は地下の空気の中で浮いていた。ピンクというのはミサトもお気に入りの色ではあったが、こうも派手だと一人だけお目出度い格好をしているように思える。
じっさい頭の中身もお目出度い出来なんでしょうよ。
ミサトが心の中で愚痴ると、それはマリに空気で伝わったようだった。おそらく日本人ではない碧色の目が見張られる。
「作戦部長さん、大丈夫?」
「なにがかしら」
「なんだか疲れてるよ、すごく」
おそらく十歳以上も下の小娘に心配されるのはミサトのプライドに障った。そしてその親切さを不快に思う自分にも腹が立つ。余裕がなかった。精神にも状況にも。
引きつりかけた表情を無理やり緩める。引きつりかけた表情を俯くことで隠して、ミサトは出来るだけ優しい声を作った。
「ねえ、真希波さん」
「なに?」
「心配してくれてありがとう。少し不安なのよ。こんな状況になってしまって。でも、あなたが来てくれてよかった」
「……」
実を言えばとても信頼に足りる相手ではなかった。ネルフ本部への侵入や2号機の独断専行は勿論、彼女の正式な所属はあのユーロと来ている。その息が掛かったパイロットなど本部に送り込まれたスパイ以外の何物でもない。
ただし、だからといって文句も言っていられない状況だ。ミサトは拳を固めて、それから開いた。
「私たちには、あなたしかいないの」
今は。という言葉を押し込める。
「頼りにしてるわ。本部の守備、お願いね」
精一杯のミサトの歩み寄りに、思ってきたような反応は返って来なかった。
「そうやって、他の子にも優しくしてきたつもり? 私は騙されないよ。使徒への復讐に燃える素敵な作戦部長さん」
「な……」
言葉を無くすミサトに、マリが切れ長の瞳を笑みの形にする。
「ごめんね。あなたのことはリョウジから聞いてるんだ。とっても詳しく」
「加持君……?」
「そうそう。あ、彼ってわりと寝相いいほうだよね」
「ちょっと……それって」
ミサトの言葉は自動ドアの排気音に遮られた。開いた扉をマリがくぐり、ミサトは数秒立ち止まった後、その背中をきつく睨んで進む。間を置いて戦略自衛隊の一団がそれに続いた。
第二発令所は喧騒の嵐だった。耳に飛び込むのはエラーを示すビープコール、怒号と牽制、そして銃器の物騒な擦過音。ひとりひとりがこれ見よがしにライフルを抱えた戦時の職員は、残らずネルフ職員にぴたりと張り付いていた。監視の中作業を行うペールオレンジの制服は技術部がその多くを占める。周囲の暴力的な雰囲気にのまれつつも、彼らはエリートらしく侮蔑を含んだ視線を忘れない。高学歴と叩きあげ。ネルフと戦自。お互いの間に横たわる決定的な不和が第二発令所の苛立った空気に現れていた。
マリはひょいひょいと身軽に人の群を抜ける。それをほうったまま、ゆっくりと辺りを見回しながら進むミサトの耳に電子音とタイピング音を縫って鋭い声が届いた。
「もう少し待ってちょうだい」
リツコだった。白衣にタイトスカート、組みあげた黒いストッキング。そんな格好の美女がメインモニターに腰かけ、書類を片手に目の前の軍服姿を見上げている。
「この作業の期限が明朝だなんて、正気? このままじゃ無理だわ。時間と人員の調達を願います。第一ここじゃスペックが足りないからMAGIの物理的軽量化に時間が」
技術部の中でもとびきりの才媛の舌鋒に手も足も出ないのだろう、OD色のベレー帽をかぶった男のこめかみが確かにひきつっていて、ミサトは心の中で唸った。わお。まるで映画の中の悪女じゃないの。
「先輩、あの」
ショートカットを揺らしたマヤがすまなそうな顔でリツコのスピーチを遮った。
「マヤ。またなの」
「すみません。起動シークエンスの配列がうまくいかなくて」
「貸してみなさい」
言うな否やリツコの指が目にもとまらぬ速さでキーボードを走る。
「さすが先輩」
すぐに効きわけのよくなった画面にマヤはうっとりとため息をこぼした。
「――忙しそうね」
「遅刻だわ、葛城一佐。二時間と四十五分よ」
声をかければ視線のナイフが飛ぶ。目の前にストップウォッチでもあるかのようにつらつら述べ、多忙の技術部長はいらいらと眼鏡を外した。更に切れ味のよくなった眼差しがめざとくミサトの背後を捉える。
「あの子ね。第10使徒戦での操縦手は」
ミサトが首をめぐらせれば、髪の束を揺らした影がケージへと向かうところだった。あのプラグスーツ姿で移送用の簡易エレベータに搭乗し、鉄のフェンス越しにこちらに向かってにっこり手を振る。
「そうね。加持君の知り合いみたいよ。どーりでいい性格してるわ」
「そう。あなたとどちらが上かしら」
冷笑的に金髪をかきあげ、腰を上げるリツコをマヤが不安げに見上げた。それに構わずコンソールから立ち去ろうとする白衣の裾を追ってカーキの制服が声をあげる。
「赤木博士、どちらへ」
リツコは心から億劫そうにため息をついた。
「あなた女性にもてないわね。お手洗いよ」
「本部制圧下での単独行動は」
「じゃーあたしも。単独じゃないなら良いんでしょお?」
有無を言わせないタイミングでミサトが割り込み、その場がしんと静まり返った。いつのまにかネルフも戦自もメインモニターの一幕に視線を注いでいる。
「そういう意味ではありません」
「へーえ、トイレまで拘束するっての? そのうち風呂にまで付いてくるんじゃない?」
「大浴場ののれんを混浴に変えなきゃいけないわね。予算請求、かさむわよ」
「もしそうなったら司令の説得はリツコやってよ」
「バカね。そもそも決裁が下りないわ」
冗談なのか本気なのか、肩をならべて発令所を闊歩する彼女らを、その場の誰もが止められなかった。







