が、発令所をさっそうと後にするのを、マリは視界の端で眺めた。白衣の隣には赤いジャケットが居る。煽るだけ煽って別れたせいか、両肩が高々と吊りあがっていた。針金を曲げて遊んだハンガーみたい。そう思った。
エヴァのケージにはマリしかいない。肩までLCLに付けた機体の前、橋のように渡された通路にプラグスーツ姿の少女が立っている。腕を組む彼女の視線の先に、大きく窓をとった管制室があった。ベージュとカーキの制服が肩を寄せ合うそこには、監視のためか発令所のカメラの映像が流れている。
マリは上方へと首をめぐらした。巨大な顔。見間違えようもなく赤い。
「また会ったね、2号機」
あれほど荒っぽく操縦したというのに、2号機は奇跡的な復活を遂げていた。押し出されていた制御棒は元の位置に戻り、カラーリングすら新しく塗りなおされている。ただ、一番損傷の酷かった顔の右半分は包帯で覆われていた。その状態で半分笑っているような表情のエヴァは、むき出しになった緑の目でマリを見下ろす。
うすら寒い思いで腕を抱いたマリの肩に、気安く手のひらが乗せられた。
「よお、お疲れさん」
「ミスター加持」
肩越しに冷たい視線を向けるマリに、加持はこっけいにおどけてみせる。
「なんだなんだ、数週間ぶりの感動の再会だってのに。もうすこし温かく出迎えてもいいんじゃないか」
「私の五号機を自爆させて、ちゃっかり一人だけ脱出してた人にいわれたくないよ。ミスター加持、薄情者って日本語知ってる?」
「大人のお兄さんって意味だな」
軽口をたたく無精ひげ面を睨んで、マリは2号機へと渡された通路へ進んだ。肩にとび乗って、軽い身のこなしでエントリープラグの搭乗口までたどり着く。肩に足をかけて振りかえるマリを、加持はまぶしそうに見上げた。
「2号機の起動実験、成功を願ってるよ」
「どうかな。散々無理させたからね。嫌われてるかも」
「ま、もし失敗しても落ち込むな。じきにユーロからコア換装不要の7号機が来る」
「7号機……」
マリは眼鏡の端に手をやった。
ユーロ式のエヴァにはあまりいい思い出がない。
「つらいか」
見下ろすと、加持が先ほどまでの表情を消していた。
「つらいならやめたっていい。無理してエヴァに乗る必要は、お前にはないんだ」
「無理? あたしが?」
「いいや。ただお前はもっと外からの刺激をうけるべきだ」
青いシャツの胸から煙草を出す。ラッキーストライク。ライターの火へと首を曲げた拍子に、目元に影ができる。
「幸せになるにはエヴァに乗る以外にも道はある。そう、誰かが言ってたっけな」
「なに言ってるんだか」
マリは目を眇めた。
「私は私のために生きてる。いつだってそうだし、これからもそのままだよ。だから自分のためにエヴァに乗る」
これで通算して三代目になる、赤いフレームの眼鏡を指で押し上げる。
「あとここ、禁煙」
加持は、指にはさんだ紙巻きごとゆらゆらと手を振った。それに横目で笑ってからプラグにすべりこむ。
2号機のカメラを起動させたときにはその姿が煙のように消えていても、マリは驚かなかった。



真っ暗な空間に加持は立っている。その周りを黒い板状の物体が取り囲んでいた。淀んだ共同墓地に付きたてられる安い墓石のように、同じつくりのものがずらりと円を描く。
墓石の表面には赤い蛇とリンゴがぼんやりと浮かぶ。中央にはZEELEの文字。そしてその下には神への祝詞。
「いかんな、これは」
その赤い文字から男の声が響いた。
「早すぎる」
「左様。初号機が使徒本体と融合を果たすとは、予定外だよ」
「まして疑似サードインパクトの勃発を許すとはな」
「もし接触が起これば、すべての計画が水泡と化したところだ」
「委員会への報告は誤報、初号機の暴走の事実はありません」
