がふんわり落ちてきたバレーボールの軌道をゆがめる。直線に飛ぶ白い軌跡は一瞬で相手コートの床に跳ねかえった。わっと歓声がわき、それにこたえてガッツポーズをする級友にシンジはほれぼれと拍手をする。
「鈴原君、すごいや」
「トウジでええ言うたやん」
振り向いた色黒の顔は得意げにそう言うと、長い腕を伸ばしてがっしりとシンジの首に絡めた。
「センセ、ブロックおおきにな! あそこで返せんかったら危なかったわー」
「たいしたことしてないって」
「それは一回も球に触れなかった僕への嫌みか?」
ずしっと背中に体重がかかる。
「碇、運動できるなんて聞いてないぞ! お前は体育撲滅委員会の一員じゃなかったのかぁ!?」
「ケンスケ、重いよっ」
「この裏切者! スパイめ!」
シンジは笑いにむせかえりながらチョークスリーパーをしかけるケンスケの腕を必死にタップする。トウジの腕の上からやられているので、結構つらい。のしかかる重みが増すごとに最近のことがぐるぐると頭の中を回り、走馬灯ってこういうのかな、と悠長に思う。
昨日の夜、シンジは転校してきてから何枚目かのカレンダーをめくった。春が終わり、夏が来て、秋が来る。めまぐるしく過ぎていく季節の合間にシンジは気の合う友人ができた。トウジは腕っ節が強くて優しいし、ケンスケは皮肉屋だけど頭がいい。二人に挟まれて毎日がさわがしく過ぎていく。この前の席替えでは隅っこの席からも脱出できた。あのさびしい風貌の机は依然として窓際の定位置にあったもの、いつしかシンジはその存在を意識から締め出していた。
「碇ー、なんか先生が呼んでるけど」
名前を呼ばれ、我に返ったシンジはぐいぐいと締める腕から抜けだした。酸欠の真っ赤な顔でクラスメイトに駆け寄る。
「どこ?」
「あっち」
「おい、碇、僕の話はまだ終わってないぞ!」
振り返るとケンスケを羽交い絞めにしたトウジが疲れた顔で手を振る。それに笑いながら両手を合わせて、シンジは体育館の出口に向かって駆けだした。


「おう、碇」
息を弾ませて外に抜けると、迎えた体育顧問はやけににやけた表情をしていた。シンジの顔を見るとさらににっこり笑う。
「親御さんが見に来てるぞ」
シンジは一瞬言葉の意味がわからなかった。そして理解してから、頭に昇っていた血が一気に冷えた。
「なんで……」
「わざわざ仕事を切り上げてきてくれたみたいだぞ? いい親御さんだなあ、ははは」
なんでこんなににやにやしているんだ。シンジは思わず体育教師を不審の目で見るが、それにも気付かずうきうきした足取りで体育館を後にする。その背中を追おうとしたシンジのつま先がもつれた。親がきてる? いま? なんで?