“葛城、俺だ。多分この話を聞いている時は、君に多大な迷惑をかけた後だと思う。すまない。リッちゃんにもすまないと謝っておいてくれ。
あと、迷惑ついでに俺の育てていたスイカがある。今となってはあの畑も丸焦げだ。処分を頼む。場所はシンジ君が知ってる。彼は強い少年だ。あのくらいのことじゃどうってことないさ。だから物事を悲観するのはやめろ。現実をみるんだ。君にならできる。

……葛城、真実は君とともにある。迷わず進んでくれ。もし、もう一度会える事があったら、8年前に言えなかった言葉を言うよ。じゃ”


「なに、これ」
赤く灯る再生ボタンに指をかけ、ミサトは呆然とした。風呂上がりのタンクトップ姿で、髪をひとつにまとめている。
「あのばか、何考えてるのよ。なんなのよ、いきなりこんなの」
半笑いの口元が歪んだ。俯いたまま、歯を食いしばる。
「これじゃまるで――」
ぎぎっと変な音がして、手元を見るとビール缶を荒々しく握りしめていた。一瞬それを壁に叩きつけてやろうかと思い、事実そうしかけたミサトは手を止めた。
正しくは、キッチンに現れた幻に止められたのだ。
『ミサトさん、飲みすぎは体によくないですよ』
眉をよせたその姿が一瞬で消える。ミサトは怒りが覚めて行くのを感じ、それと同時に彼の存在を幻視するほどに求めている自分に愕然とした。
リツコの頬をはたいたのは八つあたりだ。状況がよくわからないと同じ説明を何度も聞き返し、結局一番気になっている事は聞けなかった。

あの子たちは死んだの? 
やっぱり、やっぱり死んだの? 私たちのせいで。
いいえ私。私が、あの子に進めと言ったんだわ。それがどういうことか知りもしないで。

可哀想な自分に酔っていてもどうにもならないということを、ミサトは知りすぎている。だから自己憐憫にひたることも出来ず、汚く敷いた布団の上で、やはりあの子は本当に男の子のくせにエプロンが似合う子だ、とうつろに幻をなぞることが精一杯だ。10年以上前の失語症が再発したかのようにミサトは布団にこもった。時折飼い主の容体を見にきたペンギンが布団をつついたが、ミサトはひらひらと手を振るだけだ。賢い彼に餌をやる必要はない。きっと一日に一食も摂らない自分の方が不健康なくらいだ。
そうした時間に埋もれるような生活の中で、ミサトは考える。
リツコは彼が世界を滅ぼしかけたと言った。しかしシンジが戦わなかったにしろ結果は余り変わらなかっただろう。本部は壊滅し、サードインパクトが起こる。その原因を付きつめたとして、それはたまごが先か鶏が先かと首をひねるのと同じことだ。どちらにせよあそこで人類は滅ぶ運命だった。でも滅ばなかった。
このままネルフ本部を他の組織に明け渡せば必ず初号機には処断が下る。それが物理的な破壊であれ情報的な解体であれ、二人のパイロットをプラグ内に残したまま行われるのは間違いなかった。リツコは初号機が封印されていると言った。誰にも手を触れられずにそこにあると。
つまりまだチャンスがあるってことなのよ。
布団にうずくまる日々から何日か経って、ミサトの目が次第に開く。