加持はいつものシニカルな笑みを崩さずに告げた。今度は ネルフの深緑の制服姿で、煙草はきちんと内ポケットにしまってある。
辺りには深海の底のような重低音が響いている。360°から取り巻く声に、汗を流してうろたえることは許されていない。
「では、第11使徒侵入の事実はない、と言うのだな」
「はい」
「気をつけてしゃべり給え。この席での偽証は死に値するよ」
「MAGIのレコーダーを調べてくださっても結構です。その事実は記録されていません」
「笑わせるな。見ろ、国連になにもかも徴収されているこのありさまを」
「タイムスケジュールは裏死海文書の記述通りに進んでいます」
「まあいい」
加持が平然と返すと、その向かいのモノリスが不快気に声を発した。
「今回のことは碇の罪と責任だ。だが、君が新たなシナリオを作る必要はない」
「エヴァンゲリオン2号機の状態はどうかね」
「安定しています。そのパイロットよりもよほど」
「同7号機の到着、および実践登用は目前」
「エヴァシリーズの完成は近い。試作品の役割はもはや終わりつつある」
「抜けたナンバーである8号機の行方が気になるが」
「アジアが隠していることは確かです。どこかで手に入れたリリスの細胞と共に」
「そこに碇が向かったとも考えられる」
「碇、冬月両者の居場所はいまだ不明か」
「ネブカドネザルの鍵も」
「双方、鋭意捜索中です。残り2体の使徒を倒すまでには見つけられるかと」
「最後の露払いだ。慎重に行え」
「心してかかりますよ。……すべてはゼーレのシナリオ通りに」
灯りがともると、加持の周りには一面グリーンのスクリーンだけが残される。
そして彼の目の前には、一人の少年が立っていた。
「こんにちは」
にっこりと笑う。黒い礼服に銀の髪が揺れ、加持のポーカーフェイスは初めて崩れた。
思わず一歩二歩、後ずさり、その合間に声を出す。
「ゼーレのパイロットか……」
少年の笑みは増したようだった。赤い目が愉快げに半月型をしている。人間離れして色の白い綾波レイよりも、彼の肌はさらに青ざめていた。そこに傷跡のようにくっきり開く大きな唇が、今は両頬につりあげられている。
「直接会うのは初めてでしたね。加持リョウジさん」
「お目見えできて光栄です、キール議長の御曹司様」
加持はうやうやしく一礼する。そのまま、笑みを貼りつけてその傍らを過ぎようとした。
「老人方はあなたにご立腹だ。昔の女に情報を流していると」
それも一言で止められる。
「何が言いたい?」
「とてもつらい気持ちですね。好きな人に会えなくなるというのは」
振り返った加持の視線を、少年は涼しい顔で受け止めた。さらに痛ましそうに、哀れむような表情さえする。
「わかりますよ」
ゼーレの連中とつきあっていると頭がおかしくなりそうだ。
加持は思い出の中に逃げ場所を求めた。最近の記憶で一番よかったもの。あの沖縄飲み屋、また行こう。また、行きたい。
葛城。葛城。
「目的はなんだ」
「何も。ただ、あなたが彼女にしていたことを教えてください」
「教える?」
「ええ、その意味、その理由、その手順――」
加持は冷水につけられたようにぞっとした。
目の前の顔では大きな口が弧を描いている。そのカーブの完璧さときたら、忌々しいほど。
「彼女に対する裏切りと感じても、それは非難されるべきことではありませんよ。僕がエヴァパイロットであるまえに何であるかを、あなたは知っている。その上の行動なのですから」
「クソったれ」
吐き捨てる加持を、少年はまた哀れむような目で見る。
「僕は多くのことを学ばなければならないんです。彼に会う前に」
いつの間にか、グリーンの部屋には新しい立体映像が投影されている。散りばめられた星団と、銀河の群。

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