つまりは、バレンタインにおかされている
ボウルと泡だて器がカシャカシャと音を奏でる。
心地よいようで激しい不協和音。
そんなものを気にせず、腕を筋肉痛一直線に進める。
目の前に見えているのは、ボウルの中身ではない。
その先の未来。
口元が緩む。
幸せを作っていく過程は何と楽しいのだろう。
不得意ほどではないが、得意だと断言できるほどの腕もない。
それでも、愛情を込めて一生懸命になることはできる。
重苦しいほどの愛情を溶け込ませることはできる。
「……」
自分は重い女なのかと今更自問する。
彼――ギルバート=ナイトレイの行動を見張ったりしていない。
誰と喋ったとか、誰と一緒にいるとか、拗ねたり文句を言ったりしていない。
大丈夫だ。
自分はまだそこまで行っていない。
これから先も行かない。
重すぎる愛情の素は取り敢えず蓋しておくことにした。
***
「ギル」
「ん、どうした?」
優しい眼差しだった。
それはまるで、大切な主人を見るような――。
「ギル、寝惚けてるでしょ」
「は? いきなり何の話だ」
「絶対寝惚けてる。ギルは私を私だとわかっていない」
ギルバートは首を傾げることしかできなかった。
目の前に立つ彼女は、間違いなくギルバートが良く知る女性なのだから。
「わかっている。どうして、そんなに失礼なことを言うんだ?」
「だって……」
ギルバートの『一番』は、きっと彼の主人であるあの少年だ。
それは絶対に間違いない。
覆ることはない。
だから、過去に二番目でもいいとそう言った。
だけど、彼を見るような瞳を向けられることは酷く不愉快だった。
絶対零度のような瞳でもいっそ怯えたような瞳でもいい。
自分を見つめ自分にだけ向けてくれる眼差しが欲しかった。
「ギル……」
甘えるように抱きついても、今日は許されるだろう。
バレンタインと言う空気に飲まれてしまったのだから、仕方ない。
彼女の心を知ってか知らずか、ギルバートはその身体を優しく抱いた。
「どうした? 何かあったのか?」
優しい声音に涙が滲む。
「ギルバートに渡したいものがあるんだけど」
こもった声でそう告げると、ギルバートは驚いたように彼女の体を離した。
「俺も……渡したいものが……」
二人が取り出したものは、まったく同じで、似た者同士だと小さく笑った。
2016/05/23