新しいペットを飼っている、と告げた太一の口調は、まるで秘密基地の場所を教える子供みたいだった。

突然空きが出来た講義の時間を持て余して二人はカフェテリアにいた。長細いスプーンで、ねじれた白い山のようなチョコレートパフェをつついていた太一が、そうだ、と顔を上げる。
「お前にだけな。教えるから」
と言って取り出すスマートフォンは、大学生になった太一が二年ほど前に購入したものだ。ヤマトは、その薄い液晶に光子郎の顔を連想する。当時受験生だった光子郎は、太一の質問に迷惑そうにしながらも丁寧に使い方を教えていた。
バイトの初任給で手に入れた携帯は、いまだに液晶カバーもつけていなかった。それを覗き込んで操作していた太一が、おもむろに顔を上げる。
「ほらよ」
端末を受け取って、それを視界にいれたヤマトは眉をひそめた。
画面の中央、何かがボールのように飛び跳ねている。よく見ると、それは紫がかった灰色の体で、大きな赤い一つ目がくっついている。コロモンの耳に似たふたつの突起を弾ませて、楽しげに跳ねる輪郭はデフォルメされたクラゲのような――
「……!?」
思わず、手に持った端末を落としそうになった。太一が慌ててヤマトの手を押さえる。
「おっま、あっぶねーな!」
忘れるわけない。
確かに、見たことのある形だ。ファーストコンタクトは2000年の春休み。電車を逆行させ信号を滅茶苦茶にし、挙げ句の果てには核ミサイルを発射。次の2003年では、ヤマトと太一を探し回り、お台場の海にあふれるように増殖した。記憶の限り最強で最悪のウィルス型デジモン。
「太一、おまえ、そいつ」
まともに言葉の出ないヤマトの前で、太一は画面に向かって話しかけている。
「おいクラモン。ヤマトだよ、ヤマト」
『ヤマト?』
合成音が返ってきて、ヤマトはさらにぎょっとする。クラゲの形をした敵に向かって、太一はにこにこと笑みさえ浮かべながら言葉を続けた。
「覚えてるだろ。ガブモンのパートナーで、2000年にお前を倒した俺の親友だよ」
『ヤマト。……イシダ・ヤマト!』
思いだしたのか、クラモンはうれしそうに狭い画面の中を跳ねまわった。
「……なあ、太一」
「なんだよ?」
「こいつ、ディアボロモンの幼年期だよな」
「それ以外に見えるか?」
「おまえなあ!」
鋭い声を出すヤマトに、太一はいたずらが成功した子供のような表情になる。どこか得意げなその顔に、ヤマトは一喝してやろうと口を開いて、場所が校内の喫茶店ということを思い出す。
「おまえ、なあ……」
周囲の視線を受け、口をつぐんで難しいヤマトの顔に、太一が笑う。遠慮なくけらけらと笑いながら、通りがかったウェイトレスに空になったパフェを下げてもらい、新しくアイスコーヒーを頼んだ。
「……いつからだ?」
咳払いとともに椅子に座り直し、ヤマトは聞いた。
「買ってすぐ。知らないうちにインストールされてたんだよな。一応初期化も試したんだけど、全然」
「光子郎には?」
「言ってねえ」
「危険だろ!」
「大丈夫だって。いろいろ便利なんだぞこいつ」
太一はふたたびポケットから携帯を取り出す。電源ボタンを押して光をともすと、液晶の中では変わらずクラゲのデフォルメ体が飛びまわっていた。画面の端にあたってはピンボールのようにランダムに跳ね返るという動作を繰り返してる。
「クラモン、明日俺一限の講義やすむな」
太一の一言に、目まぐるしく描かれていた軌道が途切れる。跳ねるのをやめたクラゲは、画面の中央で大きな一つ目をぱちぱちと瞬かせた。
『メザマシ、ズラス?』
「そうしてくれ」
『リョウカイ』
言い終えた太一は画面を暗くして、ヤマトに向き直ると「な?」と目をやった。
「ちゃんとひと講義ぶん、一時間半ずらしてくれるんだぜ。他にもさ、友達とどっかメシいこっかーって話してると、勝手に近くの店検索してくれてたりすんの」
「勝手に、って」
ヤマトの脳裏に、最近放送していたバラエティ番組の映像が浮かんだ。スマートフォンの危険性をテーマにしていたその番組では、勝手に通話を傍受したり、盗撮や盗聴をしたりする悪質なアプリを紹介していた。
「お前それ、盗聴とか、されてるんじゃないのか」
「だろうけど、まあいーじゃん。他人にされてるわけじゃないしな」
「まあいいって……」
「相手は画面の中なんだぜ?」
明るく言う太一の手の中で端末が震えた。着信だろうかと思っていると、どうやら違うらしい。
「何やってんだ」
「ああ。ほら、この時間帯っていつもなら講義終わるだろ、だから」
『アソボ、アソボ』
うれしそうに一つ目を細め、くるくると回転するクラモンを指さして、太一は苦笑した。
「な? こいつ、ただ遊びたいだけだと思うんだよな。あの、2000年の春休みのことも、こいつにしたらかまってほしくてやっただけなのかもしれない」
「それで大勢が迷惑を被ったのにか?」
「まあ、そうだけど。やっぱ一緒に生活してると、こいつも可愛く見えてくるし……」
「お前、2003年の時には、おねしょの写真ばらまかれてたくせに」
「あ、そういうこというかよ! ヤマトはいいよな。空との写真でよ」
「うらやましいか」
「ばーっか」
太一は笑い混じりに言い、液晶に視線を向ける。
「ま、俺が相手をしてる間はおかしな真似はしないだろ」
液晶をのぞきこむ太一の横顔は柔らかい。
「……だけど、念のため、そいつのこと光子郎に言えよ、太一」
「必要ねえよ」
さっきまでの優しさとは違って、きつく咎めるような表情だった。
「そんなことしたら、絶対消されるだろ」
口ごもるヤマトの肩が、困惑を見透かすように叩かれる。
「心配症だな。ヤマトが考えてるようなことにはならないからさ」
「だといいけどな」
太一がそう言うのなら、ヤマトは信じるしかなかった。そもそも、他人の携帯の問題だ。あまり口を出すのはお門違いかもしれない。
あと数分で次の授業がはじまる。二人はそろって椅子を引き、伝票を持ってレジに向かった。別々にした会計の、ヤマトが自分の分を支払う間、太一は何度か携帯の画面を撫でていた。飼い猫に向けるような顔で話しかけてもいる。
ひどくいれこんでいるように見えるのは、生来動物好きなやつだからだろう。元は危険なデジモンだが、役に立つようだし、野放しにしているより太一が監視しているほうがかえっていいかもしれない。
小銭を財布に収めたヤマトは、太一とともに教室に向かった。そして次の講義のノートを開く間には、太一の携帯の中で飛び跳ねていたクラモンのことなどは、思考の隅に追いやってしまっていた。


そして、ヤマトは自分の認識の甘さを思い知らされることになる。それも一週間も経たないうちに。



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