「悪かったな、アナログで!」
いいから説明してくれ、とくい下がると、光子郎は自分のスマートフォンで瞬く間に何かのページを検索して開いた。
「解析が終わるまでこれでも見ていてください」
言われるままヤマトは画面上の文章に目を通す。siri。概要としてはスマートフォン向けの秘書ロボットだ。太一がクラモンにしていたように、曖昧な指示でも人工知能が意味を組み取ってスケジュールを立てたりメールを送信したりしてくれるらしい。
「だけどあいつの場合、勝手に太一の会話を聞きとってたらしいぞ」
「デジモン、それもウィルス型のディアボロモンですから。元のアプリを書き換えて機能性を高めることなど朝飯前でしょう。それに太一さんの携帯だとこれらの動作はオーバースペックなはずなので、なんらかの方法で端末の基盤を変形させているかもしれません」
「基盤まで……って、そんなこと、できるのかよ!?」
「ちょっと、耳元で叫ばないでください」
お互いに睨みあいかけたその時、テーブルの上の太一の携帯が鳴った。
「なんだよ、一体」
持ち上げてみると、液晶の中に太一の姿はない。代わりにクラゲのデジモンが飛び跳ねていた。その姿にモザイクが掛かる。
端末に見入るヤマトの隣、光子郎もパソコンから顔を上げた。
輪郭を曖昧にしたクラモンの姿は、モザイクの向こうで姿を変えていた。灰色の体色は白と赤に、丸い体型は六つの足と長い首を持つ体へ、次第に書きかえられていく。
その見覚えのある姿に、ヤマトは息をのんだ。
「インフェルモン……!」
モザイクが晴れたあとには、白い蜘蛛のようなフォルムのデジモンがいた。ぺたぺたと画面上を歩きまわり、爬虫類じみた緑色の目をこちらにむける。
「いきなり二段階進化なんて」
呆然と呟く光子郎の横、ヤマトは端末をひっつかんだ。
「お前、どうやって太一をそこに閉じ込めた? 戻すにはどうしたらいいんだよ!」
インフェルモンはヤマトの問いに答えない。ニタニタ笑っている。
『アソブ?』
「このっ」
「ヤマトさん、落ち着いてください」
『アソブ、タイチとアソブ?』
「ふざけるな!」
『アソバナイ?』
きょろきょろ、と目を回転させ、インフェルモンは言った。
『アソボ』
インフェルモンの背景が、ホームの待ち受け画面から変わる。
中央に大きく、“SOLITAIRE”の文字。トランプが列になった画像。
「なんだ?」
「ソリティアの、ゲームアプリのようです」
それを皮切りに次々とアプリケーションが開かれる。囲碁、将棋、大富豪、ポーカー、7並べ、麻雀、テトリス、インベーダー。その異様な量と早さに二人は凍りつき、画面を見つめた。
『アソボ』
無感情だった黄緑色の目が、歪んだ三日月の形になる。
『賞品 ハ タイチ ダヨ』

|

back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -