もう完結する見込みが無いので書きかけの内容をアップしておきます(2016.7.31)


渚カヲルの銀色の髪

が川辺の空気の中で揺れていた。降るような星空だった。
「あれが」

「天球は音楽を奏でている」
「え?」
いきなり隣から聴こえた声に、シンジは体をよじってその主を見る。川の土は少し湿っていて、制服の下に敷いていた草がシャツに緑の線を引いた。
シンジと同じように土手の上で寝転んでいたカヲルは、両腕を枕にした体制のまま、じっと濃紺の空をみつめている。
「古い数学者の言葉だよ。ピタゴラスは知っているかい?」
「うん」
シンジは頷きながら、間近にあるカヲルの横顔をそっと眺める。白を通り越して青いほどの肌。
「数はそれが万物の本性を定め、世界は全てその調和と秩序で成り立っている。天体の比、星の回転、月の満ち欠け、そういった宇宙の調和を音階へと転換させた」


「よく、わからない」
「彼は夜空の星から、今僕らが使っている七つの音階を作ったのさ。シンジ君、これがどういう意味かわかるかい?」
「意味って?」
「僕らはとても似ているということだよ」
カヲルが笑うと、長い睫毛が緻密に合わさる。
貫かれたようにシンジの胸が痛んだ。苦しい、けれど、幸福だ。
「シンジ君。僕は歌が好きだ。君は?」
「僕は……」
「僕らはお互いに好きなんだ」
「僕は似てないよ、カヲル君のほうがもっと」
「それは君の思い込みだ。いつだって君が全ての要、全ての鍵なのに」


「好きなんだ、星とか、宇宙とか。見てるだけで嫌なことが忘れられる」
でも、嫌なことってなんだっけ。
「好きだけど、でも、少し怖い」
嫌なこと。たくさんあった。たとえばあの×××に乗ること。
×××に乗って、××と戦わなければいけない。怖いんだ。あれに乗ると。
「遠くて、限りなく広くて、真っ暗だ。僕の存在なんてちっぽけなんだって思う」
「シンジ君」
カヲルが身を起こして、シンジを覗きこんでいた。銀の髪が風に揺れる。
「ピタゴラスはこうも言っている。『知によって人間は神的になる』、と。全てのヒトは神になる素養がある。特に君は」
「なにを……」
「人間は孤独だね。ひとりきりで浮かぶ天体のように。けれど星と違って触れあうことは出来る。君が寂しいと思うなら、僕はそれを取り除きたい」
「さっきから、君の話はよくわからないよ、カヲル君」
「ほら」
カヲルが体をかがめた。シンジの頬に影が落ちる。声を上げる間も与えられず、隆起のない胸が隙間なく合わさった。
「僕らはこんなにも同じだ」
「あ……」
「好きだよシンジ君」
なによりも心臓の音が正直に応えた。どうして体が熱くなるんだろう。シンジは自分の変化が不思議だった。息がつまる。痛いほどだ。わからない、どうしてこんなにも胸が――
「どんなときも僕だけは君の味方でいよう」
目の表面に水の膜が浮かび、シンジの視界をゆらめかせる。涙がこぼれないよう目を閉じれば、聴こえるのは二つの鼓動だけになった。




赤い夕陽

に、シンジは目を細めた。ほら、また、夕暮れ時の電車だ。大きなガラス窓の外で、線路のレールがオレンジ色の光を跳ね返して流れていく。
何度も乗った電車だった。いつも夕暮れのオレンジ色。シンジは車両に一人きり、正面の窓を見据えている。
「これ、いつのまに無くしていたんだろう」
手の中には音楽プレイヤーがあった。くすんだ黒のデザインがさえない、今では誰も使っていない旧式。
「大切にしていたのに。大切なものだったのに。何かなくすきっかけがあったはずなのに」
「でも忘れたんだろう?」
向かいの座席、ぼんやりした人影が現れた。シンジと同じ制服で座っている。逆光で、顔は見えない。
「なら大したことではないんだよ」
「僕はいつもこれを身に着けていた。これをつけてると父さんがぼくを嫌な世界から守ってくれると思ってた」
手の中の機械を見る。
「でも今は、いらなくなった、必要なくなったんだ。こんなものがなくても、みんな僕に優しくしてくれる。父さんも母さんも、僕を見てくれる」
シンジは表情を歪める。
「でも、何かが違う」
「違う?」
夕陽を遮って黒い影が現れた。少年がシンジの前で吊皮を握っている。
「何が違う? 此処こそが君の世界だ」
シンジは目を落とす。自分の膝と、同じ制服の二本の足。
「ここにはたくさんの人がいる。君に優しくしてくれる」
「そう、ここはとても楽しい。……でも」
警笛が鳴り、窓の外を電車が横切った。金属的な遮断機の音が耳に迫り、窓の外には赤いランプが歪んだ尾を残す。
「僕の居るべき場所とは違う。何か、やらなきゃいけないことがある気がするんだ」
「君が無理をしてでもやらなければいけないことなどないよ」
赤い目が笑う。
「あそこは君にとって嫌な世界だ」
「嫌な世界?」
「そう、嫌いな父親の居る世界。怖い使徒やエヴァの居る世界。辛い事をやらされる世界。ダミーがあれば父親が君を要らない世界。君の友達も傷付く世界」
「そう。嫌な世界。でもいいこともあったんだ」
「それも結局は壊れてしまったね」
「………」
「嫌な世界さ」
俯くシンジ。身をかがめ、カヲルはその耳元でささやく。
「誰も君を助けてくれない。辛いことから逃れることも出来ない。そんな世界はなくなってもいいと、そう思わないかい」
「なくなる……世界が?」
「ここに居よう、シンジ君。いつまでも僕と一緒に」
手を取られる。やさしい触れかただった。シンジは頷きかけて、彼の肩越しに人影を見つける。つり革を持ってこちらを見る、ショートカットの髪型の少女。

『そうしてまた、つらいことから逃げ出すのね』




目が覚めた。シンジは天井の模様を確かめる暇もなく体を跳ね起こした。
心臓が早鐘を打っている。白いシーツを掴む自分の手を眺め、それから勢いよくベッドから飛び出した。
「シンちゃん、朝ご飯出来てるわよ?」
「いらない」
学生服に着替えるやいなや玄関に向かう背中を、ユイは不思議そうに眺める。
シンジは通学路を早足で歩いた。表情はしかめつらで、スニーカーが交互にアスファルトを踏みしめる。
夢を見ていた。何度も見た夢だ。でもそのたびに違う夢だ。
手のひらを開閉させる。その中に、今はもうないS-DAT。
何か大切なことがあったはずなんだ。
何か大切なことがあって、ここにきたはずなんだ。
『そうしてまた、つらいことから逃げ出すのね』
あの女の子は。
シンジは立ち止まる。顔を上げて、辺りを眺める。
いつもの通学路だ。犬を連れた主婦。ジョギングをするおじさん。シンジの脇をベルを鳴らした自転車が通り過ぎる。

「あやなみ……」
ぽつりと漏らした瞬間、全ての景色が吹き飛んだ。青い空も緑の田園も絵の具で描かれたような平面に変わり、それを映し出していたスクリーンがちぎれ飛ぶ。そして現れた真っ白な空間には、シンジと様々なポーズを取るマネキンが残された。
「綾波を助けたんだ、僕は。初号機に乗って、使徒と戦って」

「」

「どこに居るんだよ、カヲル君!」


カヲルは鍵盤に走る手を止めた。つま先を乗せていたペダルが跳ね上がる。
「どうして気付いてしまうのかな、君は」



シンジが歩を踏み入れた瞬間から、全ての空間が白く変わっていった。グラウンドも、体育館も教室も、全て。
音楽室はすでになくなっていた。真っ白な場所に、ピアノと一植えの木だけがある。
たどりついたシンジは、黒いグランドピアノの傍らに立つ友人を見据える。銀の髪を揺らした彼は、微笑みをたたえたまま立っていた。
「やあ、シンジ君」
「」
その白い顔に向かってシンジは吐き捨てた。
「こんなこと?」
「僕をだましたじゃないか」
「だましてなんかいないさ。ただ君の求めたものを与えただけ」
「君は僕を裏切ったんだ!」
力の限り叫ぶシンジに、カヲルは目を細める。両手はポケットに入れたまま。
「カヲル君は僕の気持ちをもてあそんだんだ、こんな世界までつくって!」
「細心の注意を払っていたのだけれどね」
カヲルは、ピアノの隣にある木へ視線を向ける。

緑の葉がさんざめいて揺れた。鉢植えほどの背丈がみるみるうちに伸び、青葉を茂らせ、赤い果実を実らせ、葉を散らした。入り混じる四季。
「どうして気付いたんだい?」
「だって、おかしいじゃないか……」
語尾が滲んだ。力なくうなだれ、握っていた拳を開く。
「おかしいんだ、ここは。母さんは死んだんだ。十年以上も前に。それに父さんは、父さんはあんな顔で僕を見たりしない」
「でも、うれしかっただろう?」
。カヲルはいつもの笑みを消している。
「お父さんに笑ってもらえて、お母さんの料理を食べて、うれしかっただろう?」
静かに白いスニーカーが動く。

「世界は人間の認識によって成り立っている。君が望めば、ここもまた君にとっての現実になる。世界など些細な問題だ。君の思いにくらべればね。君の幸福こそが僕にとって優先されるべき事象なんだよ」
そっと手を取られた。シンジの肩が跳ねる。
「いつか全ての人間がここを訪れる。今は虚構かもしれない。けれど全て現実になる。ヒトの望む、ヒトにとって優しい世界になるんだ。シンジ君、僕は君に、ここに居て欲しい」
壊れものを扱うような所作だった。白い両手が自分の右手を包むこむのを、シンジは落とした目で見る。少し背の高い影が、惜しげもなくそのまっすぐな膝を折る。
「お願いだ。シンジ君」

数秒して、シンジは噛みしめていた唇をほどいた。
「」
「」
「楽しかったよ……とても。本当に、夢みたいに。父さんも母さんもいて、誰も苦しんだり、怪我なんてしなかった。幸せだった。幸せな場所だった。ずっとここに居たいと思う」
シンジが顔を上げる。黒い目から涙がこぼれた。
「でも、行かないとならないんだ」
「シンジ君」
「カヲル君」
涙をぬぐい、正面からカヲルに向かう。いつも気弱げな初号機パイロットが胸を張る。
「僕も、君が好きだ」
カヲルは目を見開く。それに笑って、シンジはつないでいた手を離した。二、三歩後ずさる。そしてついに背を向けて走り出した。はじめはふらついた頼りのない足取りが、段々と力強くなる。地を蹴り、腕を振って、シャツの裾を風に膨らませる。
「まったく、君は」
緑に輝く木漏れ日を浴びながら、カヲルはくやしそうに微笑んだ。

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