前を見ないままふらふらと歩くシンジは、数歩もしないところで人にぶつかった。
「す、すみません」
「あら、シンジ」
「……母さん!」
絶望的な気分で、シンジは目の前の母親をみつめた。
「シンちゃん、どう? いじめられたりしてない?」
「してないよ!」
「そうかしら。あなたちょっと押しに弱いところがあるでしょう。心配で」
柔らかな手が頭に乗る。あわてて振り払うと、シンジの母親は「まあっ」と声を上げ、すこし嬉しそうに笑んだ。
「やっぱり男の子ねえ」
「もう、いいからさ、早く帰ってよ。こんなとこ皆に見られたら笑い話のネタになるって」
顔を赤くして言いかけたシンジの隣に、すっと影が差す。見るとさっきの体育教師が立っていた。心持ち引き締めた顔で、何故か服を背広に着替えている。
「碇、せっかく来てくれたのにその言い草はないだろ。お母様、ごゆっくりなさってください」
「ご丁寧にありがとうございます。どうでしょう、うちの子は大丈夫そうかしら」
「まったく問題ありませんよ。それにしてもお母様、お若くていらっしゃいますね。はじめは碇君のお姉さんかと」
「まあ、お上手」
「ユイ」
突然二人の間に割り込んだ声に、体育教師がぎょっとして後ずさった。赤いサングラスに白衣というどう見ても怪しい風貌の男に、ユイは驚いた顔で話しかけた。
「あなた、車の中で待って下さいっていったのに」
「暑かったから出ただけだ」
むっすりと告げる。シンジは頭を抱えそうになった。
「父さんまで……」
「いいでしょう。二人揃ってお休みもらったのよ。いまさっきご飯食べてきたところなの。先生、お引き止めてしまってごめんなさいね」
「え、あ、はい」
「あらお父さん、汗びっしょりだわ」
にっこり笑って教師を追いやった母親は、不機嫌そうな夫の汗を見てハンカチを取り出した。白い布が頬や額に当てらる間、シンジの父は身動き一つしない。気の済んだ母親がハンカチを畳みなおすころにようやく声を出した。
「シンジ」
呼ばれたシンジはぎくりとする。顔を上げれば、父親の視線はまっすぐに自分へと注がれていた。背の高い影。赤いサングラス越しの、シンジとよく似た形の目。
「何、父さん」
「……なんでもない」
シンジの両肩から力が抜けた。
「なんだよ、それ!」
「だめよシンちゃんお父さんをいじめちゃ。お父さんはね、とっても恥ずかしがりやなのよ。ねー?」
「……ユイ」
シンジと同世代の女の子がやれば可愛いだろう、もじもじと目を伏せつつに女性の影に隠れる仕草。シンジはげんなりと顔をそむけて、体育館の脇から顔を出すクラスメイトの姿を見つけた。あわてて二人の背中を押す。
「もう! はやく帰ってよ。ていうか何で見に来てるんだよ」
「だって今日授業参観でしょう?」
「それは来週だっていったじゃないか」
「あらそう? じゃあ、また来週来るわね」
「来なくていいから!」
「碇ー!」
三人がそろって振り向くと、フラッシュが目を焼いた。
「いい家族写真とれたぞー、焼き増し100円なー!」
「ケンスケっ!」
気楽に笑うクラスメイトたちに真っ赤になりながら、シンジは二人を校門まで押していった。だだっぴろいグラウンドを抜けて土埃にまみれる両親はシンジにせかされながらもどこか楽しそうに見えた。
シンジはふと校庭の脇に目を落とした。葉が青々と茂る桜並木が、なんとなく気になった。
「シンジったらあんなにせかすことないのに、お母さん疲れちゃったわ。あーあ、車とってきます」
近くの駐車場に停めた車をユイが拾ってくる間、シンジとゲンドウは無言だった。シンジの体操着が所在なくたたずみ、礼服の黒い裾がはためく。
中学校の前はせまい道路が一本通り、校門から伸びた横断歩道の信号がかちかちと点滅する。それを眺める二人の前に何台かの車が通り過ぎる。赤になったLEDが再び色を変えた。
風が大きな街路樹の葉をざわめかせる。それに紛れるように、広い背中がつぶやいた。
「シンジ」
「なに」
「よくやったな」
「……ありがとう」
「か、かっこよかったぞ」
「あ、ありがとう」
「頑張れ。シンジ」
「うん」
「おみゃっ……お前には期待している」
「今噛んだだろ」
「気のせいだ」
「噛んだよね? ねえ母さん!」
「何言ってるの、お父さんが噛むわけないでしょう」
うふふと笑いながら碇ユイは校門前に停めたセルシオの窓から顔を出す。すばやく身をひるがえしたゲンドウがそれに駆けこんでドアをしめた。むっすり俯く父親の横、母親は運転席から手を振り、低い排気音を立ててアクセルを踏む。
銀色の国産車はきらめくアスファルトを軽快に踏みしめて、道の向こうに消えていった。


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