「発令所にはユーロネルフが押し掛けてきているわ」
結局発令所を出ても戦自の制服が二人の後についていた。それでもさすがに女子トイレの中まで入ってくるのは気が引けるのだろう。
ミサトとリツコは、並んで鏡の前に立つ。隣のリツコが白衣のポケットからコンパクトを取り出した。なんでも出てくる白衣だ。ミサトは以前にうすっぺらなそこからコルト・ガバメントが出てきたのを覚えている。たしかあれは第六使徒戦に向けての会議中だった。リツコの手のひらから煙が吹いたかと思うと、ちょっぴりおちゃめな無駄口を叩いていたロン毛オペレーターの髪が一房消えたのだ。
「使徒殲滅への対処を盾に政府と交渉中よ。戦自と現地指揮権を争っているようね」
「国連に本部運用を委任されたからって調子こいてるわね」
「戦自も厄介だけれど、同じネルフにこうも軽んじられているのは辛いわね。もっともあちら側としてはもう本部に居を移したも同然で、既に次期運用見込みの新型エヴァを発送したそうよ」
「7号機か」
「あら、ご存知?」
ミサトはほっとする。相も変わらずリツコは憎らしいほど冷静だった。平常そのままの返答、皮肉の混じった相槌に、思わず笑みを浮かべて鏡ごしの旧友を眺める。視線を向けられた先のリツコは件のポケットから脂取り紙を差しだしていた。
「いる?」
「いいわよ。それより、量産型。話は聞いていたわ。」
「ええ。今までのエヴァとは違い、コアの独自性を無くした汎用的な機体だそうよ」
「でも肝心のパイロットがいないわよ」
「それがダミーか、第二の少女を運用しろとのことで通達があったらしいわ」
「第二って、アスカのこと!?」
「他にいるわけでもなし……」
それきりリツコが化粧に専念し始めたのを見て、ミサトは手持無沙汰になる。何をするともなく自分の顔をぼんやり眺めた。ぼんやり、というのは、とても直視したいくない状態だからに決まっている。
まるで何年も年を取ったみたい。化粧ははげ、髪もまとまらない。肌はくすんで荒れていた。目の周りは特に黒ずんでパンダになっている。
酷い顔だ。しかし二日も独房に入れられたにしては元気のある方だ、と思い込む。
拘束されたのはミサトやリツコだけではない。あのとき本部に居たネルフ職員の全員が、だ。いまもその殆んどが空になったシェルターに集められていると聞いた。一時的にも解放を認められたのはミサトのような幹部と技術部員が一部。
そして一月ぶりに部屋に返ったミサトを迎えたのが、あの留守番電話だった。
ミサトは、目の下の隈をなぞる。
どう考えたって、今の自分の心境は最悪だった。何もかもがミサトを不安にさせ、精神にゆさぶりをかける。あのマリという少女の存在も、行きかう戦自のOD色も、重体のアスカを、それも彼女の出身のユーロが使うという通達も、そしてあの不吉な録音も。
ミサトは乱暴に手を洗った。隣でコンパクトや口紅やチークやその他もろもろをポケットに詰めたリツコが呟く。
「相当落ち込んでるみたいね」
「誰が?」
「あなたよ」
「当たり前のこと聞かないで」
思わず棘が出るミサトに構わず、リツコは最後に自分の髪を梳いた櫛をしまった。
「職員はネルフ本部ごと罷免され、さらに懲罰対象。肝心の司令や副司令はとんずらこいて、初号機はレイとシンジ君ごと封印……この状況で落ち込まないほうがヘンだわ」
「呆れた」
「なんですって」
「呆れた、と言ったのよ。葛城ミサトとあろうものが、本当に何もしないでこのネルフ本部を国連にひきわたすつもり?」
「どういうことよ」
「バカね」
リツコは言って、はた目からは全く膨らんでいない白衣のポケットをさぐる。ちょっと眉をひそめて布の中身をかき回していたかと思うと、ああ、これこれ、と呟いて、引き抜いた右手をミサトの目の前にかざした。
ミサトは最初、それがなんなのかよくわからなかった。小指の爪ほどの大きさの、黒いジグソーパズルのような形。律子が指を振るがえすと、右はじに金色のスリットがいくつも縦に並んでいる。また表に戻る。白い印字。micro-SD。その下に記載されたバイト数は2015年の限界値。いえ、ちょっと待って、バイト数? 
ぼやけていたピントが合うようにして、ミサトはたちまちに目の前のものが何か悟った。リツコの人差し指と親指の間につままれているのは、直径一センチほどのメモリ端末だった。
「私があんな簡単な作業に時間かけるわけないでしょ。本部の指揮系統は全部この中」
「……あんた」
ミサトはあっけにとられて旧友の顔を見つめた。リツコはしっかり見つめ返した。使徒を前にした時のような、青く、幽鬼のようにぎらぎらした光が、ミサトの中に静かにともっていくのを見届けていた。
ジャー、と水を流す音がする。個室から出てきたネルフの女性職員が、見つめあう二人を前にハッと口に手を当てた。

|

back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -